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1 The Face トップインタビュー2017年01月20日号

 
観世流 シテ方
観世 銕之丞さんさん
“わからないけれども見る” それが芸術に対する基本的な姿勢

観世流 シテ方
観世 銕之丞さん

 観世三兄弟と呼ばれ、伯父寿夫、榮夫とともに戦後の能を名実ともに担ってきた八世観世銕之亟静雪(人間国宝)の長男として東京に生れる。跡を継ぐのは絶対に嫌だと思っていたが、寿夫が急逝。いきなり実戦配備されることとなった。父の鞄持ちとして各地を回るうち、能に対する恐怖感は消失。今や銕之丞家の当主として、また能界を代表する能役者として活躍する観世流シテ方、観世銕之丞さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

能は、いわゆるミュージカル。
「ライオンキング」と同じです。

—南青山という最先端の街に、日本の伝統を代表する能楽堂があるということにびっくりしました。

観世 皆さん意外とご存知ないんですが、昭和40年代に入るくらいまでは、ここの通りは住宅街だったんです。こんなふうに開けたのは、神宮前と言っていた銀座線の駅が表参道になって千代田線がクロスした頃から。まだ住宅が多くて、東京の山の手の街という感じだったんです。それが、あれよあれよという間にファッションブランドのお店が建って、普通の八百屋さんとか魚屋さんとかが見る間に消えて、普通の家もあっという間になくなってしまいました。

翁 撮影:吉越研

翁 撮影:吉越研

—その落差を生かしたら、面白いことができるのではないかと思います。

観世 能のアトリエ公演や、それ以外にもクラシックのコンサートや若い人のファッションショーに貸し出すことがありますが、私どもは古い形を残しつつ開いていかなくてはいけませんので、今のテンポが速すぎて、落差があることの面白さを十分に生かし切れていないことは確かだろうと思います。

 ここに移ってきたのは昭和30年、祖父の時代で、その後“バブル”の少し前に今の建物に建て直したのですが、あくまでも稽古場、道場であるということを最優先に考えたので、使っている色は木の茶とコンクリートの色と黒と白のみと、非常にシンプルに作りました。「足がしびれる」「腰が痛い」と文句を言われるお客様が多いんですが、もともとの桟敷での目線みたいなことを生かしているので、これから改装するにしても椅子席にすることは考えていません。

—能は敷居が高いとか、わからないと言われますが、能を楽しむコツのようなものはありますでしょうか。

観世 能は、まずワキ(シテに対応してゆく役、必ず現在に生きている人間の役)が登場して場面設定を紹介するところから始まるんですね。そして装束をまとった主役のシテが出てくると、ワキがなんでそんなところで祈っているんだ、なんで悲しそうにしているんだと質問をする。するとシテは、実はこんなことがあって、あんなことがあってと答える。最初は質問から始まるのですが、受け答えをしているうちに、感情が高まって、だんだん歌になっていくんですね。それに囃子の音やコーラスが合わさり、お客さんも共有の時間を持つことによって、シテの気持ちになったり、ワキの気持ちになったりして一体感が生まれていく。いわゆるミュージカル「ライオンギング」と同じと思っていただければいいんですよ。

—難しく構えなくてもいいのですね。

観世 能の役者は、表層的な説明でなく、人間の感情とか息といったものに直接働きかけるような訓練をするんですね。例えば悲しみだったら、単にああ悲しい悲しい!と説明するのではなくて、体の中で息が沈静して涙がぽろっとこぼれる瞬間に、それをすっと押さえるような。少な少なに、深い息みたいなところで問いかけて、うれしいこと、悲しいこと、懐かしいことを、息として表現してゆく。

 うまい俳優というのは洋の東西を問わず、セリフの意味がわからなくても何の演技をしているかだいたいわかりますよね。なぜかと言うと、言葉が実際には理解できなくても、その息が伝わるから。そういった息みたいなものを感じられると、すっとその世界に入ることができるんだと思います。

 

人間は、じっくり考えて答えを出す人、感覚に任せて進み後から考える人がいる。

—観世三兄弟と言われた偉大なお父様、伯父様たちが身近にいらっしゃって、プレッシャーではありませんでしたか。

観世 親父たちはすごく才能があって、それぞれにユニークで、亡くなる時まで舞台に懸けていた人たちなので、そんな人たちの後を継ぐのは絶対に嫌だ、できれば逃げたい、何とか辞められないものかとずっと思っていました。何度「辞める」と親父に言おうと思ったか。でも、親父が怖くてぐずぐずしているうちに上の伯父の寿夫が亡くなってしまった。

 うちは少数精鋭主義というか、少ない人数でやっているものですから、いきなりトップの人だとしても一人少なくなってしまいますと、人手不足でうまく回転しないんですね。それでいきなり実戦配備されてしまった。親父の鞄持ちとして各地に行くと、いろんな人が舞台を支えているとか、同世代の人たちが苦労して修業を頑張っているとか、多くの人々との出会いが励みになりました。とにかくいろいろなことをやっている間に、世の中には理不尽なことが存在するとわかってきて、身勝手な親父だと思っていたのが、なるほどこういうことを言いたいから、こういうものの言い様になるのかとわかってきましてね、そうしたら自然と能に対する恐怖感がなくなりました。

当麻 撮影:吉越研

当麻 撮影:吉越研

—息子さんにはそのような理不尽なことをおっしゃるのですか。

観世 理不尽な言い方はしますが、いろいろと経験しないとわからないですし、わからなければ仕方ない。ただ、「私が死んだら、辞めようと辞めまいと君の判断で銕之丞家を動かしていかないといけない。それだけは責任を持たなければだめだ」とは言っています。

—2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、オリンピックはスポーツだけではなくて文化の祭典でもあります。日本を代表する伝統芸能として何か計画されていますか。

観世 まずは能、狂言を見ていただかないと仕方がない。わからないから見ないという態度を改めないとだめで、“わからないけれども見る”というのが芸術に対する基本的な姿勢だと思います。

 能にしても他の芸術にしても、それがなくて死ぬわけではありません。それを見たからと言ってすぐに人生が変わるわけでもない。わからないからつまらないとか、わからないから必要ないという幼稚な論理は人生では意味がないと思います。

 でも、なぜか人はわからないと安心できないところあるんですね。特に若い人たちはわからないことに対してすごく恐怖を覚えている。それは、わかるかわからないかでクラスランクを振り分けるということを教育界がやってきたからなんですね。

 人間というのは、じっくり考えて自分の答えを出す人もいれば、感覚に任せて進み、後から考える人もいる。確かに、全部がわかる、答えがパッと出るというのは、きれいかもしれません。でも人と付き合っていく上では、きれいな解がないことがたくさんあるわけです。

 だから、わからないことに対して、わからないけど何かある、わからないから考えてみようというふうに、教育界も方針を変えていったほうがいいと思います。

 

多様性のある文化を包含している日本。日本人として誇りを持っていいと思う。

—能は教材としてぴったりではありませんか。

観世 実は、中学高校の先生が能に対してアレルギーを持っていらっしゃるんですね。わからないことを教えたくないと。それは先生にとっては仕方がないことなのかもしれませんが、もうちょっと勇気を持ってほしい。

 世阿弥が生まれてから650年、その親の観阿弥が生まれてから680年と言われていますから、能楽は日本で700年近く続いてきた芸能です。日本には、最先端のものもあるし、700年続いている芸能もある。その間に文化江戸時代というユニークな時代もあって、それが世界的に注目されている今の食のベースになっている。そういう多様性のある文化を包含しているのが日本。現代のものも、700年近く前から伝わる芸能も、見ることができるのが日本なんですね。

 このことは日本人として誇りを持っていいと思いますし、だからこそ、それを先生にも感じていただいて、そんなに怖がらずに能というものを教えてくださいとお願いしたいですね。

コメディ・フランセーズの俳優たちの稽古

コメディ・フランセーズの俳優たちの稽古

—今は、能を知らない先生がほとんどだと思います。能が教育のヒントになるとしたらどんなことでしょう。

観世 能の教育法は、あれはだめ、これはだめと、まず型にはめることから始まります。型があるので、誰がやっても同じだろうと、無個性を強調しているように思われるかもしれませんが、同じ型のはずなのに必ずその型からはみ出してくるものがある。それが個性であって、それを自分で考え自分で稽古して研ぎ澄ましていくものだと思うんですね。

 しかし、今の教育界は個性を伸ばすことが大事だと言いますが、好き勝手な「我」を伸ばしているだけ。型を作ってあげないものですから、強い人間はいいかもしれませんが、弱い人間は鍛えられない「我」を個性と取り違えたまま世の中に送り出されてしまうので、みんな不安で優柔不断、意見をどうまとめたらいいかがわからない。

 だから、ある程度型を決めるというのは日本の個性の考え方なんじゃないかと思います。ディベートして相手を叩きつぶしながら自分を鍛えて強くなっていく欧米型ではなく、ある型にまずきちんとはめる。そして、はみ出したら、次にまた新たな型を上の人が決めてあげる。そういう形で力を発揮できるのが日本文化なのではないでしょうか。

—まずは能楽堂に足を運んでみることですね。

観世 ただし、敷居を下げればいいかというとそうではなくて、禅寺なんかでもそうですが、座禅という自分を追い込むようなことがないと、ものを考えるきっかけができないのではないでしょうか。

 すごく高次に展開される舞台芸術があって、わかりやすく話をしてあげて、それでわからなくてもまず体験してください、わからなくても聞いてください、わからなくても見てください、どうしてもそれでついていけない時は寝てもかまいません。能ほど心地よい眠りを誘う芸能はありませんから、大いびきをかかないかぎりはゆっくりお休みになっていただいて結構です。覚めた時に何かと出会うことだってあります。

 教科書任せ、先生任せにして判断するのではなく、自分で考えて、感じてくださいと生徒さんに申し上げたいですね。日本の文化を語る時に、そういう伝統を無視しては片手落ちですよということは、正当に主張していきたいと思っています。

 

観世流 シテ方
観世 銕之丞さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
かんぜ てつのじょう
1956年東京生まれ。伯父観世寿夫及び父に師事。1960年初舞台。2002年九世観世銕之丞を襲名。2011年紫綬褒章を受章。銕之丞家の当主として、また銕仙会の新棟梁としてこれからの能界を担う存在として期待される。力強さと繊細さを兼ね備えた謡と演技にも定評がある。東京および、京都、大阪でも活躍するほか、海外公演にも多く参加している。重要無形文化財総合指定保持者。社団法人銕仙会理事長。京都造形芸術大学評議員。都立国際高校非常勤講師。京舞井上流五世井上八千代との間に一男一女をもうける。

 

 

 

 

タグ:観世流シテ方 第9世観世銕之丞 社団法人銕仙会

 

 

 

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