一本をとることが柔道の醍醐味。
すべての苦労が報われます。
柔道女子78㎏超級選手
塚田真希さん
アテネオリンピックで金メダルを獲った時、アナウンサーの「おめでとうございます」という言葉に「すみません」と応えた、その謙虚な人柄にファンになった人も多いだろう。北京オリンピックでは、残り8秒で中国のトウ・ブン選手の背負い投げに体が浮き、逆転負け。試合後は、「全力を出し切った結果」と、敗北を毅然と受け止め、表彰台ではすがすがしい笑顔を見せた。「体はボロボロ」と言いながらも、最年長で現役を続ける塚田真希さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
「自分自身に負けてる」という
先輩の言葉がなかったら今の私はない
―小さい頃は、家の中で遊ぶことが多い女の子だったそうですが、柔道を始めたきっかけは?
塚田 体を動かすのはあまり好きじゃなかったんですけど、先輩に誘われて中学の時に始めました。
―いきなり体育会系の部活に入って、練習についていくのは大変でしたでしょう。
塚田 中学の頃はほとんど遊び感覚だったので、柔道がキツイと思ったことは一度もなかったですね。
―体が大きいから、それだけで強かったとか。
塚田 いいえ。試合には勝てなかったし、地区大会レベルでも負けていました。「キツイ練習をしてでも勝ちたい」と、そこまで思ってなかったんですね。
―そんな塚田さんが、オリンピックを目指すまでになったのは?
塚田 地元で柔道の名門といわれている高校に入学して、初めて本格的な練習をさせられ、「柔道はキツイ」と実感しました。もともと負けず嫌いなところがあるので、先輩たちに相手にしてもらえないことが情けなくて……。
そんな時に、ある先輩との出会いがあったんです。その先輩は、「柔道は、相手との戦いのまえに、自分との戦いだ」ということを教えてくれました。それまでは、相手に勝つことしか考えていなかったから、勝てなかったんだということがよく分かりました。「自分自身に負けてる」と言われたことは、私にとってすごく大きな出来事でしたね。
そして、相手に勝つことよりも自分に勝たなきゃいけないという気持ちで練習をしているうちに、柔道がおもしろくなってきて、試合にも勝てるようになりました。目標も「全国大会に出てみたい、全国大会に出たら優勝したい」というように、どんどんどんどん高くなっていったんですね。
―その先輩との出会いがなかったら、今の塚田さんはない……。
塚田 そうですね。やっぱり、いろんな人との出会いに支えられて、ここまできたので。
その先輩とは親交もなくなってしまいましたが、あの時の言葉がなかったら、ここまでこれなかったと常に思っています。
―その後は順調に?
塚田 いいえ。大学では勝てない時期がありました。一生懸命練習しても、それを試合で出し切ることができなくて、悶々として、やっていても辛いだけだと思ったりしました。
―そのスランプを乗り越えるきっかけは何だったのですか?
塚田 父親の死です。病気で亡くなる前に、父親からメールをもらって……。それが一番のきっかけになりました。
吹っ切れてない自分がいるから、力を出し切ることができないんだ。できないならできないで別の道を探すくらいの気持ちで、思い切ってやろうと腹をくくりました。私がグチャグチャしてることで、一番悲しむのは父親じゃないかと思って。吹っ切れたら、どんどんよくなっていったんです。
―結局、自分との戦いなんですね。
塚田 そうですね。
目指すは一本をとる柔道
でも、やっぱり勝ちにこだわりたい
―オリンピックは、やはり独特の雰囲気ですか?
塚田 オリンピックは、自分が思っている以上にまわりの人たちが盛り上がっている大きなイベントなので、「普通の大会と一緒だ」「畳の上で力を発揮するだけだ」と、自分に言い聞かせても、知らず知らずのうちに肩に力が入ってしまうところはあります。やっぱりオリンピックは、ほかの大会と全然違うと、終ってみて気づきますね。
―畳に上がる前は、どんなことを考えていらっしゃるのですか?
塚田 去年の北京オリンピック―決勝の時は、「いよいよだな」という気持ちでした。
つらい練習を重ね、長い時間を費やして、今この場にいる。この5分ですべてが決まるんだなっていう……。
―北京オリンピック決勝、中国のトウ・ブン選手との試合は、本当に残念でした。もう少しで勝てる、あと8秒というところで背負い投げ……。インタビューのときは涙を流されましたが、表彰台ではニコニコなさっていて、たぶん日本全国の人が塚田さんファンになったんじゃないかと思います。
塚田 負けた直後は、「これで私のオリンピックは終ったな」という気持ちが第一でした。正直、負けたのか勝ったのか整理つかないくらい頭の中が真っ白で、セコンドの先生がガックリ肩を落としているのを見て、「ああ、負けるってこういうことなんだな」と分かって、こみ上げてきてしまったんですよ。でも表彰台に上がるまでの時間に、まわりの人たちが落ち込んで泣いている姿を見たら、もう私自身は笑うしかない気がして(笑)。
表彰台に上がったら、日本の国旗を持った応援団の人たちが、すごく一生懸命手を振ってくれていたんです。海外で試合をしているにもかかわらず、こんなにたくさんの人が応援に来てくれて、あんなに一生懸命手を振ってくれている。私も表彰台に立ったんだから、楽しまなきゃいけないって思ったら、自然とああいう風に……。
―アテネオリンピックで金メダルを獲った時と同じような、晴れ晴れとした笑顔でした。
塚田 アテネの時は、ちょっとラッキーだったと思っていて、ほかの金メダリストの人たちと一緒に並ぶと、気が引けてしまった部分があったんです。北京では、それを全部しっかり返す気持ちで、思い切って試合しました。負けてしまったけど、全然恥じることないと思っています。
だから、北京から帰ってきた時に、まわりの人から「勇気づけられた」「ありがとう」と言われて、私も感激しました。初めてだったんですよね、そういう風に言われたのが。自分自身は、オリンピックで勝ちたくて、ただ自分のためだけに一生懸命やっているだけなのに、みんなに感謝されるなんて……。北京の銀メダルは、私にとって大きな財産になりましたね。
―柔道もJUDOと言われるようになって、ルールも変わってきていますね。塚田さんの目指す柔道とはどんなかたちですか。
塚田 みんなそうだと思いますが、一本をとる柔道です。でも、やっぱり勝ちにこだわって試合したいです。北京オリンピックでの経験もありますし、勝ってこその世界なので、今はそのための練習をしています。
―柔道の魅力って、どういうところでしょう?
塚田 やっぱり、一本とった時の爽快感が、一番の醍醐味ですね。柔道は、練習は本当にキツイし、ケガも大変だし、夏は道着が暑いし(笑)、大変なことだらけなんですけど、一本とった時や勝った時に、すべて報われるんです。
それから、負ける痛みだとかケガする痛みを知って、他人に対して親切になれたことも私にとっては柔道の魅力だと思います。
趣味はドライブ
湘南とか箱根に行ってます
―今は、ひとり暮らしですか?
塚田 はい。ひとり暮らしです。
―お休みは、どんなことをして過ごしてらっしゃるんですか?
塚田 ひとりで、ボーっと(笑)。ゆっくりしっかり寝て、寝だめするって感じですかね。
―趣味は?
塚田 ドライブです。海が近いので、湘南とか箱根に行ったりしています。
―おひとりで?
塚田 いやっ。友だちと、です! ひとりでどこかへ行くほどの行動力はないので、ひとりでどこかへ行けるくらいの行動力をつけたいんですけど。
―買物もお好きとか?
塚田 買物もすごい好きなんですけど、でも「買物は趣味です」って言うのも、ちょっと味気ないなと思って(笑)。だから、何かを買いに出かけるというより、ドライブに行ったついでに買物をするというか、何かおいしいもの食べに行くというか。
―目的はおいしいものですね。
塚田 ええ、それです(笑)。
―現役を引退した後のことは、考えていらっしゃいますか?
塚田 私、今27歳で、全日本女子柔道の最年長なんですよ。一緒にがんばってきた仲間たちが引退して、みんな次の人生をスタートしているんですけど、私はまだ、全然考えられなくて。
柔道の練習はケガがつきものですし、普通の人と違って追い込んでいる体なので、年齢に関係なくボロボロなんですね。第2の人生のスタートが、もうボロボロ(笑)。
―第2の人生、引退してからゆっくり考えたらいいですよ。その時にきっとまた新たな出会いがあります。白馬に乗った王子様が現れるとか。
塚田 アハハ。それ、一番いいです。
―でも、目の前の目標は、8月26日からオランダのロッテルダムで開かれる世界柔道選手権大会ですね。応援しています。
塚田 ありがとうございます。あくまでも、金メダルを獲るという気持ちでのぞもうと思っています。
<プロフィール>
つかだ まき
1982年、茨城県生まれ。綜合警備保障所属。柔道女子78㎏超級、四段。東海大学卒業。主な成績は、2009年ロシア国際優勝、皇后盃全日本女子柔道選手権大会優勝(大会8連覇)、全日本柔道選抜体重別選手権大会準優勝。2008年、北京オリンピック銀メダル。2007年、世界柔道選手権大会「無差別級」優勝、「78㎏超級」準優勝、フランス国際優勝。2004年、アテネオリンピック金メダルほか