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1 The Face トップインタビュー2016年05月20日号

 
語り部・かたりすと 平野啓子さんさん
語るたびに自由に想像してもらう歓び

語り部・かたりすと 平野啓子さん

 小学校の時、クラスメイトに障害を持つ子がいた。担任の先生の配慮もあり、ハンデを障害としてではなく、個性として見て一緒に過ごした。中学になると、その子は特殊学級へ。ある日、道ですれ違った時、カバンでぶたれ「俺のこと笑うな!」と言われた。このショックは大きかった。やがて名作・名文を暗誦する芸術家となると、ハンデを持つ人を指導する立場にも……。語りの世界に総合芸術としての新境地を開き、独自の想像空間を創造し続けている語り部・かたりすとの平野啓子さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

ハンデを障害としてではなく、個性として見る小学生時代を過ごす。

—古典から現代までの名作を語る語り部・かたりすととして、日本の文化や日本語の美しさを紹介するとともに、特に舞台では光や音響、季節の風物を生かした独自の世界を切り開き、高い評価を得ていらっしゃいます。小さい頃から文化や芸術の道に進もうと思われていたのでしょうか。

平野 私は子どもの頃からクラシックが好き、童謡唱歌も演歌も好き、ダンスもバレエも、下手ながら絵を描くのも好き、漫画を描くのも好きで、あらゆる文化に興味があって、取りかかりました。

 大学生になると、早稲田大学は近くに共同作業所があって、車いすを押している人も、車いすに乗っている人もよく見かけるんです。

 ある時に早稲田から高田馬場に向かう地下鉄に乗ろうとしたら、白杖を持った人が乗り込もうとしたんです。すると、ホームの人が介助しようとして、杖を持った方を引っ張ったら転んでしまった。

 その時、私たちは杖を持った人にどうやって声をかけていいかわからない。どういうふうに介助したらいいかもわからない。そんなことも知らずに育ってきたということを知ったんです。

六義園のしだれ桜の花の下で「しだれ桜」を語る平野啓子さん

六義園のしだれ桜の花の下で「しだれ桜」を語る

—文化と福祉、ちょっと結びつきませんが……。

平野 思い返してみると、小学校の時に障害を持った子がクラスメイトにいたことが根源にあるような気がします。クラスの中にはいじめっ子もいれば泣き虫もいる。いろんな子がいますよね。そういう中の一人に、さっきまで笑ってたと思ったら大暴れし始めるという子がいた。そういうハンデを障害として見ないで、個性として見ながらずっと一緒に遊んでいたんです。

 ところが中学になると、障害を持った子が、当時は特殊学級という言い方だったと思いますが、別のクラスにまとまっているんですね。びっくりしました。ある時、今まで友達だった特殊学級に入ったその子と道ですれ違ったんです。私は○○くんだと思って、にこにこ笑って声をかけようとしたら、すれ違いざまにカバンで私をたたいて「俺のこと笑うな!」って言った。私は、ものすごいショックを受けて、彼がそういうふうな思いに至ってしまったのは何故だろうとずっと思っていたんです。

—その原体験が心に残っていたんですね。

平野 そんないくつかの経験から、自分の人生のすごく重要なこととして、子どもの頃からハンデを持った方と普通に一緒に暮らせるような場面を作ることが大事だと強く思うようになったんです。卒業論文は「健常児と障害児の交流教育について」というテーマで、福祉関係の仕事に進もうと思っていました。

 その頃、東京都歴史文化財団が職員を募集することを知ったんです。もしかしたら文化イベントということで、もっと幅広い方を対象にできる。これはやり甲斐があると思って、それまでの就活を全部やめて文化振興会一本に絞り、無事に入ることができました。

 同時に語りの舞台活動を始め、プロに転向しました。

 

いろんな個性の持ち主がいて、それぞれに合った“語り”がある。

—今の仕事である“語り”で、障害を持った方と関わることはあるのですか。

平野 “手話語り”というのを開発しました。私の教える大学の授業に耳の不自由な方がお入りになったんです。耳が不自由ですから、例えば「春はあけぼの」を教えても、訓練によってこれが「あ」だろう、これが「い」だろうという発声で、その自分の声もあまり聞こえていないようなんですね。なぜそういう方が語りを習うんだろうと不思議に思ったんですが、たまたまそのクラスに手話のできる健常の学生がいて、仲よくなっていろいろ補足説明をしてくれ、それからノートテーカーという方が特別について、私の話す講義を書いて彼女に見せていくので、授業はスムーズに行きました。

 試験はレポートでも、実演でも、両方やってもいいのですが、その彼女が実演で受けたい、手話をつけて「春はあけぼの」をやりたいと言う。で、やってもらったら、それがとても美しくって……。ちょっとやってみていいですか。(実演)

—情景が浮かぶようですね。

平野 それで、狭い範囲でやるという手話のルールは外して、舞台芸術として作り上げることにしたんです。彼女は手足が長くて、バレエを踊るようにその手をいっぱいに広げてね、本当に美しいの。彼女と、相方として手話のできる彼女には声の表現を思いっ切り練習してもらって、二人セットの作品にしたら、あんまりすてきなので、いろんな場所で発信したいと私の舞台にも二人に出演してもらったんです。どこへ行っても好評で、私の上演よりも、そのコーナーのほうが評判がいいくらいです(笑)。

 でも、私はそれを福祉活動としてはやってないんですね。あくまで文化の創造としてやっているの。目の不自由な方で習いたいという方もいるんですけど、その場合は電話でもレッスンができます。まだ未熟な子どもたちの場合も、子ども向けにやっているのでなくて、子どもならではの良さ、声の若々しさを使って少しでもうまくやらせる。これが一つの文化の創造だと思って、楽しくてしょうがないんです。

海外や日本の公演で観客と一緒に手話語りを行う平野啓子さん

海外や日本の公演で観客と一緒に手話語りを行う

—楽しそうです、本当に。

平野 だからパラリンピックって、障害者のものというイメージがしないんですよ。車いすでなんであんなに速く動けるんでしょう!すてきじゃない?

 ですから私は、障害を持った方のために特化したことはやっていないんです。一緒にやりながら、その方ならではの表現をしているうちにたまたま一つのジャンルになる。パラリンピックならぬ“パラ語り”とかね。障害を持ってない方だっていろんな声の持ち主がいて、その声に合わせた“語り”がある訳ですからね。

 ドイツ、トルコなど海外公演で手話語りを客席の外国人と一緒にやりましたら、皆楽しそうに手を動かして、古文の原文を声に出して語ってくれました。お会いした外国の方を今度は日本に招いて上演したいです。

 

極限の状況を乗り越えた人の話は感動的で、人間の心を豊かにする。

—“語り”のレパートリーは何作品ぐらいあるのですか。

平野 すごく小さな物語の「蜘蛛の糸」なども入れれば100以上あると思いますが、私の代表作に瀬戸内寂聴先生の「しだれ桜」や幸田露伴作「五重塔」、川口松太郎作「弦八鶴次郎」があり、その他に自分で取材して物語にする作品があります。

自分で取材し物語にした「エルトゥール号」をトルコで語る平野啓子さん

自分で取材し物語にした「エルトゥール号」をトルコで語る

 例えば、日本とトルコの友好親善の象徴でもあるエルトゥール号の話。去年、映画にもなって話題になりましたけれども、私はあの話を17年前に東京で知って、こんなすてきな話は語りにしなければと心から思い、串本に何度も足を運び、地元の人にインタビューをしました。

 最初は10分しかなかった私の語りの台本ですが、徐々に資料も集まって今では40分以上になっています。私の台本は当時の話だけではなく、今につながることを書き加えたり、旬の話題を入れたりするんです。トルコ公演時のエピソードとか、オリンピックが日本に決まった時、安倍首相とエルドアン大統領がハグしたとかね。そうやって作っているので、一つ一つ数えられないんです。

—ある作品を覚えるのと自分で物語を作り上げるのと、両方楽しそうですね。

平野 いろんな取材活動を通して感じるのは、生死の極限の状況を乗り越えた人のお話はとても感動的で、人間として心を豊かにするということです。

—極限の状態というのは、ある意味物語の宝庫というか……。

平野 私の故郷、静岡の伊豆には「波切地蔵」、和歌山の広川には「稲むらの火」があるのですが、ともに過去の大津波の出来事がもとになっています。どれだけ流したか知れない涙の上で語り継がれてきたお話も各地にあります。

 東日本大震災の被災地でそれらを語ると、過去の人たちと悼みを共有して心が軽くなったという方もいらっしゃいました。「しだれ桜」は大人の悲恋物語ですが、こちらもよく受け入れられるので、私は毎年行っている東北復興支援イベントで語っています。

 被災された気仙沼の方が、悲しくて思い出したくないと思っていたけれど、伝えることが生き残った我々の役目だと思ったとおっしゃっていました。語り継ぐことが、いつか同じような大津波が起こった時に人を助けられるかもしれないと。

—伝承する、つまり語り伝えるということが、人間の知恵なんでしょうね。

平野 伝承をないがしろにしてはいけないと、すごく思っています。けれども証言者はいつかいなくなってしまいます。私たち語り部が時空を超えて語り継ぐべきことなんです。

—ほんの少しですが実演を見せていただいて、改めて語りを聞くのはいいなと思いました。より心が豊かになるような気がします。

平野 かつて東京の六義園で築庭300年をきっかけに、10年にわたって毎春、お庭のしだれ桜の下で「しだれ桜」を語りました。その時、何人ものお客様から、語りの進行にしたがって花の色が変化して見えると言われました。そこが語りのおもしろいところかなと思います。

 

語り部・かたりすと 平野啓子さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
ひらの けいこ
静岡県沼津市出身。早稲田大学在学中にミス東京に選ばれる。卒業後東京都歴史文化財団職員を経て、NHKのニュースキャスターや大河ドラマの語りをはじめ、多くの番組の司会、ナレーション等を務める。一方、語りを鎌田弥恵氏に、朗読を故山内雅人氏に師事。名作・名文を暗誦する語り芸術家として国内外の舞台やテレビで活躍中。平成9年度文化庁芸術祭大賞、平成22年度文化庁長官表彰等受賞。太宰治生誕100年記念語りCD「走れメロス」、DVD「瀬戸内寂聴 源氏物語の男君たち」語り等多数刊行。中国・韓国公演など国際交流も。平成26年度文化庁文化交流使として、ドイツ・トルコを訪問し、「語り—KATARI」を紹介。大阪芸術大学放送学科教授、武蔵野大学非常勤講師、日本の語り芸術を高める会会長

 

 

 

 

タグ:語り部・かたりすと KATARI 手話語り

 

 

 

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