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1 The Face トップインタビュー2014年01月20日号
観世流太鼓方 観世元伯さん
能の囃子の中でも華やかさと強さが印象的な太鼓。その芸を現代に受け継ぎ、守り、伝えていく家に生まれた。稽古を始めたのは4歳の頃。能の世界が大好きで、高校時代は週に3日か4日は能楽堂に通った。きちっとした約束事の中で、いかに自由に表現するか。伝統と真っ正直に、まっすぐに向き合い、芸を極めている観世流太鼓方、観世元伯さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
高校時代は週の3日か4日は能舞台を観に行っていました。
—能を受け継ぐ家に生まれて、小さいころから稽古を始められたと思いますが、抵抗はなかった のですか。
観世 私の場合はまったくなかったですね。小さい頃、母とお風呂に入った時には、母が謡う羽衣を一緒に謡ってから出ていました。上下が女の子だったので、自分が継がなきゃいけないと思っていましたし、最初は飴と鞭の飴ばっかりで、舞台で間違えずにやるとおもちゃを買ってもらったりしましたので。
—お稽古は厳しくなかったんですか?
観世 ぜんぜん厳しくなかったです。4歳から始めたんですが、毎日ではなく、月に3回、父の自宅稽古日に、「お、やるか?」っていうような感じでやっていました。5歳で初舞台だったんですけど、正式な稽古始めは6歳の6月6日からだったと思います。本格的になったのは中学くらいかなあ。亡くなられた寺井政数先生に笛の稽古をしていただくようになって、その頃から養成会にも顔を出すようになり、どんどんのめり込んでいきました。
私は能の世界や舞台を観るのがすごく好きで、高校時代は週の3日か4日は舞台を観に行っていました。学校は玉川学園なんですが、自宅から成城学園までバスで出て、そこから小田急だったんですけども、玉川学園から新宿までの定期を無理やり買ってたんですよ。新宿まで買っておくと、国立に行くのも観世さんの能楽堂に行くのも便利なんです。
—本当にお好きなんですね。
観世 能楽堂の後ろの端っこのほうで観るんですけど、その雰囲気というか、凛とした空間がすごく好きだったんですね。それに、ずっとやっていくからにはうまくなりたいとか、あるいはいろんな舞台を見ておきたい、特にすごいと言われている先生方の舞台は、亡くなる前に観ておきたいとか、そういう思いもありました。
楽屋口から「こんにちは」って入っていくと、「のりちゃん、観てく?」「すいませんね」っていう感じで、今みたいにうるさくなかったんです。中学・高校になると、楽屋のお弁当が余ってると、「食べる?」「いただきます」とかね。
—お能の世界って、もっと上下関係に厳しくてピリピリした雰囲気なのかと思っていました。
観世 もちろん、話す言葉は敬語ですし、踏み込んじゃいけないところに踏み込んだら怒られたでしょうね。ただ父が割合そういうことにうるさかったので、「観させてもらってるという気持ちを忘れるな」といつも言われていました。父に対してもずっと敬語で、家でご飯を食べる時は父が取ってからとか、そういうことが物心ついた時から当たり前だったので、わりと上の人に可愛がっていただいたんだと思います。
で、気がつけばほかの世界では生きていけない体にされてしまっていた(笑)。
約束事がきちんとできている中で、いかに自由に表現するかが醍醐味。
—囃子の中では太鼓がリーダーと言われますね。どういうことなのでしょう。
観世 太鼓がこっちの道に行くって言ったら皆こっちの道に行くし、あっちに行くって言ったらあっちに行くという感じで、要するに太鼓が入った時には、太鼓に決定権があるんです。ですから、うまくいった時は皆のおかげで、悪かったら自分のせいだという責任みたいなものはいつも感じていますし、若い頃からずっと信頼を得られる太鼓方になりたいと思っています。
—こっちに行くとかあっちに行くとは?
観世 ずっと続けているAというパターンを、いつBパターンにするかというタイミングの話です。例えば、Aを3回やって、4回目にBが入るというのが基本だとします。
ところが、謡が長くなったり短くなったりすると、Aを2回にしたり5回にして、Bに入ることになる。その方向チェンジの時っていうのは太鼓の判断なわけです。
—それは、阿吽の呼吸ですか?
観世 阿吽というか、謡を聞いたり舞を見てみたりして、自分のスピードが今このぐらいで舞の人がこういう感覚なら、ここでチェンジした方がいいとか、その指示を出すんです。ジャズじゃないですけど、アバウトなところもあるんです。謡のこのキーワードがきたら、このパターンにするとかね。
—それは、曲によって全部決まっているんですか。
観世 決まっています。能は、それだけ正確に楽譜が残っているんですよ。極端な話、太鼓が東京の人で、大鼓が名古屋で、小鼓が大阪で、笛が九州でも、ちゃんと稽古してる人間が集まれば、1回のリハで何の違和感もなく演奏できます。
—すごい芸術ですね。
観世 約束事の世界なんですよね。右手はこの高さまで上げるのが決まりなのに、自分は手が長いから目立つためにこのくらいまで上げちゃおうというのはありえない。3歩で行くなら3歩で行く、左に6足で回るなら左に6足で回る。自分は右利きだから右に回りたいというのはないわけです。
きちっとした約束事の中でいかに良い舞台にするか。もちろん結果も大事なんですけど、私は結果だけじゃなくプロセスも大事だと考えています。
初めに囃子方が舞台に出ていく時に、いい感じで笛の人が出て、等間隔で鼓が出て、大鼓が出て、適度な緊張を保ちながら座つく。後見も出てきて、きちっとした作法にのっとってやっている。そして、ワキがいい雰囲気で出てくる。そういう約束事がきちんとできている中で、いかに自由に表現するか。能は、広さじゃなくて深さ。そういうものじゃないかと思うんですね。
—約束事があるからこそ、楽しいのかもしれませんね。
観世 それが、すごく楽しいです。だから、性に合ったんでしょうね、お能が。父は、最後は人格だという言い方をしていましたが、どこかで自分を律しておかないといけないと思いますし、やっぱり舞台には芸だけじゃないものが出ますからね。
能の太鼓をきちっと伝える それが自分の役割だと思う。
—伝統を継承する話に戻りますが、お子様は……。
観世 うちは女の子二人なんですよ。養子云々とか言われますが、あまり気にしていません。「 家、家にあらず、継ぐを以て家とす」と思いますから。ただ、「早く結婚して、男の子できたら連れて来い! そのあと別れてもいいから」と言ってるんですけどね(笑)。すると、「えー」とか言うんですよ。「えーとか言うんだったら、お前たちやるか?」「じゃあ考えます」とか言ってますけど(笑)。
娘の血を引いた男の子の孫ができて、僕の跡を継ぐと言った時に、僕がどういうことを言っていたかとか、どういうスタイルで舞台をやっていたかということをきちっと伝えてほしいから、今、弟子たちに徹底的に刷り込んでいるところです。
—お弟子さんは何人いらっしゃるのですか?
観世 2人です。彼らに関しては、僕は預かるときに親御さんに、「食べ方から手紙の書き方か ら能楽社会の仕様にします。体罰じゃないけど、注意して直らない時は手が出ることもあるやもしれません」みたいなことを言いました。
本人には「1回注意したよね、2回目はうっかりミスかもしれない、でも3回目は僕は容赦しないよ」という話をする。要するに「あなたが好きで入ったんだからね」の一言ですよ。来る者は拒まないけど、その代りはっきり物事を言って、「こういう約束だったよね」ときちっとやっています。
—素晴らしい教育方針というか、教育哲学ですね。
観世 可愛いし、うまくなってほしいという思いはもちろんありますが、やはり能の太鼓を受け 継いでもらいたいんですね。だってライバルを手塩にかけて育てるわけですよ。敵対する者を何でそんな必死になって育てるんだと言われますけど、能の太鼓として、きちっとしたものが伝わっている人間が一人でも多くほしい。彼らが、この瀕死の状態の能を少しでも救ってくれるんじゃないか。自分ができることは人を育てることしかないと思っています。先祖の人たちが戦乱とか恐慌とかあった中で守ってきたのに、こんな平和な時代に自分がのほほーんとして、それを途絶えさせてしまっては申し訳ないですからね。
—でもお孫さんが生まれる頃は、まだまだ現役でしょう。
僕は今47歳なんですけれど、手ほどきをしてまともな玄人仕様の稽古に入る頃には、多分60ちょっとになるんですよ。そこから教えきれるか、20年やそこらで全て奥義まで教えられるかって言ったら、ちょっと自信がない。ですから、弟子たちには徹底的に細かく伝えようと は思ってるんです。
歌舞伎とかもそうでしょうけど、僕らも父親や師匠たちからだけ教わるわけではないんですよ。うちの父は早くに父親を亡くしましたから、太鼓のいろんなことを、大鼓の亀井忠雄先生のお父さんの亀井俊雄先生に習ったんです。その俊雄先生は、僕の祖父の元規に皆伝を受けている方で、太鼓のことを習っていたんですね。ある時、俊雄先生が父に、「これで元規先生から習ったことは全部返したからね」と言われたらしいんです。俊雄先生が父にそういうことを教えてくれたように、余所から伝わることもあるんですね。
そのために今、真っ正直に、まっすぐに、言ったこと、教えたものが、きちっと受け継がれるように種をまいているんです。
<プロフィール>
かんぜ もとのり
昭和41年生まれ、東京在住。観世流太鼓方。同流十六世家元観世元信の長男。5才の時、独鼓『老松』で初舞台。東京藝術大学非常勤講師、国立能楽堂研修生講師、公益社団法人能楽協会理事、重要無形文化財総合指定保持者(日本能楽会会員)。
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