HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.112 道の駅 八王子滝山 名誉駅長 芥川 麻実子さん
1 The Face トップインタビュー2017年04月20日号
道の駅 八王子滝山 名誉駅長 芥川 麻実子さん
大学卒業後はタレントになった。しかし、漠とした不安を感じ、夢のあるアメリカ文化を学ぶべく渡米。帰国後、車社会・西海岸でのエピソードを綴ったエッセイが日本道路公団の目に留まり、高速道路の世界へ。2007年に、東京初の道の駅「道の駅八王子滝山」の駅長に就任した。現在は名誉駅長を務める芥川麻実子さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
アメリカ西海岸での車との共生が高速道路の世界へ導く
—2017年に東京初の道の駅 八王子滝山ができた時、初代駅長が芥川龍之介の孫で、女性ということもあり話題になりましたね。駅長になったきっかけは?
芥川 全然文化的な人間でなくて申し訳ないんですけど(笑)。
そもそも私は、高速道路の広報とか、首都高の川口や八潮のパーキングエリアのプロデュースやイベントの企画、実施をしていたんですね。最初は女性だからと目も合わせてくれない雰囲気の会議も続きましたが、川口のカフェではスタッフにそれらしい制服を着せただけで誰もが驚くほどコーヒーが売れるようになり、八潮の食堂では店舗の色を赤とオレンジにしてお店の名前も840に変え、イメージを一新しました。
そういうことを重ねていくうちに、プロデューサーとしての信頼を得られるようになっていきました。誰もやっていないことをやっているので、肩書をどうしようかといろんな人に相談しましたら、道路環境プランナーがよろしいのではということで、そう名乗っているうちに道の駅の駅長のお話をいただきました。
—女性が道路の仕事に就くこと自体珍しかったのではありませんか。
芥川 それはね、元の日本道路公団(以下、公団)が、民間の意見を真摯に聞く場を設けるとしてハイウェイ懇談会というのを作ることになり、その中に女性も何人か入れるべしというお達しがあったようで、女性委員を探していたからなの。
当時、自動車工業連合会の広報誌に、アメリカでは車なしでは生活できないとか、アメリカ西海岸で車と共に暮らしたエピソードをおもしろおかしく書いていて、それがたまたま総務部長さんの目に止まり、声をかけてくださったんです。私はアメリカから帰ってきたばかりで、道路行政も知らないし、技術のことももちろんわかりませんと申し上げましたら、一ユーザーとしての意見を聞きたいと。私、首はなかなか横に振れない性格なので、お引き受けしましたら、これがおもしろい!
しかも、その総務部長さんがすばらしいプロデューサーで、座長の先生もすばらしい。集められた委員の方もすばらしい。見学会にご案内いただく段取りもすばらしい。たった一つ気に入らなかったのが、会議に行くたびに配られる見苦しいチラシとパンフレット(笑)。パンフレットはストーリーとして一貫したものがなく、ビジュアルも統一されていない、チラシはひどく毒々しく、捨てるのさえ恥ずかしいというぐらい。
その後、その総務部長さんが公団の初代の広報室長になられたのですが、私がブーブー言っていたことを覚えていらしたのでしょう。公団がセミプロ向けパンフレットを作ることになり、コンペに誘ってくださったんです。当然、一生懸命やりますよね。すでにある情報を整理して、表紙はアメリカ人のイラストレーターに描いてもらい、うまく見せる工夫をしましたら、決まりましてね。それで、高速道路の世界にはまりました。
その広報室長が、後に道の駅 八王子滝山の指定管理者に手を挙げたんです。
アメリカで学んだクリエィティビティ道に関わることで花開いた
—もともとはテレビのタレントをされていたのですよね。
芥川 そうです。当時はフリーでしたが、テレビ局の女性アナウンサーというのはそうは残業もできませんし、夜中の取材にも行けません。ニュースでお天気を読むぐらいしかできなかった時代で、何となくつまらないというか、先が思いやられるみたいなね。
興味があったのがアメリカの文化。アメリカは、歴史は浅いかもしれませんが、小説や映画、ディズニーなど、人を感動させる文化や夢がある。それを肌で知りたいと思い、苦労してお金を貯めて1年のつもりで映画の本場、ロサンゼルスに行きました。そうしたら、地元の日本語放送に出てくださいとか、日本語新聞に書いてくださいということになって結局4年いることになりました。
—映画とかエンターテインメントを学びに行かれたのですか。
芥川 そうです。UCLAの映画学科まで行きました。
3年から4年が大変な時期で、週刊文春の「疑惑の銃弾」でしょう、それとロサンゼルス・オリンピック。それらのレポーター、コーディネーター、ドライバーをしているうちに、本当に裏方の仕事を身に着けたなという実感がわいてきました。
それで日本に帰ってきて、日本をアメリカに紹介するテレビ番組のプロデューサーになったんですけれど、当時は自分のセンスが開いていなくて、クリエイティブなことはまだ苦手でした。
そんな時に道と出合い、道の道に入ってしまった。道路行政、技術……道ってすごく現実的なことですよね。そういう現実的なところで周りの方々に育てていただいていくうちに、クリエイティブな仕事をやりたいと思うようになっていきました。
—道の駅を中心に八王子で様々なイベントを手掛けていらっしゃいますが、道の道に入って、プロデューサーとしての花が開いた感じですね。
芥川 にわかに忙しくなったのは4、5年前、文化関係とコミュニケーション関係と学園関係の財団が統合した公益財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団ができ、理事に就任してからです。八王子も外に大きく開かなければならないということで、合同庁舎の隣の東京都の空き地—繊維試験場跡地—で八王子フードフェスティバルが計画され、実行委員をお受けしたのです。今年で5回目ですが、都心からシェフを呼んでレストラン、地元の人たちはグリル、それからマルシェ。そういったものをオーガナイズされた場で、できることを重ねてみるとおもしろいんですね。
去年は体験楽習フェスティバルの実行委員会副会長をやりました。八王子には高尾山をはじめとする自然や歴史、大学、美術館、企業などたくさんの資源があります。それぞれが行っている“参加体験楽習”をダイナミックに合体して、文化観光交流の場と機会を提供したんですよ。
また、今年は八王子市市制100周年ということで、都市緑化フェアを開催します。併せてフードフェスティバルと体験楽習、今年も副会長の役をやります。大変ですけど、とっても楽しみです。
物資だけでなく情報や文化を運ぶ被災者の命をつなぐ「道」
—東日本大震災の復興にも力を入れていらっしゃいますね。
芥川 道の駅では毎年9月に防災週間にちなんだイベントを行うのですが、八王子滝山ならではのことをやりたいと、2011年8月にカメラマンとデザイナーと被災地に行ってきて「あれから5ヶ月—被災地にて(その後「復興は道から始まる」とタイトル変更)」という写真展を、道の駅を皮切りに、首都高速の大黒パーキングエリアや東京アクアラインの海ほたるなどで開催しました。中国の大連やハワイのホノルルでも写真展や講演を行っています。そして昨年の夏は、「あれから5年」というタイトルで、2011年と同じところを紹介しました。
また、衣類などの物資、落語やハワイアンなどを持って、毎月のように被災地に足を運んでいたのですが、情報や文化を運ぶのはまさに「道」だと実感しています。
—そんな道の途中にある、ほっとできる場所が道の駅なんですね。
芥川 道の駅は、鉄道に駅があるなら道にも駅があっていいんじゃないかという発想からスタートしましたが、そればかりではありません。
地方に行くと高速を出てから観光地までけっこう遠い。目的地まで無料の休憩所がないということで、「観光型の道の駅」といわれる道の駅が続々とできたんです。基本は地方創生、地域の名産品やとれた食品を直売して経済力をつけることで、おもなターゲットは観光客です。
一方で八王子の道の駅は、「都市型道の駅」と言われています。基本的には市民、および近隣の方々がターゲットで、毎日のように買い物に来ていただける、市民に愛される道の駅です。その環境を整えるということで、道の駅としては珍しく駐輪場を整備して、オートバイや自転車も停められるようにしました。最近は圏央道効果もあって、駐車場では多摩ナンバー、相模ナンバー、最近は横浜ナンバーも多く見かけるようになりましたけど、やはり八王子ナンバーの車が多く見られますね。
—今年度から名誉駅長になられましたが、これからも道の駅の看板を背負って活動されていくわけですね。
芥川 道を舞台にしているとは思います。
道の駅というのは日本固有の生活文化です。国策として東南アジアの道路を整備し、税関を整備し、なおかつ休憩所も整備するために、道の駅のコンセプトを持って出かけていますし、ベトナム、ラオス、カンボジアにも立派な道の駅があります。でも、大事なのは建物じゃなくて、生活文化。各地で講演やワークショップに招かれましたが、そこで強調したのは、どれだけ自らの素顔の文化を発する場にするかということです。
それから、私はハワイが好きなんですけれど、日本からのハワイ便は朝着きます。でもホテルは3時までチェックインできません。特にツアーの場合、バス1台を収容できる休憩所は限られますし、しかも無料休憩所はない。実は、ハワイにはファーマーズマーケットがあってものすごくブレイクしているんですね。ここを日本人の旅行者にとって安心安全、しかもリラックスできる道の駅にできたらいい。
この「道の駅」という生活文化のブランドを世界に伝えたいと思っています。
<プロフィール>
あくたがわ・まみこ
東京都三鷹市生まれ。日本女子大学文学部史学科卒業。テレビのワイドショーの司会、旅番組レポーター、ラジオのディスクジョッキーなどタレント業を、およそ10年続け1981年渡米。帰国後米国向けテレビ番組のプロデューサーをつとめる間、日本道路公団ハイウェイ懇談会委員となる。以後高速道路関連の広報、イベント、商業施設のプロデューサーを経て現職。公益財団法人日本道路交通情報センター評議員、公益財団法人八王子学園都市文化ふれあい財団理事、一般財団法人首都高速道路協会評議員、株式会社ファミリー劇場番組審議委員長ほか
タグ:道の駅 八王子滝山 芥川麻実子