HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.90 ピアニスト 室井摩耶子さん
1 The Face トップインタビュー2015年06月20日号
ピアニスト
室井 摩耶子さん
6歳の6月6日にピアノをはじめた。自然の流れのままにピアニストへ。若くして才能を認められ、長らくドイツを拠点に演奏活動を重ねた。音楽の成長には人間の成長が大事だと思い知らされ帰国。“音楽は音で書いた詩であり戯曲。そこには音楽文法がある”と熱く語る94歳の現役ピアニスト、室井摩耶子さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
何十年も見慣れた楽譜に新たな発見がある。
生きててよかったと感じる瞬間です。
—ピアノを始められたのはいつですか。
室井 女の子のお稽古事は6歳の6月6日に始めるという習慣があったのね。今さらお琴でもないと、両親がピアノを買ってくれて。
—ピアニストを目指そうと思われたのは、いつ頃ですか?
室井 よく聞かれるんですけど、私もちゃんと覚えていないの。だから「山に湧き出た一滴の水が流れを作り、滝になったり、他の流れに合流したりして、大海に注ぐように、自然のままに流れたのでしょう」って答えることにしているのよ。
でも、小学校の卒業文集に「私は世界的なピアニストになって、世界を演奏して回りたい」なんて書いている(笑)。あの時代に世界中を演奏旅行するなんて発想がよくあったものだと、自分でもびっくりしてるんですよ。
—その夢を立派に実現されて、今も現役で演奏活動をされていらっしゃる。
室井 まさか94になっても現役で演奏できるなんて。でもね、90を過ぎてから見えてくることもあるのよ。こんなことも知らないで、今までよくピアノを弾いていたものだと思うけど、何十年も見慣れた楽譜から新しいものを探し出すことがあるなんて、本当に何に感謝していいかわからないわね。
—例えば、どんな発見ですか?
室井 この間のコンサートでハイドンを弾きましたでしょ。ハイドンは楽譜は簡単なんですね。でも2小節ぐらいの間に世界中の感情みたいなものがみんな詰め込まれているの。専門的に言いますと、8分音符で、8分休符で、スタッカーティシモで、そして単音。ハ長調の主和音一つ一つの音を短く言っているということは、ハ長調のこういう音を出さなきゃ現せないある感情というのをそこに全部詰め込んでいる。
ハイドンは、殊に日本ではソナチネに入ってますから、「ハイドンなんてつまらない」という認識ができちゃった。だけどね、その中に入っている感情ときたら本当にすごいし、ハ長調という音階についてのいろんな思いというもの、あるいはそういう習慣といったものがいっぱいあるんです。一つの音をトンと弾いたら、それは何々ですよと言えなきゃ音楽にならない。すごいもんだなと思いますね。そういうことが今頃になってわかってきて……。でもね、そういう新しいことが発見できるとうれしくて、生きててよかったと感じるわけです。
プロになったからには、すべての物事を一流に。
—そういう発見を重ねることによって、曲への理解がさらに深まり、演奏にも磨きがかかるのですね。
室井 そういう音を出さないと音楽にならないわけですから、そういう音を出すために大変な集中力がいるわけです。それと、自分の中にそれを受け入れるだけの内容がないとだめなのね。
日本に帰って来たのも、元になる人間が成長しなきゃ音楽も成長しない、人間の成長が大事だということをすごく思い知らされたからなの。結局、外国にいるとあくまでエトランジェ(外国からの旅行者)なのよ。
私は人間として成長するためには、日本に帰って、日本の土地に足をつけて、そしてその生活をしっかりとつかまえなければ人間的に成長しないと思ったの。それで60ぐらいの時だったかしら、日本に帰ることに決めたんです。
—ドイツにはおいくつで行かれたのですか?
室井 30ちょっと過ぎですね。ベルリンで演奏会をしたら評判がよかったので、マネージャーがついたの。
ところが、向こうの生活は厳しくてね。プロになった時にマネージャーが言うには、「あなたは今日から学生じゃない、プロなんですよ。だから地方に行ってもそこらのペンションに泊まってはいけません。一級中の一級のホテルに泊まりなさい。屋根裏部屋だっていいんです」。どこに泊まっているかと聞かれた時、一級中の一級のホテルに泊まっているということが大事だと。
着るものもアクセサリーも、ハンドバッグも、何もかもちゃんとしたものを持っていないとだめだって言うの。そうじゃないと本当のプロにはなれませんって。そういうことの必然性を演奏旅行でさんざん教わりました。
—そうでなかったら30年もやってこられませんでしたでしょう。
室井 まあね、ずうずうしいとは思うんですよ。私、こんな国粋主義者だったかしらなんてね(笑)。
いつだったかチェコに演奏旅行に行った時、ベートーヴェンの第3番を弾いたんです。すると、休憩の時におばさんがやってきて、後で聞いたら音楽評論家だったんですけど、「あなたは日本人なのになぜベートーヴェンを弾くんだ」と質問してきたの。
だから、「ベートーヴェンはドイツ人のためだけに音楽をつくったわけじゃないでしょ? 日本人だってドイツ人だって、悲しい時は泣くしうれしい時は笑う。逆のことはしませんよ。人間としてそれを表現しようとすることに異質なことはないでしょ」って言ったわけ。
そのおばさんは納得しないという顔をしていたんだけど、弾き終わって客席を見たら、2階席の真ん中で、盛大に拍手してる人がいる。さっきのおばさんなの(笑)。「ほーら見ろ」って心の中で思ったわ。
—そういう感覚を身に付けて日本に戻っていらして、戸惑うことはございませんでしたか?
室井 それはあるでしょうね。母には、「摩耶子は静かなおとなしいお嬢さんだったのに、なん て強引になっちゃったの?」ってさんざん嘆かれましたもの。
自分の身体の要求には応えている。
「お利口だね、あんたは」って言いながら。
—世界中で演奏活動をされていらして、外国と日本の違いを感じることはございますか?
室井 私は音楽文法と称しているんですが、音楽にはルールがあるんですね。つまり音楽というのは音によってつくられた詩であり小説であり戯曲ですから、音楽文法がなかったら感激的じゃないんですよ。ところが、ある方から「どんなにテクニックがあってもだめですか」と言われて……。それが日本の常識よね。でも、それが常識であっては困るんですよ。
私は(レオニード・)クロイツァーにピアノを習ったんですけれど、怒鳴り散らして怒るわけよ、「ピアノ(p)って言ってるのに何故わからないんだー!」って。彼の言うピアノはいろんなことを含めたピアノなの。ところが、私たちはピアノといったら小さな音という翻訳しか知らない。ピアノなるものの実態を知らないわけ。だから、音を小さくしようと思う。だけど、必然性があって小さくしないで、小さくするというテクニックで小さくするでしょう。だから、彼は日本人が弾くピアノはピアノにならないと怒るのよ。
—テクニックだけではないと。それは今でもですか?
室井 日本では、精神的なものが封印されてしまったのかしらね。これだけ進んでも、その点は変わってないみたい。先人たちが音楽のルールをわからないままに、ピアノは小さくフォルテは強烈にと、技術的なことだけを翻訳しちゃったのね。
音楽というのは感情を表現するものでしょ。そこまではわかっても、文法を知らずにそれを表現するのはとても難しい。ドイツでは、“ある音がある音に行きたがっている”という表現をするんですけど、文法によって次の音が引っ張りだされているんですよ。私は音楽に文法があることを、みんなに教えてあげたいなと思いますね。
—今でも毎日4時間はピアノを弾いてらっしゃるとか。
室井 一日だいたい4時間は弾きますね。コンサートで弾く曲が多いでしょ。ある曲を毎日弾くわけにいかないから、2日弾かないと筋肉が忘れてくれるのね。出た音がその音じゃないでしょというところまではわかるんだけど、どうやってその音を出したかがなかなか戻ってこない。90を過ぎると、やっぱり時間がかかります。
—それにしてもお元気です。頭や指を使ってピアノを弾いているからでしょうか。
室井 わからないですねえ。私は、体操するとか健康食品をとるとか、積極的に何かをするということはないのね。何を食べたらそんなに元気でいられるんですかって、よく聞かれますけど、誰だって好きなものじゃないと食べないでしょ。「お肉が好きなんですね」って言われますけど、好きというよりも集中力を保つためにお肉は必要。私は自分の身体の調子というか要求にはわりに応えているんですよ、「お利口だね、あんたは」なんて言いながらね。ただこの頃は、この身体は祖先の遺伝子が私にくれたんだから、大いに大事にしてやらなきゃと思って、「ありがたき幸せです」なんてご先祖様にお礼を言っています(笑)。
—次のコンサートのご予定は?
室井 来年の1月に東京文化会館でトークコンサートがあります。
—いつまでもお元気で。コンサートを楽しみにしています。
<プロフィール>
むろい まやこ
1921年、東京生まれ。6歳よりピアノを始める。41年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業。45年、ソリストとしてデビュー。56年、モーツァルト「生誕200年記念祭」に日本代表としてウィーンに派遣される。60年、世界最高峰ケンプ教授の推薦でベートーヴェンを4曲並べたリサイタルをベルリンで開催。まれに見る好評でヨーローッパにおける地位の第一歩を築いた。64年にはドイツで出版された「世界150人のピアニスト」で紹介。80年に帰国後も日本を代表する名演奏家として活躍している。
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