HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.47 歌手・NPO法人「国境なき楽団」代表 庄野 真代さん
インタビュー
2011年11月20日号

 

歌手・NPO法人「国境なき楽団」代表 庄野  真代さん

音楽を通して社会貢献をしたい。

歌 手 ・  NPO法人「国境なき楽団」代表 

庄野 真代さん

 「飛んでイスタンブール」が大ヒット、歌手としてこれからという時に突然休業宣言をして世界一周の旅に出かけた。40代では「専門知識を得たい」と大学入学。海外留学も果たし、大学院まで行って学んだ。そんな経験から生まれたのが音楽を通じたボランティア。地道な活動は10年以上続き、翼を広げている。彼女を突き動かすものは何なのか―。今年、歌手生活35周年を向かえる庄野真代さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井美智江)

長い人生の一時期、違う体験をすれば、その後の年月の送り方が変わる

―歌手として波に乗っている時に、突然、休業宣言をして世界一周の旅に出られましたよね。そうとう勇気が要ったのでは。

庄野 「飛んでイスタンブール」から数曲ヒットが続いて、日々仕事に追われるように暮らしている時に、友達が「80日世界一周クーポン」というのが30万円であると教えてくれたんです。「あら、素敵」と思って、レコード会社と所属事務所に「ちょっと旅行に行こうと思うんですけど、3カ月仕事休んでもいいですか」と聞いたら、みんな「いいんじゃない」と言う。シンガーソングライターでデビューしているので、作品を作るのにそういう経験もいいという思いがあったのかもしれませんね。
 結局、思い立ってから1年後に出発し、1年かけて地球をぐるっと回って、その後1年間アメリカのロサンゼルスに滞在しました。
 その間にレコーディングもしましたし、旅行記も書きましたし、子どもも生みましたので、もう一石三鳥か四鳥という感じ(笑)。とても有意義でした。
 長い人生の中で3カ月にしろ2年にしろ、同じことをやって過ごすより、違う体験をしたほうがいい。その後の年月の送り方もきっと変わると思います。

―印象深かった国はどこですか。

庄野 先進国よりは途上国といわれる国のほうが、鮮やかな、強烈な印象がありますね。例えば、アジアとかアフリカとか。
 バックパックの旅だったのですが、始まりがタイだったんですね。地元のローカルツアーでビーチへ行った時に、バスの運転手さんが、タイでは今、エビの養殖場を作るためにマングローブの木が切られているという話をされたんです。しかも、そのエビは日本に輸出するためだと言う。
 私は、今の地球の素顔を見るために日本を出たと思っていたので、経済を良くするために木を切ってでも養殖場を作っていいのかという現実を目の当たりにして、本当にショックで……。感慨深いスタートでしたね。

―バックパッカーだから、そういうコミュニケーションが生まれるのでしょうか。

マニラの子どもたちを音楽で支援

マニラの子どもたちを音楽で支援

庄野 バックパッカーといっても、旅の初めですからリュックは新品だし、足腰も弱いし、全然貫禄ないですよ。3カ月くらいでようやく旅人らしくなり、半年たったらベテランという感じになりましたけど(笑)。
 コミュニケーションをとるための言葉って面白いもので、片方が完璧だと通じないけど、どちらもそこそこだと通じるんですね。
 ユースホステルとかで出会う人たちは、みんな英語は第二外国語ですから、分かるように話そうとしますし、途中であきらめるにしても、ちゃんとぶつかろうとします。要するに言葉ではなくて気持ちなんですよね。
 歌もずいぶん歌いました、話題がなくなった時に。ヒッチハイクをすると、目的地に着くまでに煮詰まるんですよ。それから公園などで会話が始まった時など、「私は歌手です」と言って日本の歌を歌うと、みんなも自分の国の歌を歌ってくれて、ちょっとしたパーティができたりね。だから今ではどこに行っても大丈夫、笑顔が地球語だと思っています。

 

英語コンプレックス、ロンドンでは引きこもりだった

―プロフィールを拝見すると、10年おきくらいに転機が訪れているように思えるのですが。やはり世界一周した経験が大きいのでしょうか。

庄野 1980年に出かけて82年に帰ってきたんですけれども、その頃は日本では環境問題は大事なことだという認識はなかったんですね。でも、世界では緑豊かに見える国でも空を守ろうとか、風を守ろうとか、土を守ろうという意識がすごく強かった。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代だったアメリカでさえ、スーパーマーケットの前には分別のごみ箱がダーッと並んでいて、これはいったいなんだろうと。
 たった一つの地球を回ってみて、やっぱり一人ひとりが意識を持って物事に取り組まなきゃいけないと、すごく感じました。
 それで、自分が見たこと聞いたことを、機会があるごとに話していたんですが、でも私が話していることは体験の切り売りに過ぎない。そこに専門的な知識があったらもっと強く伝えられるのにと、思うようになりました。

―説得力が違いますからね。

庄野 そんな思いを抱いていた時に、事故と病気で2回続けて大きな手術をしたんです。人の命っていつどうなるか分からないと思って、やりたいと思っていたことを書き出してみたんですよ、ベッドの上で。
 99年のことですが、退院して新聞を見ていたら、法政大学が人間環境学部を創設して、社会人入試もあるという記事を見つけ、「これだ」と思って願書を取り寄せました。

―学生生活ってけっこう時間がとられるじゃないですか。心配はなかったのですか。

庄野 合格通知が来た時はどうしようと思って、親しい友人に相談しましたよ。そうしたら「何が問題なの」と。いろいろ不安を並べたら、「続けられなくなった時にもう一度相談してくれる」って言われて、「そうか」と。それで自分なりに考えて、月・火・水・木は学校、金・土・日は仕事中心のスケジュールを組むことにしました。
 思いのほか早く単位が取れたので海外留学もしようと、3年の後期から4年の前期にかけて奨学金制度を使ってロンドンのウェストミンスター大学でも学びました。

―言葉はどこで勉強したんですか。

庄野 駅前留学系に通ってましたが、私、英語コンプレックスなんです。なんとか留学試験には受かったけど、実際に行ったら全然ダメ。授業はどうにか分かるんですが、会話になると……。学生寮でも、週末のフロアパーティでは部屋に引きこもっていましたね。

―でもレポートとかは出さなきゃならないでしょう。

庄野 だから大変でした。英語の個人レッスンをしてくれる人を見つけて、書いたレポートは添削してもらってから出す。試験の時は、予想される問題の答えを予め作って丸暗記して、近い問題だと思ったら、イントロダクションとコンクルージョンだけ考えて、真ん中は丸暗記のまんま。誰よりも早く鉛筆を置いて教室を出てました(笑)。

 

ボランティアは自分の能力の一部を提供しそこでさらにその能力を磨けること

―ボランティア活動を始められたきっかけは?

庄野 大学の1年生の時に母が病気になって、最後にいたホスピスの看護師さんから「患者さんにコンサートを聞かせたいんだけど、何か方法はないか」と相談されたんです。でもその時は学校と仕事と母の看病でいっぱいいっぱいで、何もしなかった。
 母が亡くなり、2年生になってとったボランティア論の講義の課題が、実際にプロジェクトを作って1年かけてボランティア活動をするというものだったんです。
 その時に看護師さんの言葉が浮かんで、コンサートを配達するプロジェクトを作ることを提案してみたら、若者が20人くらい集まってくれ、「TSUBASAmusicデリバリー」というプロジェクトが生まれました。

東日本大震災発災1週間後から緊急支援物資の搬送を開始

東日本大震災発災1週間後から緊急支援物資の搬送を開始

―それが今やっているNPO法人「国境なき楽団」の始まりですか。

庄野 はい。ロンドンに留学した時にOXFAM(オックスファム)というNGOで1年間ボランティア活動をしたことも影響しています。ボランティアというと、日本はまだまだ奉仕みたいな感覚だったんですけど、イギリスではスマートでとても素敵。ボランティアというのは、自分の能力の一部を提供して、そこでさらにその能力を磨けることなんだということを教えられましたね。
 そんなボランティア活動の場を作りたいと漠然と思っていたので、早稲田の大学院で修士論文を書く時に、社会貢献、国際支援を音楽でするとしたらどうなるかということにテーマを絞ってみたんです。
 大学生になった時から音楽でマニラのストリートチルドレンを支援する活動に関わってきましたのでね。それも、私の音楽を通したボランティア活動につながった。
 すごく不思議なんですけど、ここまでの道のりの入り口は環境問題で、次に途上国問題と遠回りして、結局、自分が一番使い慣れている音楽という道具を使ったボランティアに収まったんですね。

―そのボランティア活動も、コンサートのデリバリーだけでなく、使わなくなった楽器を使いたい人に送るとか、いろいろと広がりを見せていますね。

庄野 「国境なき楽団」は今、コンサートのデリバリー、9・11をきっかけにニューヨークで始まったセプテンバーコンサート、楽器プロジェクト、音倉(おとくら)というコミュニティーカフェの4本立てで活動しています。
 音楽と楽器に限定していますが、そこは玄関で、入ってしまえば心は自由に広がって、いろんなことができます。民間支援のNPOの形をとってよかったと思いますね。

―東日本大震災の被災地にも楽器を送られたのですか。

庄野 ギターとか管楽器系、吹奏楽部とか鼓笛隊の楽器を200個くらい送りましたでしょうか。うちは音楽のプロが集まっていますから、ちゃんと弾ける楽器を届けるのは当たり前。だから手入れもバッチリです。被災地では「すぐに使えてよかった」と、とても喜ばれました。

―それにしても何が庄野さんを突き動かすんでしょう。

庄野 人が元気になったり、笑顔が広がったりするのを見ると、私が元気をもらえるんだと思います。だからそういう活動を頑張ってやっていこうと思うんでしょうね。

 

 

歌手・NPO法人「国境なき楽団」代表 庄野 真代さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
庄野 真代(しょうの まよ)さん
1954年、大阪生まれ。76年、シンガーソングライターとしてデビュー。78年、「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」のヒットでNHK紅白歌合戦出場。80年、世界一周旅行に出発。1年間をかけて28カ国132都市を回る。81年、ロサンゼルスに滞在。2000年、法政大学人間環境学部に入学。04年、早稲田大学院アジア太平洋研究科国際関係学科入学。開発人類学・国際協力支援を学ぶ。06年、NPO法人「国境なき楽団」を設立。国内外で音楽を通した社会貢献・国際支援活動を本格開始。

 

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