

第8回 育成者の名前と地名がつけられた伝統野菜
下山千歳白菜
取材協力/江戸東京・伝統野菜研究会代表 大竹道茂
大竹道茂の江戸東京野菜通信 http://edoyasai.sblo.jp/

大きな白菜のイラストが3点書かれた「下山千歳白菜発祥之地」の石碑。育成者である下山さんの父・義雄さんの米寿記念に建てられた
鍋物には欠かせない冬の代表的な野菜、白菜。明治の終わりごろから国内で栽培されるようになったが、当時は病気にかかりやすく、栽培が難しかったという。昭和26~27年にかけて関東一円ではウイルス病のために白菜が壊滅的な被害を受けていたなかで、ウイルス病に強い耐病品種で、当時では大玉の1株5~6㎏もある白菜が注目を浴びた。それが故・下山義雄さんが育成した「下山千歳白菜」だ。
うかがったのは世田谷区北烏山で父・義雄さんが行っていた昔ながらの栽培方法で下山千歳白菜を育てる下山繁雄さん。下山さん宅は屋敷林が敷地内にあり、「北烏山九丁目屋敷林」として庭園の一部が一般公開されている。

下山千歳白菜は市場には出荷せず、主に学校の給食センターで使われている
「この地で生まれたその白菜を見てみたい」という市民グループからの強い要望で、昭和40年代に一度は途絶えた下山千歳白菜が復活したのは平成10年。復活した当時はまだサラリーマンだった繁雄さんだが、8年ほど前から就農し、伝統野菜を守り続けている。
「ほかにもブロッコリーや大根、キャベツなども作っていますが、白菜だけは父親のやり方を通しています」と下山さん。種は直播き、1株が7~10㎏にもなる下山千歳白菜は、株と株の間も60㎝と通常の白菜の2倍は取る。追肥や間引きにも手間がかかる。それでも伝統野菜を作り続けるのは「学生時代から好きなことをずっとやらせてもらった親孝行」なのだそうだ。

今回収穫したのは7㎏。市販の白菜と比べても2倍近く大きい
「復活した当初から父は昔のものとは違うと言ってました。今、私が作っているものも気に入っていないんじゃないかな(笑)」
伝統野菜のなかで、その野菜が栽培されていた地名がつくことはよくあるが、育成者の名前までもがついたものは珍しい。それは、この白菜に手間隙を惜しまず愛情を注ぎ込んだ努力の賜物だろう。
●北烏山九丁目屋敷林 市民緑地
世田谷区北烏山9ー1ー38
本記事でご紹介した「下山千歳白菜」を使った料理「下山千歳白菜とフルーツのサラダ」の作り方はこちらをご覧ください。