オリンピック・パラリンピックは、スポーツを通じた世界平和運動だと思います。
財団法人日本オリンピック委員会会長
竹田恆和さん
1964年、東京で開催された人類最大のスポーツイベントであるオリンピック競技大会は、日本人に夢と希望と感動を与えた。将来を担う子どもたちにも同じ経験をさせたいと、日本は2016年オリンピック・パラリンピック大会招致に立ち上がった。昨年6月、アテネで開催された国際オリンピック委員会の第一次予選で、東京が1位で立候補都市に選ばれたことにより、日本でのオリンピック実現の期待が高まっている。財団法人日本オリンピック委員会会長の竹田恆和さんに、東京でオリンピックを開催する意義をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
環境に負荷をかけない
―2016年のオリンピック・パラリンピックの招致活動もいよいよラストスパートに入りました。東京に決まる可能性はありそうですか。
竹田 4月にIOCの評価委員会が日本を訪れましたが、感触はとてもいいと思います。
最初7都市が立候補し、昨年6月にアテネで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の第一次予選で、マドリード、シカゴ、リオデジャネイロ、そして東京の4都市が選ばれました。多くの項目で東京が一番高い評価をいただいたのですが、支持率がちょっと低かった。
そこで東京都と招致委員会で、東京を中心に全国でいろんなイベントを行っていただき、支持率もだいぶ上がってきています。
―東京の評価が高かった理由の一つは、大会が非常にコンパクトであるということが大きかったようですね。
竹田 メインスタジアムを中心に97%の競技施設が8㎞圏内に入っているのは、ほかの都市にはありませんし、選手村から70%の選手が10分で自分の競技場に行けることは大きな特徴だと思います。
全部で34の競技施設を使うのですが、そのうちの23の競技施設は既存のもので、メインスタジアムを含め、新しくつくる11施設の土地はすべて都の所有地です。これから土地を購入する必要がありませんし、施設の周囲に皇居と同じくらいの緑を創出することも可能になるのです。
―緑の創出も含め、環境に対する取組みも高い評価につながったのではないでしょうか。
竹田 東京都の環境に対するこれまでの取組み、そして今後の対策が非常に進んでいるということは、よく理解していただけました。
東京オリンピック・パラリンピックでは、カーボンマイナスという初めての試みを行います。それは緑を増やすだけでなく、新しいテクノロジーを使って、オリンピック開催中に発生するCO2以上の量のCO2を削減しようというものです。大会自体が環境対策にこれほど努力している今度の東京のプランは、オリンピック・パラリンピックの新しいモデルになるはずです。
次代を担う子どもたちに、オリンピックの感動を!
―東京で、日本で、2016年にオリンピック・パラリンピックを開催する意義とは?
竹田 1964(昭和39)年、戦後20年も経たないうちに、東京で世界最高峰のオリンピックが開催されて、大成功を収めました。私は当時、高校2年生でしたから、そのときのことはよく覚えておりますけれど、日本人として誇りも感じましたし、何よりそのときに得た感動と、将来への夢は一生忘れることはありません
1964年からの50年間のレガシィがまだ残っている間に、これから先50年のレガシィをつくれないものか。当時のことを知らない次代を担う子どもたちに、われわれと同じ経験をさせてあげたいという思いから、もう一度オリンピックを招致しようと立ち上がりました。
1964年の東京オリンピックは、戦後日本が復興していく段階で、立ち上がった日本の新しい姿を世界に見せ、日本も活力をもらった大会だと思うんですね。2016年東京オリンピック・パラリンピックの理念は「平和に貢献するオリンピック・パラリンピック」、キャッチフレーズは「Uniting Our Worlds」です。戦後60年以上、平和を維持してきた日本、成熟した環境都市・東京から、スポーツを通じた平和のメッセージを、世界に発信したいと思っています。
―紛争地域の人たちは参加することすらできません。オリンピックは、スポーツを通じた世界平和運動ともいえますね。
竹田 オリンピックムーブメントという「スポーツを通して、友情・連帯・フェアプレーの精神を培い、相互に理解しあうことによって、世界の人々が手をつなぎ、平和でより良い世界をつくることに貢献する」ことを目的とした世界的な運動があります。JOCも、国際的に活躍できる選手を育成し、スポーツを通じた国際親善に貢献するとともに、オリンピックムーブメントの推進に努めています。
―ところで、オリンピックよりもっとほかにお金を使うべきことがあるのではないか、という意見もあります。
竹田 オリンピックは、1984年のロサンゼルス大会以来、一度として赤字になったことがありません。これだけ世界で注目され、企業に協賛いただき、IOCのバックアップもあって運営されている。都の財政負担が増える心配はないといっていいと思います。
むしろ大きな経済効果があって、算出してみると、日本全国で2兆8000億円、東京都だけで1兆5000億といわれています。そういう経済効果を生み、税金が福祉活動などに使われるわけですから、無駄にお金を使うわけではないんです。
それに、2016年東京オリンピックは、オリンピアンとパラリンピアンが同じ施設を使うことになっていますので、大会が行われる施設はもちろん、駅、その周囲、道路、すべてバリアフリーになっていきます。まずはこの大会が、環境問題に真剣に取り組むイベントであり、将来、子どもたちの心に残る大切なイベントであるということを、ご理解いただきたいですね。
―2008年に北京で開催されたばかりですが、8年後にアジアの東京に来るのでしょうか。
竹田 2004年のアテネの8年後にロンドンですし、1976年のモントリオールの8年前は同じ北米のメキシコでしたし、モスクワの8年前はミュンヘンでした。そう考えると8年後に各大陸で行われてきているというのが事実ですから、これだけ経済が発展し、これだけ人口が多いアジアで、8年後に行われても不思議ではないと思っています。
人々にスポーツへの参加を促し、健全な肉体と精神を持ってほしい
―ご自身も72年のミュンヘン、76年のモントリオールの大会に馬術で出場されています。オリンピックを目指したきっかけは?
竹田 東京オリンピックのとき、私は高校生で、高校レベルの試合に出ていました。オリンピックという世界最高の競技を目の当たりにし、それに向かって自分はチャレンジするんだと、大きな夢を持ったことは忘れられません。試合だけでなく、試合の前の練習とか、馬とのコミュニケーションをとるための調教なども、たいへん興味があって見に行ったんですが、世界のレベルの高さにはびっくりしました。
―一番、印象に残っているのは?
竹田 最初のミュンヘンオリンピックのときのことです。当時、馬術は最終日のメインスタジアムで、閉会式の直前に行われたんです。すり鉢状のスタジアムに入っていくと、割れるような歓声。あのときの感動は一生忘れないでしょうね。
―選手としてオリンピックに参加するのと、JOCの会長として参加するのとでは、気持ちの上でどのような違いがありますか。
竹田 選手として出ているときは、自分と自分の馬のことだけ考えていればいいわけですが、今の立場は、みんなのことを見て、すべてがうまく行って、国民のみなさんの期待に応えることが大きな使命でもあります。比較するのは難しいですが、選手のときのほうが確かにきつかったけれども、単純だったと思います。
―今のほうが大変?
竹田 ある意味ではそうですね。メダルがすべてではありませんが、国民のみなさんはやはりメダルを期待されますから。
―トップアスリートを育てるには、10年かかるといわれています。2016年のオリンピック・パラリンピックが東京に決まるか決まらないかによって、スポーツを取り巻く日本の環境も違ってくるでしょうね
竹田 JOCには、オリンピック運動を推進するだけでなく、すべての人々にスポーツへの参加を促し、健全な肉体と精神を持つスポーツマンを育てるという使命もあります。多くの人がスポーツを行えば、日本の医療費も減ることでしょう。もっとスポーツに親しんでいただきたいですし、そういう場をもっとつくらなければならないと思います。
そのためにも、2016年には、ぜひ東京でオリンピック・パラリンピックを開催したい。日本、特に東京に住む子どもたちに大きなレガシィを残せると思いますし、世界にとっても必ずメリットがあるはずです。4都市とも頑張っておりますので、結果は最後の最後まで分かりませんが、計画の内容に関しては自信を持っています。ベストを尽くして、必ずみなさんのご期待に応えたいと思います。
<プロフィール>
たけだ つねかず
1947年、東京生まれ。1970年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。全日本馬術大障害選手権優勝3回。1972年 オリンピック競技大会ミュンヘン大会および1976年モントリオール大会の馬術競技に選手として出場。バルセロナ大会馬術チーム監督、長野冬季大会組織委員会競技統轄責任者、シドニー大会日本代表選手団本部役員等を経て2001年10月に日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任。2002年ソルトレーク冬期大会、2004年アテネ大会では日本代表選手団団長。東京オリンピック・パラリンピック招致委員会副会長、エルティーケーライゼビューロージャパン(株)代表取締役社長。