HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.54 (株)平成プロジェクト代表取締役 益田祐美子さん
インタビュー
2012年6月20日号

 

株式会社平成プロジェクト代表取締役 益田祐美子さん

伝統技術や人の思いを
映像を通じて次代へつなぎたい。

映画・コンテンツ製作プロデューサー
株式会社平成プロジェクト代表取締役

益田 祐美子さん

 娘との約束を果たすために、ある日突然映画のプロデューサーに! 1億5000万円集めた主婦は、実は大学の卒業論文が商品研究大賞を受賞、新婚旅行費用のために応募した通産省エネルギー大賞でも優秀賞を受賞というスーパーウーマンだった。どんなパワフルな方かと思いきや、目の前に現れたのは実にかわいらしい女性。“夢は大きく、志は高く、仕事は楽しく”がモットーの平成プロジェクト代表取締役、益田祐美子さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

国も宗教も経済も対立するが文化は国境のないコミュニケーションツール

—ひょんなことから映画のプロデューサーになった、非常にパワフルでチャーミングなオバサン(失礼!)がいるといううわさを耳にしていまして、お会いするのを楽しみにしておりました。その、ひょんなことというのは何だったのですか。

益田 2000年4月、当時小学4年生だったひとり娘が、ある映画のオーディションに受かって、私もステージママとしてロケ地の青森まで付き添って行ったんですね。
 初めのうちこそわくわくしていましたが、撮影現場は寒いし、とにかく待たされる。しかも親が不倫して子供が耐えるという内容で、「こんな映画はいやだ、私降りる」と娘が言い出したんです。
 ここで降りては皆さんにご迷惑をかけることになるので、「ママ貯金があるから、それであなたが主役の映画を作ってあげる。だからこの現場はやり通しなさい」と言っちゃったの。
 何とか撮影を終えて帰ってきて、映画が完成したところで、娘が「ママ、私との約束どうなった?」と。それが映画の世界へ入るきっかけです。

—貯金はいくらくらいあったのですか。

益田 3000万円。

—失礼ですがそれは遺産か何か?

益田 いいえ、株です。その話をすると長くなるのですが……。

—どうぞどうぞ。

益田 岐阜で結婚して間もなく、主人が東京に転勤になったんですね。空いている時間に何をやろうか考えていた時に、ある月刊誌から、新商品の開発と消費者の立場に立った生活情報を紹介する記者のオファーをいただいたんです。
 ところが、仕事を始めて1ヶ月くらいで会社が倒産の危機に。出版社というのは2回不渡りを出しても営業は続けていけるんですね。私は主人のお給料で食べていけますでしょう。給料は要らないから自分に書かせてくれと頼んで、新商品と企業の取材を続けたんです。
 そして、「(当時の)クリニーク化粧品のアレルギーテスト済みというのは嘘だ」とか「(当時の)テルモの電子体温計が信じられない消費者」といった、いわゆる内部告発のようなことも含め、是は是、非は非という記事を書ききったんです。
 そのうちに、医療用具メーカーや化粧品メーカーがスポンサーにつくようになって、赤字だった出版社が、2年間で3000万くらいの黒字になっちゃった。そこで会社組織にすることになり、株を半分もらったんです。それが3000万の貯金で、『風の絨毯』の原資です。
 もっとも、機材やキャストにこだわっているうちに、予算は1億5000万に膨れ上がってしまったんですけどね。

『風の絨毯』監督のタブリーズィーさんと主演の柳生美結さん、榎木孝明さん

—子供との約束を守るためとはいえ、実際に映画を作ってしまうとはすごいですね。

益田 だから、この映画で儲けようという気持ちは全然なくて、むしろイランと映画をつくっている間に、国も宗教も経済も対立するけれど、文化は国境のないコミュニケーションツールだということを学びました。

 

三國連太郎さんから言われました
「だんながすごい、感謝しなさい」って

—それにしてもいきなり海外、しかもイランとの合作でしょう。どうしてイランだったのですか。

益田 最初は東宝とか東映とかいろいろ行ったんですよ。でも、経験がないからと相手にされない。日本では無理だなと思っていた時に、子供を主役にしたイランの映画『運動靴と赤い金魚』がアカデミー賞外国映画賞をとったことを思い出したんです。それでイランに飛んで、『運動靴~』のマジッド・マジディ監督にお会いし、「自分は映画が作りたい」と話をしました。
 日本の場合は、「誰が監督だ」とか「誰が出るんだ」とか、そんなことばっかり聞かれたのに、マジディ監督に紹介されたカマル・タブリーズィー監督は「どういうお話?」と聞くんですね。私が「子供が主役で、文化を縦軸にする映画をつくりたい」と話すと、「いいお話ですね、つくりましょう」と。その場で契約して、契約金を置いて帰ってきました。

—すごい行動力ですね。ところで、不足の1億2000万円はどうされたのですか。

映画『築城せよ!』のスタッフと

映画『築城せよ!』のスタッフと

益田 企業からの協賛です。映画協賛に慣れていなくて、作品に関わりのある企業からせめて行きました。
 協賛をお願いする場合、企業のトップにお会いしますよね。雑誌の取材と同じように、その会社のことを全部調べるのはもちろん、世界の情勢も全部頭に入れて、でもそういうことは表に出さないで、ニコニコしながら懐にはいっていきました(笑)。
 「何も分からないんです、教えて」と言うと、相手はいい気持ちになってどんどんしゃべってくれます。そのうちに心の扉が開き、その開いたところに、ウィルスのように入り込んで増殖するの(笑)。
 そうやって、どんどんスポンサーの和を広げていきました。

—忙しくなられて、ご主人から何も言われませんでしたか。

益田 「映画は危険だ。家をとられるかもしれないし、家庭が崩壊するから止めろ」と、ずっと言われていました。ところが、オーディションの最終審査を控えたある日、娘が「パパとママに話がある」と切り出したんです。
 「オーディションは棄権する。この映画はママがプロデューサーでしょう。もし私が主役に選ばれたら、贔屓されたって思われる。落ちたら落ちたで、ママも私もいやな思いをする。だからママは審査に加わって、いい子を選んでほしい。私は裏方で手伝うから、いい映画にして絶対ヒットさせて」と。
 それを聞いて夫は涙ボロボロ。それまで反対勢力だったのがサポーターに回ったんです。実際に買い物や料理はもちろん、休みの日には掃除もしてくれるようになりました。

—そういうご主人だったからこそ、映画も完成できたんでしょうね。

益田 『風の絨毯』に出演していただいた三國連太郎さんから言われました。「益田さんはすごい。何がすごいって、だんながすごい(笑)、感謝しなさい」って。
 娘も「ママにはいろんな人が協力してくれるけど、ママには何にも能力がないから、能力がある人が自分が助けてあげなきゃいけないと思って助けてくれるんだから、そのことを忘れちゃだめだよ」って言っています。

 

夢は大きく、志は高く、仕事は楽しく
楽しく仕事をするからエネルギーは生まれる

—無事に映画が完成して、家もあって家庭も崩壊せず、良かったです。

益田 それに多少の儲けもあって(笑)。その時に三國連太郎さんから、「君は娘との約束で映画をつくったのかもしれないけど、せっかくできた人脈を大きく広げて深くしていくためには、もう1本、3本はつくってみたらどうか」と提案されたんですよ。
 『風の絨毯』は高山の祭山車にイランの絨毯をつける物語だったんですが、映画をつくり終えて感じたのは、日本には伝統文化がたくさんあって、職人の技を伝承するところで人が育っていく。物にしても会社にしても、最初につくった人の思いや哲学があって、それも次の世代に伝えていかなければならないということでした。
 そういう技術や技能、思いや哲学を映像にして次の世代に引き渡すことが私の仕事だと開眼し、つくったのが2作目の『平成職人の挑戦』というドキュメンタリーです。おかげさまで文化庁の優秀映画賞をいただいたり、文科省の特別選定に選ばれて、またお金が入ってきた。
 映画にしてもドキュメンタリーにしても、つくる「目的」がしっかりあれば、人は見捨てないんだということを2作目で学びました。
 3作目の『蘇る玉虫厨子』は、なぜ玉虫厨子がつくられたのか、仏教の仏壇の元だとか、実は1500年前の新羅、百済の時代には日本と韓国は仲が良かったとか、教科書では教えない歴史の事実を映像にして伝えるために製作しました。
 ドキュメンタリーは、伝統技術と教科書では教えない歴史の事実を映像にして伝えることを主軸にしてシリーズ化していこうと思っています。
 映画のほうは、今、日韓合作ドキュメンタリー映画・最初の朝鮮通信使『李藝(りげい・イイエ)』(監督:乾弘明、主演:尹テヨン、ナレーション:小宮悦子)という作品の撮影をしているところです。年末には劇場公開します。
 第1作目の『風の絨毯』は日本とイランの合作、第2作目の『築城せよ!』は大学とのコラボと、大手が手を出さないような企画ですが、幸なことに全部回収ラインに入っているんですよ。
 面白いのは、こういう私たちの活動に対して、ある証券会社がファンドをつくってくださることになって、最低限の資金だけ集めればいいことになったんです。嬉しいですね。

—何かをやりたいという情熱は必ず通じるということですね。

益田 伝わりますね。傘もそうですけど、開いた時が一番機能を発揮します。人間の心も一番開いた時が、一番協力を得られる時だと感じています。
 私のモットーは、“夢は大きく、志は高く、仕事は楽しく”なんです。みんなが一緒に仕事してて楽しい、これです。それでエネルギーがどんどん出てくるんだと思います。
 実は私、もう一つ目標があるんです。60歳まではこの平成プロジェクトで一気に仕事をする。そして60歳になったら、親の遺言を守って故郷の飛騨高山に帰るの。高山には土地がたくさんあるので、農業をやったりしながら、地域のために働きます。

 

 

株式会社平成プロジェクト代表取締役  益田祐美子さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
益田 祐美子(ますだ ゆみこ)さん
 1961年、岐阜県高山市生まれ。金城学院大学卒業。同大学での研究「高齢者用商品開発への提言と実際」が、商品研究大賞受賞。NHK岐阜・名古屋でニュース、子ども向け番組に出演。月刊Home Economist Wise 誌記者を経て、株式会社平成プロジェクトを設立、代表取締役社長就任、現在に至る。内閣府「生活者の観点からの地域活性化調査」委員、第2・3・4回経済産業省ものづくり大賞選定委員、瀬戸内国際こども映画2011 総合プロデューサー等。

 

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