第17回 馬込三寸人参
馬込三寸人参は、大田区西馬込の篤農家の品種改良により生まれた10センチほどの人参。この三寸人参の元となる西洋種の人参が伝わったのは明治初期の頃で、それまでは滝野川人参に代表される長さ1メートルもある長人参が主流だった。
長人参は抜くのが大変だったことから、内藤新宿農事試験場などでは西洋から収穫しやすい短根の人参を導入。日本の気候風土の中で選抜淘汰を行い、砂村三寸人参が生まれた。その後、昭和25(1950)年に「馬込大太三寸人参」が誕生。以降、馬込では急速に人参栽培が普及したが、昭和38年頃には農地の宅地化とともに徐々に減少し、今では、五寸(15センチ)、7寸(21センチ)の交配種が主流となり、三寸人参はほとんど栽培されなくなった。
大田区馬込の波田野年成さんから種を譲り受けた小金井市の農家、井上誠一さんは、今年初めて馬込三寸人参を栽培した。
「人参は発芽をさせるのが難しい。そのためには種蒔きのタイミングが重要です」と、その苦労を語る。7月20日頃に蒔いた種は、今夏の猛暑の影響で発育が遅れている。
「本来なら収穫できる時期なのに、まだまだ小さい。今年はこの人参だけでなく、他の野菜も皆そうです」
井上さんは4年ほど前に小金井市が立ち上げた「江戸東京野菜でまちおこし」プロジェクトに発足当初から参加。馬込三寸人参のほかにも寺島なすや大蔵大根、金町小かぶなども栽培している。
また、市の食育推進委員でもあり、小学校などで江戸東京野菜の栽培指導も行っている。「子どもたちが思いのほか江戸東京野菜に興味を持ってくれていることがうれしい。栽培していくやりがいになります」
今後は江戸東京野菜の栽培マニュアルも作成していく予定だ。
本記事でご紹介した馬込三寸人参を使った料理「馬込三寸人参のたらこ炒め」の作り方はこちらをご覧ください。