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インタビュー
2009年9月20日号
食生活ジャーナリスト 岸朝子さん

「おいしく食べて健康長寿」を心がけ、
ただいま料理記者歴、更新中!

食生活ジャーナリスト

岸 朝子さん

 「食」に関する職業をと、32歳のとき主婦の友社に入社。失業した夫の代わりに家計を助けるためだった。その後、移った女子栄養大学出版部の『栄養と料理』編集長時代には、食べ歩き、器の楽しみなど新しい企画で販売部数を2倍に。70歳のとき“古希の記念”にと出演したフジTV系「料理の鉄人」で、審査員としての的確な批評と「おいしゅうございます」のことばで一躍脚光を浴びた。今も現役で料理記者を続ける岸朝子さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

古希の記念にテレビに出演
料理人のステイタス向上に貢献

―フジTV系の「料理の鉄人」に出演するようになって、「おいしゅうございます」というフレーズとともに一躍有名になりました。生活が一変されたのでは?

 忙しくはなりましたね。でも、そんなに変わったとは思っていません。

 そもそもは、番組に出演する料理人や審査員を紹介したり、相談にのっていたの。「陳建一はどうですか?」「あの人は明るくていいわよ」とかね。主婦の友社時代同僚だった平野雅章さんを紹介したら「ちょっと不気味なところがいい」と決まっちゃったのよ。

―あの番組が終ってもう10年も経つのですね。

 今でも外出すると、にっこり会釈していただいたり、「握手してください」と言われたりします。でもヨボヨボしているから(笑)「まさか?」と思われるんだけど、声を聞くと分かるらしいわ。だから居留守ができないのよ。「ただいま奥様はお出かけです」なんて言っても、しわがれ声でばれちゃう。

―それにしても画期的な番組で、いろんなところに影響を与えましたね。

文化出版局『岸朝子の元気ごはん』より

文化出版局『岸朝子の元気ごはん』より
写真撮影/下村誠
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 それまでは料理人は軽く見られていましたけど、「料理の鉄人」のおかげで、料理人の志望者が増えたそうです。小学生の将来の希望で、料理人は男の子が3位、女の子が1位。女の子の1位には、お菓子屋さんも入っていますけどね。

 それに当時、ソムリエの田崎真也さんが世界一になって、ソムリエ教室が大繁盛して、料理人だけでなくソムリエのステイタスも上がったの。でも、サービスする人はまだまだですね。

―料理人もソムリエも大事ですが、実際に客と接するのはサービスの人ですものね。

 そうよ。だから私文句言うの、「注文を聞くときはちゃんと客の目を見なさい」と。「このお魚おいしいわね、何という魚?」「はい、聞いてまいります」じゃダメなのよ。やっぱり、客に聞かれたときに答えられるよう教育しておかなくちゃいけないと思います。それは、経営者の問題でもあるわね。

 

栄養学は実践するもの
実践して初めて意味のある学問です

―女子栄養学園(現・女子栄養大学)で学ばれましたね。もともと、料理や食べることはお好きだったのですか?

 実は文化学院に行くことに決まっていたの。でも、父が良からぬ噂を聞いてきて入学に反対し、4月に入学予定だったのがダメになって……。

 女子栄養学園に入ったのは、その年の9月のある日、友だちの家でいただいた一切れのおいしいサンドイッチがきっかけなの。一切れのサンドイッチに魅せられて、です。私は昭和16年の秋に入学した「秋組」で、17年の8月の末に卒業したのですが、その1年間で、まったくキレイに洗脳されましたね(笑)。

 女子栄養学園の前身は、当時の国民病であった結核と脚気、特にビタミンB1不足が原因で起こる脚気を胚芽米などの食で改善しようと、香川昇三・綾夫妻が開いた家庭食養研究会でした。それが昭和8年のことです。

 栄養学というのは、病人食とか病態栄養とか、妊産婦の栄養とか、要するに科学的なこと、いかに食べ物が体に大事かということを学ぶわけですが、あくまでも実践あっての学問なんですね。昭和10年には、生徒のテキストから始まった『栄養と料理』という雑誌ができましたが、栄養を考えて、料理を作って、食べて、初めて意味があるんです。

―確かに、本を読んで勉強しても、実際に料理して食べなければ何もならない。しかも、すぐに効果は現れませんからね。

 そう、私たちくらいの歳になってから分かるのよ(笑)。

―見事に証明されているわけですね。ところで最近、食育ということが注目されていますが、実際に役に立っているのでしょうか?

 2005年に食育基本法ができましたが、「食べることにまでお上の指図はいらない」と、私は思っているんです。でも、お上が指図しなければならない時代なんでしょう。病気になる原因が食事にあるということは、はっきり分かっているんですから。

 私は40年くらい前から「食事が悪いと病気になる」と言い続けていて、「女子栄養大学の4群点数法でもいいから、食べ方の方針を広めたらどうか」と提案したことがあるんです。聖路加国際病院の日野原重明先生も、生活習慣病じゃなくて成人病といわれている時代から、「成人病は大人になったらなる病気じゃなく、若いときからの悪い食習慣が積み重なってなる病気だ」と、はっきりおっしゃっていました。

 ところが、ある先生が「そういうのは全体主義だからダメだ」とおっしゃって、取り合ってもらえなかったの。食育基本法なんて、まさに全体主義じゃないですか、ねぇ。

―今、生活習慣病で苦しんでいる人が増えて、医療費が増大して、国の財政を圧迫していますが、40年前からやっていればよかった、ということですね。

 そう。私たち、口を酸っぱくして言ってたんですけどね、遅いですよ。

 

1週間に1回でもいいから
家族揃って食卓を囲んでほしい

―32歳で主婦の友社に入られますが、それまでは優雅な専業主婦でいらしたのですか?

 冗談じゃないわよっ! 戦争も体験したし、育児や食費のためにいろんなものを売ったりしました。婦人参政権が与えられた初めての選挙は、娘をおぶって投票しましたね。

  主婦の友社を受けたのは、職業軍人だった主人が敗戦で失業し、収入がないから。「料理が好きな家庭婦人を求める。できれば子どものいる人」という募集があって、本当は30歳までということだったらしいんですが、私は32歳で受かっちゃった。そのとき妊娠7カ月で、「採るほうも採るほうだけど、受けるほうも受けるほう」と言われてね。今でも伝説として残っています(笑)。

―その後ずっと、編集者、記者として活躍されたわけですね。子育てとの両立は大変だったのでは?

 子どもは、古くからのお手伝いさんに見てもらいました。それから、妹や母にも。

 でも、食事は私が作りましたね。食事だけは手を抜かなかった。

―子どものころにちゃんとした味覚や食習慣を身に付けることは大切ですよね。

 そうですね。人間の味覚は3歳から5歳までに決まると言われますし、性格などにも影響を与えていると思います。

 動物性のたんぱく質源を摂り過ぎるとイラつくのよ。日本人は、もともと肉を食べる習慣がなく、たんぱく質は主に大豆―味噌、醤油、納豆、湯葉―そういうもので摂っていたわけですから。

 それから、核家族化や家庭の崩壊も関係があると思うわね。年寄りを大事にするとか、年寄りからものを習うってことがなくなっている。それから、家族で食卓を囲まないでしょう。食卓っていうのは、会話も大事だし、「同じ釜の飯を食う」という言葉が昔からあるけれど、そういうことで人と人とは通じ合うものだと思うの。あうんの呼吸で、「お茶かな?」と思ったら何も言われなくてもお茶を出すとかね。

 お母さんはもちろん、家族みんなが努力しなくちゃいけないけど、1週間に1回でもいいから、家族揃って食卓を囲むといいと思いますね

―近ごろは、朝ごはんを食べないで学校に行く子どもも多いそうです。どうしてそんなふうになってしまったんでしょう?

 何でもかんでも買って食べられるからよ。私のところに取材に来る出版社の人の中にも、料理を作ったことがないという女性がいるわよ。

 もっとも、近ごろは栄養士そのものがねぇ。料理を作れない栄養士、多いですよ。カロリー計算ばっかりしてて、でもそれはつじつま合わせだから、すごくまずい献立だったりするの。学校給食とか病院の食事は「カロリーが足りないから、これを足して」みたいになっていることがある。

 食事にはバランスってものがあるでしょう。お寿司の後にコーヒーを飲んでもおいしくない。お寿司の後は、やっぱりあんみつとか、お汁粉でしょう。

―では、料理の本を作っている編集者の中には、自分では料理をしない人もいるのですか? 驚きです。

 ある大手広告代理店の女の子の話なんだけど、その子が「ニキビなどの吹き出物ができて困っています。何を食べたらいいでしょうか」と聞くから、「何を食べてるの?」と聞いたの。そうしたら、朝は抜きでしょ、昼はコンビニ弁当かラーメンとかの外食で、料理は作らないから調理道具は何もないって言うわけ。だから、「まずレタスを1つ買って、それを鍋に入れ、コンソメのキューブを1つ入れて、それをコトコト煮込みなさい」と教えたの。「鍋はなかったら1つくらい買いなさい」と言ってね。

 しばらくしたら「ニキビは治りました。料理がおもしろくなりました。毎日レタス食べてます」って言うから、笑っちゃったのよ。「あなた、キャベツだっていいのよ」って。そうこうする内に結婚して、子供も生まれて……。

 その子と同期入社の男性社員が言うには、「あいつは岸さんと知り合うまで、恋人もいなかったんだ」って(笑)。つまり、料理を作るようになったら、ニキビも治って、料理にも興味を持って、恋人ができたと。料理でハートと胃袋を掴んだというわけね。

―料理をすることは少子化対策にもなるわけですね。楽しいお話をどうもありがとうございました。

 勝手なこと言わせてもらって、今日は楽しかったわ。また3カ月くらい長生きしちゃう。でも、しゃべるのにもエネルギー使うのよ(笑)。

 


食生活ジャーナリスト 岸朝子さんプロフィール

撮影/赤羽 真也

<プロフィール>

きし あさこ
1923年(大正12年)、東京生まれ、女子栄養学園(現・女子栄養大学)卒業。32歳のとき主婦の友社に入社。料理記者としてスタートを切る。その後、女子栄養大学出版部に移り、『栄養と料理』の編集長を10年間務める。1979年、エディターズを設立。料理、栄養に関する雑誌や書籍を多数企画、編集する。1993年より、フジTV系「料理の鉄人」に審査委員として出演。1997年、(財)日本食生活文化財団より食生活文化金賞、1998年、沖縄県大宜味村より文化功労賞、1999年、オーストリア政府よりバッカス賞、2006年、フランス農事功労賞シュバリエを受賞。2009年、(社)日本ソムリエ協会ソムリエ・ドヌール受章。著書は『岸朝子のおいしゅうございますね。』『岸朝子の元気ごはん』『岸朝子のおいしい長寿のお取り寄せ』ほか多数。

 

 

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