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1 The Face トップインタビュー2014年06月20日号

 
新宿区長 中山弘子さん
信頼関係を築きながら、地道にやり続ける。

新宿区長 中山弘子さん

 2002年、人生は急転、東京都庁を退職。新宿区長選に出馬することになった。都庁入庁以来、“女性初”は付いて回ったが、はたして女性初の区長となった。区長に就任してからは、「歌舞伎町ルネッサンス」を推進し、歌舞伎町のイメージをプラスに変えた。そして今、強くアピールしているのが「夏目漱石の記念施設」の整備。その土地の遺伝子を活かしたまちづくりが大切と話す新宿区長、中山弘子さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

その土地の遺伝子を活かすことが、まちへの愛着と誇りを育てる

—新宿というと歌舞伎町、繁華街というイメージが強いのですが、新宿御苑があったり神宮外苑があったりと、実は緑も多いのですね。

中山 新宿区は、地勢条件からいうと武蔵野台地の東端にあって、江戸の低地と入り組んだ複雑な地形が特徴です。だから坂もたくさんあり、妙正寺川、神田川、外堀といった水辺や、御苑、外苑、都庁の裏の新宿中央公園の緑もたくさんあります。東京の大きな緑地の多くは大名屋敷の跡なんですね。たとえば新宿御苑は信州高遠藩の屋敷地、戸山公園は尾張徳川家の戸山山荘跡です。

 私はまちづくりを進める際に、そのまちの地勢条件、そのまちが持っている歴史や土地の記憶を大切にする、つまり遺伝子(DNA)を活かすことが、まちへの愛着と誇りを育てると思っています。

—区長に就任されてすぐに歌舞伎町ルネッサンスという取り組みを始められました。そこにも遺伝子が活きているのですか。

中山 私が区長に就任した当時は、日本の治安が大変に悪くなったといわれた時期で、歌舞伎町はその代表のようなイメージがありました。そこで、歌舞伎町を誰もが安心して楽しめるまちに再生するために、歌舞伎町ルネッサンス推進協議会を立ち上げてさまざまな取り組みを進めてきました。歌舞伎町ルネッサンスを進める際に重要視したのは、単に犯罪インフラを除去するといった安全安心だけではなく、遺伝子を活かしたまちづくりをするということでした。

新宿東宝ビル(外観イメージ)

新宿東宝ビル(外観イメージ)

 来年の春にはコマ劇場跡地の新宿東宝ビルに12スクリーンを持つ都心最大のシネコンと1000室のホテルがオープンしますが、このまちの歴史はまさに大衆文化、大衆娯楽を発信していくために、戦後につくられたまちだったということです。

 戦後の復興期に、このまちをつくった鈴木喜兵衛さんは、ここに歌舞伎座をもってくることを計画していました。残念ながら戦後の混乱の中で実現はしませんでしたが、歌舞伎町という町名はこのことに由来したものです。

—それで歌舞伎町。確かにコマ劇場は歌舞伎ではなかったかもしれませんが、大衆娯楽の象徴といえましたものね。

中山 平成20年の年末にコマ劇場が閉館すると、やはり来街者は少なくなりました。まちの安全は、多くの人が行き交ってこそ保たれると思います。そこで、歌舞伎町2丁目にある区立大久保公園を、いわゆるシアターパークというような形に整備をしたところ、今はさまざまなイベントで大いに盛り上がっています。最近は食べ物のイベントが盛況で、20万人を超える来街者があります。

 それに、歌舞伎町2丁目にあったラブホテルが、素敵なアーティストホテルなどに生まれ変わって、海外の方にとても人気があるそうです。海外の方にはかつてのイメージがないので、とてもいいホテルだと好評です(笑)。

 

地域が円滑に回っているのは地域の組織のみなさんのおかげ

—新宿区は住むまちとしてはいかがでしょう。

中山 新宿の都市経営を安定させていくためには、納税してくださる方々に住み続けていただけるよう、住宅地としてのクオリティを高めることが大切です。

 落合は緑豊かな住宅地ですし、市ヶ谷の高台などは昔からのお屋敷町です。それに、繁華街も新宿駅周辺だけではなくて、江戸から続く四谷や神楽坂があります。

 また、区内には大学も多く、早稲田大学をはじめ、東京理科大学、工学院大学、医学系の大学も多くて東京医科大学、東京女子医科大学、慶応義塾大学医学部などがあります。

 それから大きな病院も多く、国立国際医療研究センター、大久保病院、東京新宿メディカルセンター(旧東京厚生年金病院)、東京山手メディカルセンター(旧社会保険中央総合病院)など高度医療を担う病院が集積しています。

—そういう意味では住みよいまちですね。

中山 そうですね。実は新宿区は、子どもの出生数が増えているんです。最も少なくなった平成8年度は1638人でしたが、平成25年度は2500人に届こうとしています。

 私は、持続可能なまちになるためには子どもが生まれて育っていくことが大切だと考えているので、子育て支援施策に力を入れ、待機児童対策もかなり早い時期から徹底して取り組んできました。待機児童ゼロ作戦ということで一時26人にまで減らしたのですが、1年間に200人も子どもの出生数が増えた年もあって、うれしい悲鳴なのですが待機児童数も増えてしまい、緊急対策を進めています。

新宿子育てメッセ(26年6月)に参加する中山区長

新宿子育てメッセ(26年6月)に参加する中山区長

—その生まれ育った子どもたちにとって新宿が故郷になっていくわけですね。

中山 新宿のまちは、町会がしっかりしています。新しい転入者が手続きにきた際に「あなたのまちの町会長」という顔写真入りの連絡先を渡して、町会への加入を促しています。町会に入るか入らないかは個々の意志ですが、区としては町会こそが地域コミュニティの核であると考えて支援をしています。マンションが建設された時も「この地域にはこの町会があります」と必ず連絡するシステムをつくっています。

—町会があることすら知らない人も多いと思います。

中山 そうなんです!それでお祭りなど地域の行事になると、こんなに若い夫婦と子どもが地域にいたのか、というくらい参加してくれるようです(笑)。みんなで餅つきをやったりすると楽しいんですよね。

大久保公園のイベント「農山村ふれあい市場」

大久保公園のイベント「農山村ふれあい市場」

 私もいろんな機会で「みなさんライフステージが違って、仕事で忙しくてとても地域のことなんかできないかもしれない。それはそれでいい。でも、町会や消防団や青少年育成委員会など、いろんな地域の団体のみなさんが一生懸命やってくださっているから、地域が円滑に回っていっているということを忘れないでくださいね」と話しています。

—今は忙しくてできないかもしれないけれど、いつか時間ができた時にできることに参加すると いう意識を持ってもらうことは大切ですね。

中山 「自助・共助・公助」といわれますが、新宿区の防災の取り組みは総じてうまくいっているのではないかと思います。区長に就任した時、最初に「現場現実を重視して区政の透明性を高め、区民の皆さんとの協働を進めます」と表明しました。それは行政責任を放棄するということではなく、みんなが個々に努力したり、互いに一緒になってやることが大切であるということです。今も信頼関係を築きながら、地道にやり続けています。

 

“新宿人”夏目漱石の記念施設をみんなでともにつくる

—23区初の女性区長ということで話題になりましたが、政治の世界に興味がおありだったのですか。

中山 その当時は、区長になるとか選挙に出るとか、全く考えたことはありませんでした。

 今にして思うと、行政で仕事をしていた時に、行政は効果的に効率的にもっと柔軟であったほうがいいと思い、少子高齢社会、国際化、情報化、分権化への対応など、時代をとらえて仕事をすべきだと考えていたので、自分で自身の背中を押して、事ここに至ったという感じです。

 ただ、私は以前から新宿のまちは好きでした。群馬の沼田から上京した時、最初に買い物に来たまち、映画を見に来たまちが新宿です。四半世紀住んでいたのが小田急線の代々木八幡のあたりで渋谷区ですが、そこは新宿文化圏でもあります。都庁舎が新宿に来てからは新宿が勤務地ですし、部長になって出先に異動したときも区内にある当時の都立衛生研究所の勤務でしたので、ずっと新宿のまちを見ていました。

 それに、女性初といわれるのに慣れていた部分もあったのと、今までの仕事の中でみなさんに育ててもらった、受け入れてもらった経験から、区政に挑戦することがそんなに怖いものではなかったのかもしれません。

—区のホームページの「区長の部屋」で、「区長マニフェスト施策の達成状況」を発表していますね。AからEで達成度を評価し、今こうですと説明もしている。素晴らしいと思います。

中山 私は行政の中で長く仕事をしてきたので、大切なのは透明性を高めて説明責任をどれだけ果たすかということだと思ってます。

 たとえば、大きい声が正しい声でない場合もあります。サイレント・マジョリティの声も捉えてよく考え、みんなで良いまちをつくることが必要だと考えています。

 そのためには、みんなで基本認識を共有することが第一歩であると思います。実際、人は共感しないと動きませんから、思いを伝えながら一つひとつやっていけたらと思っています。

—その一つが夏目漱石の記念施設の整備なのですか。

中山 意外と知られていないのですが、漱石は新宿で生まれて新宿で没した生粋の新宿人です。漱石の49歳10カ月の生涯で、養子に出されて浅草で過ごした期間、松山、熊本、ロンドンへの留学、千駄木、それ以外は生まれてから亡くなるまでずっと新宿です。ですから漱石の小説の中には新宿の風景がたくさん書き込まれています。

漱石記念館整備予定地にある漱石公園入口の漱石胸像

 それで、漱石生誕150年に当たる平成29年2月の開館を目指して、昨年の7月から全国の漱石ファンに寄付を募っています。もちろん資金を集めるということもありますが、いちばんは「ともにつくろう」ということなのです。

 漱石は現代でも読まれていますし、評論やマンガなど漱石に関するものもすごく多い。だからブックカフェみたいな形で、展示などの基本的な記念館機能は大切にしながら、常に人が交流している活気と発信力のある「私たちの漱石記念館」にしたいと思っています。漱石は国民的文豪ですから、新宿にとどまらず全国に呼びかけているところです。

 

新宿区長 中山弘子さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
なかやま ひろこ
1945年、台湾で生まれる。翌年、父の郷里の群馬県沼田市に引き揚げ、高校卒業まで沼田で育つ。67年、日本女子大学文学部社会福祉学科卒業後、東京都庁入庁。労働行政をふりだしに、子ども・女性行政、消費行政、東京港埋立地の水辺と緑の回復事業、清掃事業、人事委員会、監査等に携わる。2002年10月31日、東京都庁を退職、11月24日、新宿区長就任、23区初の女性区長となる。現在3期目。

 

 

 

 

タグ:新宿区長 中山弘子 歌舞伎町ルネッサンス 新宿東宝ビル 漱石記念館

 

 

 

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