HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.19 棋士 二十四世本因坊 石田秀芳さん 
インタビュー
2009年7月20日号
棋士 二十四世本因坊 石田秀芳さん

プロが全力で取り組んでも分からない
碁は、ずば抜けてすばらしいゲーム

棋士 二十四世本因坊

石田秀芳さん

 8歳でその才能を見出され、9歳で木谷實九段に入門。22歳のとき史上最年少で本因坊となり、以後5連覇を果たす。棋聖、名人、本因坊の三大タイトル獲得の最年少記録は未だ破られていない。正確な計算と形勢判断により“コンピュータ”の異名を取る二十四世本因坊石田秀芳さんに、碁の魅力をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

木谷先生のところに
入れてくれた父親に感謝です

―碁に興味を持ったきっかけは?

石田 小学2年生、8歳のときに、あまり腕白なので「碁を教えたらおとなしくなるのでは」と、碁が好きだった父親に教え込まれたようなものです(笑)。私は男5人兄弟の4番目で、長兄も次兄も教えられたそうですが、好みじゃなかったのか続かなかった。

 愛知県の田舎ですが、昔の家庭というのは碁盤も将棋盤もたいていあり、近所のおじさんたちがよく碁を打ちに来るような環境でした。

―9歳のときに木谷實九段の内弟子になられました。

石田 子どもですから、覚えるのも早いし、大人から見ると上達が早いわけです。「もしかしたら才能があるんじゃないか」とみんなに言われ、父親が、「プロにするからには自分が好きな木谷先生に見ていただきたい」と、名古屋の然る方にお願いして見ていただくことになりました。

 小学3年の6月に名古屋で見ていただいたのが試験みたいなもので、夏休みには平塚の先生のところに預かっていただきました。そして、いったん家に戻って、秋から先生の旅行に同道し、そのまま正式に内弟子ということになりました。

 よくぞ木谷先生のところに入れてくれたと、それは父親に感謝ですね。

―親元を離れて、さびしくはありませんでしたか。

石田 今は住宅事情がありますから、大勢の住み込みの内弟子を持つのは大変ですが、平塚のお住まいは広かったので、少々の人数を預かっても大丈夫。借地でしたが700坪くらいありました。今思い返しても、あんなに環境のいい場所はなかったですね。

 平塚の木谷道場は歴史が長いですから、学校側も理解してくれていて、道場の弟子たちには自由にグラウンドを使わせてくれたんです。弟子には小学生も中学生もいますから、帰る時間はまちまちですが、みんなが揃うとグラウンドに運動に行っていました。

 1961年に四谷に道場を開くことになり、私も中学2年から四谷の学校に移ったのですが、そこも話の分かる校長で「いつでもグラウンドを使っていい」と言っていただいた。ただ、卒業して4、5年も経つと校長も変わり、知っている先生も少なくなって、使いにくくなってしまった。そこで、その後は上智大学のグラウンドを、上智の学生のような顔をして使っていました(笑)。

―碁も体力がいるのですか

石田 2日制のタイトル戦と1日制のタイトル戦がありまして、2日制ですと、今は持ち時間が一人8時間ですから、2日で16時間。私が勝っていた頃は一人10時間ですから、2日で20時間です。終局は2日目の深夜12時くらいになる。その頃はまだ20代ですが、やはりへとへとになりましたね。

 木谷先生の方針は、まず身体づくり。特に食事と運動は大事にされていて、「頭は時間さえかければ大丈夫だが、身体づくりはある程度の歳までにきちんとつくっておかなければならない」とよく言われました。平塚の5年、四谷の10年は、とにかく身体を動かしていました。それはとても役に立ったと思います。

 スポーツは心技体といわれますが、棋士も心技体が揃っていないと、やはりなかなか勝ちきれないですね。

―碁の指導はどうだったのですか。

石田 先生自身は直接まったく教えません。内弟子が常時10人ちょっといまして、プロになる気持ちがそんなにない通いの子が5人くらい。その中でクラス分けをして、リーグ戦でお互いが磨きあう。先輩たちはプロになっている人もいますし、プロに近い人たちですから、そういう中で鍛えられるんです。その先輩たちも、かつてはその先輩に鍛えられた。その繰り返しです。

 

世の中に一つくらいコンピュータに
負けないゲームがあってもいい

―碁は、いろんなゲームの中で考えられる局面数が桁はずれに多いといいます。

石田 10の700乗、要するに700桁の局面があるとされています。700桁というのは、およそ世の中にありえない数字。大宇宙をもしのぐ世界が、縦横19本の線が引かれただけの碁盤に広がっている。

第30期本因坊戦第7局石田秀芳―坂田栄永寿戦

第30期本因坊戦第7局石田秀芳―坂田栄永寿戦 写真提供/(財)日本棋院

 私はプロになって45年になりますが、碁はいくらやっても分からないゲームです。おそらく神様が100分かっているとすると、まあ人間は2か3くらいしか分かっていないでしょう。木谷先生が、亡くなる少し前に「弟子どもは幸せだ。考えても考えても分からないゲームに挑戦できる」と言いましたが、プロが全力で取り組んでもまったく答えが分からない、図抜けてすばらしいゲームなんですね。

―考えても分からないとは、どういうことなのでしょう。

第30期本因坊戦第7局石田秀芳―坂田栄永寿戦

第30期本因坊戦第7局石田秀芳―坂田栄永寿戦 写真提供/(財)日本棋院

石田 チェスや将棋は、あらかじめ駒の役割とか強さ、スタートの位置が決まっています。しかし碁石は、白も黒も同じ価値で、自分でそれぞれの石に価値を与えていく。その価値も状況が変われば、まったく変えられるんです。しかも、ゼロのところから、好きなところに石を置いてかまわない。

―非常に制約が少ない。

石田 それから、碁は、敵を倒すのではなく、陣地を取るゲームですから、陣地が少ないほうは戦いをしかけなければならない。

 難しいのは、今この場で自分のほうが優勢なのか劣勢なのかを判断すること。戦う能力やテクニックはそんなに変わりませんから、陣地を広げるためには、絶えず変化する状況を見極め、優劣によって作戦を変えなければならない。常に大勢を判断し、自分で作戦を立てていくのが碁というゲームです。その辺が面白いところであり、難しいところでもあるんですね

―戦国時代の武将が、戦形として碁を学んだというのも理解できます。

石田 碁のプロ制度は江戸時代、徳川家康の頃にスタートしたんですが、初代の囲碁のチャンピオンは、信長にも秀吉にも家康にも碁を教えています。ちなみに、このチャンピオンは将棋も圧倒的に強かった。将棋のチャンピオンよりも強かったんです。そこで、一人が囲碁と将棋、両方のチャンピオンというのは良くないと、将棋のタイトルを譲った。だから囲碁将棋なんです。

――ところで、10年くらい前にスーパーコンピュータがチェスのチャンピオンを負かしました。将棋もプロのレベルに近づきつつあるようですが、囲碁はいかがですか。

石田 幸せなことに、碁にはぜんぜん歯が立ちません。コンピュータの性能は年々上がっていますが、プログラムをつくる側が、どうやってプログラミングしていいか分からないといっているほどですから。世の中に一つくらいコンピュータに負けないゲームがあってもいいのではないでしょうか。

 

勝ち負けにこだわるよりも、
いい試合ができた満足感を味わう

―自分で考える要素がいっぱいある碁は、教育に取り入れてもよさそうなものです。

プロの碁は真上から見ると、碁盤の模様が美しいという

プロの碁は真上から見ると、碁盤の模様が美しいという

石田 10年近く前に『ヒカルの碁』という漫画が流行りまして、アニメにもなったんです。漫画の影響力はすごくて、2000人台だった高校選手権の全国の予選参加者が、5000人に増えたほどで、碁に興味を持った子どもたちが、学校に囲碁部をつくってほしいという要望もずいぶんあったようです。ところが、教える先生がいないんですね。しかも、学校もPTAも、碁は単なるゲームという認識ですから、「何で学校に単なる遊びを取り入れなきゃいけないんだ」となってしまう。

 先生に碁を教える運動もやっていますし、教えに行くスタッフはいくらでもいるんです。東京都だけで、普及指導員の肩書きを持った人は50人くらいますし、教員OBが多いですから、学校に入りやすいはずなんですけれど……。

―碁はコンピュータもかなわない優秀なゲームであると、もっとアピールしなければ。

石田 大学でも高校でも中学でも、選手権に出てくるのはみんな進学校で、優秀な生徒が多いんです。でも、碁をやったから頭が良くなったとは誰も言わない。もともと出来のいいやつが碁をやっただけという認識なんですね。ですから、碁のおかげで頭が良くなったという図式に早くしたい(笑)。

―教育現場に言いたいことは?

石田 一つは順位や優劣をつけないのはおかしいということ。差別につながるということなのかもしれませんが、偏差値なんてまさに差別ですよね。どこか勘違いしている。

 人は人生において必ず勝ち負けがあります。負けたときの悔しさとか、勝ったときに相手にどう接するかとか、子どもの頃から経験しておくのは大切だと思います。そして、スポーツでもゲームでも、勝ち負けにこだわるよりも、いい試合ができたかどうかが重要。いい試合ができたときは満足感があるということを覚えほしいですね。

 それから、世の中は必ずしも回答があるわけではないということを知ってほしい。ただ覚えるだけのテストなんて面白くないと思うんですよね、受けるほうも出すほうも。自分で考えて、自分なりの答えを出すような授業があっていいと思います。

―将来やりたいことは?

石田 やはり、可能性のある子どもたちに碁を教える環境を整えることです。  子どもなら、将棋は1週間あればかなりさせるようになります。でも、碁は1カ月はかかる。残念ながらちょっとだけ難しい。だからこそ、頭の柔らかい子どものうちに、難しい碁に挑戦してほしい。その面白さが分かったら、ほかのゲームには戻れないくらい奥深い魅力があるゲームなのですから。

 


棋士 二十四世本因坊 石田秀芳さんプロフィール

撮影/加藤 ゆみ子

<プロフィール>

いしだ しゅうほう
本名:石田芳夫。1948年8月15日、愛知県生まれ。1957年、木谷實九段に入門。1963年入段、1974年九段。1971年第26期本因坊、五連覇。1974年第13期名人。第22期王座、通算2期。1984年第10期天元。タイトル獲得数24。秀哉賞3回受賞。「コンピュータ」の異名を取る。門下に高橋秀夫七段。平成2008年本因坊秀芳を名乗る

 

 

東京都自治体リンク
LIXIL
プロバンス
光学技術で世界に貢献するKIMMON BRAND
ビデオセキュリティ
レストラン アルゴ
株式会社キズナジャパン
ナカ工業株式会社
東京スカイツリー
東日本環境アクセス
株式会社野村不動産 PROUD
三井不動産 三井のすまい
株式会社 E.I.エンジニアリング
株式会社イーアクティブグループ
株式会社ウィザード・アール・ディ・アイ
 
都政新聞株式会社
編集室
東京都新宿区早稲田鶴巻町308-3-101
TEL 03-5155-9215
FAX 03-5155-9217