日本の国のブランド価値を再発見し、温かく迎える姿を見せることが大切
藤田観光株式会社 取締役会長
森本昌憲さん
教員と公務員に囲まれた環境に育った。違う世界に行きたいと、縁あって観光業界へと進んだ。スタートはベルボーイ。何度となくやめようと思ったが、客のリアクションがストーレートに返ってくる仕事に喜びを感じるようになった。結果的には相性が良かったのだろう。日本のフラッグシップホテルが期待されるホテル椿山荘東京を擁する藤田観光のトップに上り詰めた。日本の観光業のあり方について同社取締役会長の森本昌憲さんにうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
健全な憩いの場と温かいサービスを提供したいという想いからスタート
―藤田観光は箱根小涌園や椿山荘など、すばらしい歴史のある施設を擁する、日本のレジャー産業の草分け的存在でいらっしゃいますが、元をたどれば明治時代の鉱山業が始まりとか。
森本 当社の歴史は明治2年、山口県萩の生まれの藤田伝三郎翁が創業した藤田伝三郎商社にまで遡ることができます。
明治維新を経て、伝三郎翁は「事業を通じ日本の成長に貢献したい」と考え、鉱山業、土木建築業、紡績業などの先駆的な事業を興しました。その後、秋田の官営小坂鉱山の払い下げを受けたのをきっかけに、鉱山業を本格化します。
小坂に康楽館という日本で最古の芝居小屋がありますが、それは、鉱山で働く人たちの憩いの場としてつくられたものです。
―働く人たちを楽しませながら、企業というコミュニティをつくるという精神は、その当時から持っていらしたんですね。
森本 そうですね。その後、藤田伝三郎商社は、明治14年に藤田組に改組します。また、伝三郎翁の甥にあたる久原房之助が小坂鉱山を大きくして日立グループを、房之助の義理の兄にあたる鮎川義助が日産グループを興します。そのような流れもあり、大正初期には、藤田組は、三井、三菱、住友などと肩を並べるほどの勢力を誇っていました。戦後の財閥解体により、主力鉱山を同和鉱業(株)(現・DOWAホールディングス)が引き継ぎ、藤田観光(当時は藤田興業)は、藤田家が持っていた土地や建物などの資産を受け継いで観光事業を始めました。
当社の創業者である小川栄一は、戦争で傷ついた人たちや日本の再興に尽くそうとしている人たちに、「健全で、しかも安価な、憩いの場と温かいサービスを提供したい」という想いを持ちました。それは今なお社是として引き継がれています。
事業としてのスタートは箱根でした。それまで高級な保養地とされていた箱根を、誰もが日帰りでも行ける観光地にしようと、小涌谷にある藤田家の別荘を旅館として開放し、昭和23年、「箱根小涌園」として観光事業の第一歩を踏み出しました。その後、昭和27年に明治の元勲山縣有朋公の邸宅だった「椿山荘」をレストランとして開業。この二つが藤田観光のルーツになっています。
ホスピタリティはマネジメントできるが
おもてなしはマネジメントできない?
―去年の12月いっぱいでフォーシーズンズとの提携を解消し、ホテル椿山荘東京として新たにスタートされました。今後はどのようなホテルを目指すのですか。
森本 フォーシーズンズホテルズ&リゾーツ社と提携したのが20年前。その頃、外資系のホテルは、こことパークハイアット、ウェスティンの3つだけでした。開業当時、世界に23しかなかったフォーシーズンズも、アジア・パシフィックを中心に現在は90以上に増えました。ここ椿山荘東京での成功があったことも寄与しているのではないでしょうか。
さらに、平成17年をピークに東京のミッドタウンにも、次々と外資系ホテルが進出してきました。そうなってくると、そこで過ごすことのできる「時間」や「空間の広がり」が大事になってくると思います。
ホテル椿山荘東京には、他のホテルにはない庭園があります。バンコクのオリエンタル、シンガポールのラッフルズのように、名前だけで場所と雰囲気を伝えることができるようなホテルにしていきたいと思っています。
―椿山荘といえば日本庭園が有名です。まさに東京の、日本のフラッグシップホテルにふさわしい!
森本 この約2万坪の庭園は3年間かけて、じっくりと手入れをしてまいりました。シンボルである三重塔の耐震工事や葺き替えも終わりました。それから昨年末には、ホテルの屋上に空中庭園「セレニティ・ガーデン」を新設しました。屋外のため開放感があり、広大な庭園が一望できます。パーティーやウエディング、セレモニーなどもできますので、ほかの会場以上に満足していただけると確信しています。後は、こちらで過ごして楽しかった、よかったと思っていただける場づくり、時間づくりが大切だと思っています。
―外資系ホテルとの提携から学ばれたことはございますか。
森本 外資系の名門ホテルは、恐らく同じようなスタンダードがあると思いますが、その根本は、日本の高級旅館の女将さんの頭の中にある「おもてなし」であり、「ホスピタリティ」は、その知識と智恵のようなものを練り上げて形にしたものとも言えます。形となった「ホスピタリティ」はマネジメントできるけれど、「おもてなし」はマネジメントできないということでしょうか。
―なるほど。わかるような気がします。
森本 文化の違いもありました。例えば、日本人は自動ドアにすることがサービスだと考えますが、彼らはドアマンがその都度開けるのがお客様との接点であり、サービスであると考えます。要するに、お客様が何を求めているのかを理解し、スタッフが案内するのがサービスだと考える。しかしそれは、旅館でやっていたことと一緒なんですよ。
欧米の方はそれを仕組みとシステムにつくり上げるのがうまいですね。フォーシーズンズでは、それを日々行動に表わすためにアルファベットの頭文字をとって極めて単純化したSERVICE(サービス)というのがあります。SはSmile、EはEye contact、RはRecognitionでお客様のことをよく認識しています、VはVoiceで声に出して近づいていこう、IはInformedで私たちはお客様が知ろうとされていることは全部知っています、CはCleanですが日本ではCare、EはExceedでお客様の期待を超える。
私たちも以前から日本語で「笑顔」、「挨拶」、「清潔」、「迅速」の4つを行動の原則にしていましたが、行動を単純化して集約していくとフォーシーズンズとほぼ同じようなマニュアルと行動になりました。そこから先はマニュアルで縛らず、自分の判断で動けるようになっていくことが大切ですね。
観光は確実に消費を生む
東京の成長を支える最大の事業
―日本は観光立国を目指すとしていますが、なかなかうまくいっていません。
森本 日本は、イタリアと並んで「行ってみたい魅力ある国」の1位か2位です。イタリアは確かにローマを中心に大勢の人が行っています。
ところが日本は、海外からの観光客数は世界35位から39位。魅力を感じているのに、実際に訪れている方の数は少ないのが実情です。
―ということは、すごく伸びしろがあるということですね。
森本 観光は、東京ひいては日本の成長を支える最大の事業だと思います。もっと海外の人、あるいは全国から東京に来てもらって交流し、楽しんで、お金を落としてもらう。これほど確実な経済行為はないと思います。ところが、東京もそうですけど、その土地、そこに住んでいる人たちの魅力が発せられていないように見受けられます。
今年は観光立国宣言から10年。海外からの誘客1000万人達成に向けて施策が進められています。中でもプロモーションの強化については、従来のガイドブックやパンフレットではなく、ITの積極導入・活用が必要だと思います。今や人々は、完全にソーシャルメディアをもとに動いています。印刷物からITメディアへプロモーションの仕方を切り替えないといけないでしょう。
―アイデアはございますか。
森本 ヨーロッパ各国の人は日本をどう見て、どう動いているのか、中国、アジアの人はどうなのかを知ることだと思います。そのためには、プロモーションは、外国の人がやるほうがいい。それぞれの国の人の感性で、東京の魅力を切り取ってもらい発信する。例えば、留学生を対象に、日本の魅力を自分の国にどう伝えるかというプロモーションのコンテストを開催するのもいいでしょう。外国人の目線で東京の魅力を発見してもらうことが重要かと思います。
―今は女性の時代だから、女性の目線で物をつくることが大事だとよくいわれますが、これと同じことが観光にもいえるのですね。
森本 それから、私たちが日々、外国のお客様と接していて感じるのは、皆様が異国の地で、如何に不安で緊張して動いていらっしゃるかということです。成田や羽田に到着した時、また街中においても、分りやすいインフォメーションセンターがほとんどない状況です。そこで提案ですが、交番をインフォメーションセンターにしてはどうでしょうか。交番は安全かつ、比較的目立つところにありますから、そこにボランティアの方が行き、タブレットを持って案内をする。さらにいえば、郵便局がインフォメーションセンターにもなってもいいかもしれません。新たに何かを作ろうとすると大変ですが、今あるネットワークを利用して、そこに人を配置すれば一気に数が増えますでしょう。これで、観光客の本当のニーズがわかるようにもなるはずです。
政治も社会も観光というと、旅行業者や旅館・ホテルに限った業界の話として捉えてしまいます。しかし、観光業はさまざまな業界に関係していますから、すべての省庁に横串をさしてやらないとできません。でも、それだけやれることはいっぱいあるわけです。
先述しましたが、海外の人から見て日本は、行ってみたい魅力のある国=ジャパンプレミアムがあるということ。まずは日本という国のブランド価値を我々自身が再発見し、「ウェルカム」と迎える姿を見せることが大切でしょうね。
<プロフィール>
もりもと まさのり
1946年、京都府綾部市生まれ。69年、北九州大学(現・北九州市立大学)外国語学部卒業後、藤田観光株式会社に入社。箱根ホテル小涌園ベルボーイ、フロント担当等を経て、マレーシア、クアラルンプールのホテル副総支配人で出向。取締役リゾート事業部箱根小涌園総支配人、常務取締役グループ事業戦略担当、2007年、代表取締役社長を経て12年より取締役会長。東京商工会議所議員、経済同友会幹事、国際観光レストラン協会理事、日本ホテル協会委員