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2009年12月20日号
第7回 練馬大根
大根の練馬か、練馬の大根かと言われるほどに名をはせた練馬大根。徳川五代将軍綱吉が、尾張から大根の種を取り寄せ、下練馬村の農家に生産を命じたのが始まりとされている。その後、江戸の人口、百万人を超える需要に応える野菜の供給地として発展し、明治になっても市街地が拡大していくのに伴って一層増大した。
しかし、昭和になってから発生した大干ばつに伴い、モザイク病(ウィルスにより大根の成長が止まる病気)が大発生し、昭和30年頃から栽培が衰退し、練馬大根が出回ることはほとんどなくなってしまった。
危機的状況にある練馬大根を復活させるため、平成元年から練馬区と農家、農協が連携し、「練馬大根育成事業」に取り組んでいる。本紙先月号でも告知した練馬区とJA東京あおばが主催の「練馬大根引っこ抜き競技大会」もこのプロジェクトの一環。練馬大根は青首大根に比べ長くて、先が太いため、引き抜くことが難しい。練馬区では地産地消を促進しようと、平成19年から区立小中学校の全生徒(約4万8000人)が学校給食で食べている。大会参加者に抜いてもらった約4000本の練馬大根のうち3300本も、翌日には学校給食に使われ、食育の一翼も担っている。
この育成事業で栽培されている約1万3000本の練馬大根は、市場には出回らず、主に区内の漬物加工会社で使用され、1月にJA農産物直売所などでたくあん漬や練馬大根ドレッシングが販売される。また、練馬区にちなんだ商品「ねりコレ」では、練馬大根を使った和菓子やクッキー、パンなども販売されている。