HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.89 八面六臂株式会社 代表取締役 松田雅也さん
1 The Face トップインタビュー2015年05月20日号
八面六臂株式会社 代表取締役
松田 雅也さん
京都大学法学部を卒業し、UFJ銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行した。いわゆるエリートコースに乗ったわけだが、わずか1年半で退職。独立系ベンチャーキャピタルへの転職、起業と失敗を経て、総合物流ホールディングスのIT事業立ち上げに実務責任者として関わり、物流×ITプロジェクトを成功させた。このプロジェクトを水産業に応用したのが、ECサービス「八面六臂TM」。新たな起業から5年。飛躍的な伸びをみせている八面六臂株式会社代表取締役の松田雅也さんにお話を伺った。
(インタビュー/津久井 美智江)
産地市場と料理人を結ぶ
生鮮品のプラットフォームをつくる。
—IT(情報技術)を活用して築地市場や産地市場と料理人を結びつける、まったく新しい流通システムを構築されて注目されています。具体的にはどういうシステムなのですか。
松田 たとえば水産物は、築地市場をはじめとする中央卸売市場の流通品情報と各地の産地市場の流通品情報を集積し、商品情報としてアップします。その情報をパソコン、スマホ、タブレット端末などから見た料理人さんから商品の注文を受け、翌日に店舗へ配達するというビジネスです。
一般的に、各地で水揚げされた水産物はまず地場の漁協が管轄する地方卸売市場に集められ、そこから消費地の中央卸売市場(東京で言えば築地市場)に卸され、その後、仲卸や納品業者を経て、ようやく飲食店などのお客様へと渡ります。
このように、流通過程に入る仲介業者が多くなれば、コストもかかるし、何より時間の経過とともに、鮮度も失われます。そこで、ITを駆使した料理人向けの生鮮品のプラットフォームをつくろうと思い、EC(電子商取引)サービス「八面六臂TM」を構築しました。
—2011年にこの事業をスタートして5年目だそうですが、順調に伸びているようですね。
松田 このECサービスでは、FAXなどのアナログな情報提供手段と比較して、大量の商品情報をお客様に提供することができますし、またインターネット特有の相互コミュニケーションによって、少量多品種の注文にも対応できます。特に、既存の流通網では入手が困難だった珍しい魚介類も扱っていますので、お客様はこの1~2年で急増し、おかげさまで首都圏を中心に累計登録1800店にまで増えました。
今後は、事業をさらに大きくするために、青果や精肉、酒類といった取扱商材を増やし、また関東圏内で取引店舗をさらに増やしていきます。
さらに将来的には、自動車メーカーがファイナンス事業を行っているように、流通で蓄えた料理人の方のデータベースをもとに、料理人の方向けの融資事業や海外進出支援事業などを行っていきたいと考えています。
—いろんな展開が考えられるのですね。
松田 はい。いろいろな商売をしてきましたが、衣食住の何かに携われているのは幸せですね。
特に「食」というものは極めて文化的なものであると考えていまして、すなわち、効率を重視した“食べられればいい”みたいなものではなく、限られた人生の中で1回1回の食事を大事にしていきたいと考えています。
ですので、お取引させていただく料理人の方にも「一期一会」の感覚を大事にしていただきたいし、自分たちも食文化を支える流通業でありたい、と思っています。とりあえず何でも売れればいい、とは考えません。
住宅メーカーの物流×ITプロジェクトが成功。
これを機に水産業の接点が生まれる。
—この業界に目をつけたきっかけは。
松田 たまたまのご縁です。大学を出てこんなことをするとは夢にも思っていなかったですし、起業すら考えていませんでした。
—起業すらと言いながら、銀行を1年で辞めてベンチャー企業に転職されていますよね。ある意味起業に近い?
松田 癇癪持ちなんですよ。気に入らないことがあるとすぐ切り替えちゃう。自分の感覚にフィットしないことに時間を費やすのはもったいないでしょう。
とはいえ、世の中そんなにうまくいかなくて、26歳の時に起業した電力購買代理業は失敗しました。お客様からお金をいただくという商売の基本についてよくわかってなかったんですね。
そこで、商売の基本を修業するべく、銀行時代の関係者の紹介で、総合物流ホールディングスのIT部門の新規事業立ち上げに実務責任者として関わることになりました。具体的な事業内容としては、1次通信会社から大量の回線を仕入れ、そこにハードウェアやソフトウェア、各種サービスを組み込むMVNO事業というものでした。
—そこからたまたまで、お魚?
松田 そこに行き着くまでにもう1段階あって(笑)。
その物流会社のメインクライアントの中に大手住宅メーカーがあったんです。当然、家も造っているんですけど、一戸の家をつくるには工程管理が必要で、行程の進捗に合わせて大工さんを手配したり部材を納めたりと、その本質は物流とITなんですよ。その住宅メーカーの物流とITのプロジェクトが業界で評判になったことで、物流とITの専門家のような立場になり、各地に講演に行くようになったんです。その中で、たまたま水産業の方と話をする機会があり、水産物の流通を効率化する手段はないかと相談された。
実際に築地市場などに足を運んで、卸業者に話を聞いたりして、課題は見えていたんですけど、当時はその課題を解決するためのハードウェアとソフトウェアがありませんでした。まだまだ飲食店にパソコンを置いているところは少なかったですからね。もちろん、ザウルスなどのPDA端末やタブレット型のパソコンはありましたが、まだまだ性能が良くなく、端末代も高かった。そして通信コストも高かった。ですので、一旦、時期尚早として事業化はあきらめました。
事業に近道はない。
重き荷を背負うて遠き道を行くが如し。
—改めてこの事業に挑戦しようと思ったのはなぜですか。
松田 2010年7月に結婚して、翌8月に30歳になるんですが、そのときの自分の仕事の仕方を考えた時に、仕事人生のプライドが許さなかったんです。
—何かいやなことがあったのですか。
松田 ありました(笑)。その時、つまりは僕は子会社の責任者だったんですが、株を一切持っていなかった。結局のところ、人事面にしても資金面にしても最終的な権限はありませんでした。あまり多くは語れませんが、面白くない人事施策も本部主導でありました。その中で、これはやりがいがないな、と思い、30歳になったのを機に、もう一度自分自身で会社をやりなおそうと思い、9月末には責任者を辞任して退職し、10月から事業の作り込みを始めました。
—翌年の4月にはサービスを開始されました。順調なスタートですね。
松田 いえいえ。初めは人も雇えませんから一人で全部やっていたんですよ。思い出すとけっこう辛い(笑)。
まず朝4時に起床し、11時ぐらいまで小さなセンターと築地市場を行ったりきたりしながら調達業務と梱包業務、配達業務を行いました。昼に帰ってきて納品書をつくり、シャワーを浴びてスーツに着替え、今度は夕方まで飲食店舗への営業で外回りです。帰ってきてさっと晩御飯を食べて、開発作業や資料作りをしていると、9時ぐらいになりますが、10時を過ぎると、注文や問合せの電話が入ってくる。それを2時ぐらいまで行い、受注の処理や整理をしていると、もう3時ぐらい。そこからちょっと仮眠して、また4時に起きる、毎日がそんな感じでした。
—今は顧客も社員も増えて、だいぶ楽になったのでは?
松田 そうですね。しかしまだまだ仕組みづくりをしないとならないフェーズなので、任せられる人材を育成中です。流通業は、物流の能力もITの能力もいりますし、店舗を開拓する営業力、そして金融力もいる。これをコツコツやらなくてはならないので大変です。失敗もいっぱいあります。いろんな経験を積まなきゃいけない。近道はないですね。「人の一生は重き荷を背負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康)ですね。
—目指す世界を教えてください。
松田 僕らは、単に商品を飲食店に売っている会社ではなく、飲食店の方を通じて食文化を創る会社だと考えています。この思いを国内だけでなく、海外の様々なところに展開をしていきたいと考えています。
—ところで趣味とか自分の好きなことに使う時間はあるのですか?
松田 それはいらないんじゃないでしょうか。たとえば音楽をつくる人がいます。お金のためにつくっている人と、好きでつくっている人とは違いますよね。好きでつくっている人は本当に好きだから、四六時中音楽のことを考えるわけです。仕事の仕方ってどっちかだと思うんです。できれば好きな仕事に出会えたほうが人生は楽しい。時間を忘れて仕事のことを考えられる。結果的にはハードになっているのかもしれませんけど、そんなふうに仕事をしているので、仕事自体が趣味なんだと思います。
<プロフィール>
まつだ まさなり
1980年生まれ、大阪府出身。京都大学法学部卒業後、2004年4月UFJ銀行に入社。2005年10月独立系ベンチャーキャピタル入社後、取締役パートナーを経て、2007年5月、エナジーエージェント株式会社(現八面六臂株式会社)を設立し、代表取締役に就任。 2009年6月第2種通信事業(MVNO)を行うG-モバイル株式会社の取締役に就任し事業拡大に貢献。2010年9月同社取締役を辞任し、2011年4月より、「鮮魚×IT」をテーマにした八面六臂TMサービスを開始。
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