和菓子は心を豊かにする「五感の芸術」です。
虎屋17代当主 代表取締役社長
黒川 光博さん
創業は1520年代、室町時代後期にさかのぼる和菓子の老舗、虎屋。日本の歴史と風土に育まれた和菓子の素晴らしさを後世に伝えるために、伝統を大事に守りつつも、常に新しい感覚を盛り込み、最高品質の和菓子を作り続けている。「美味しい」といっていただくことが喜びと話す虎屋17代当主であり代表取締役社長の黒川光博さんに、和菓子の魅力をうかがった。
(インタビュー/津久井美智江)
和菓子は、日本の自然や文化を凝縮した「五感の総合芸術」
―赤坂御用地の緑がきれいですね。
黒川 ここは本当に緑が多くて、都心でありながら自然を感じられる場所です。以前は富士山もよく見えました。今は大きなビルが建ってしまったので見えませんが……。
―日本の文化は自然や四季の移ろいと深い関係があると思います。和菓子は草花などに着想を得たものが多いですが、やはり自然に恵まれた環境は大事なのでしょうね。
黒川 そうですね。製造に携わる上の者たちは、「自分の目で自然を観察して歩け」とよくいっています。
例えば、5月にご用意するアヤメを描いた饅頭は、花びらのところは焼印を押すのですが、茎や葉は手で描きます。
実際のアヤメの葉は下から上に勢いよく伸びていますよね。
ですから、たとえ饅頭をご覧になった方が上から下に描いたのか、下から上に描いたのかおわかりにならないとしても、作る者の心持ちとして、自然と同じように下から上に描けと伝えています。
―長い伝統を守ることと、先に進むことのバランスは難しいとは思いますが、基本となるところは変わらないのですね。
黒川 手間や苦労を超えてお作りするということは、昔から変わらずに受け継いでいます。
和菓子は、年中行事と遠い昔から結びついているんですね。お正月から始まり、雛祭りや端午の節句、七夕、お月見など、日本古来の行事を彩ってきました。ただ、近頃はいろいろな行事が、日本全体として薄れてきているので、我われは少し復活させる努力をしなければいけないと思っています。
それから、子どもさんが生まれた時のお祝いに始まり、お七夜、お節句と成長の折々に登場しますし、また亡くなった時には葬式饅頭といわれるものがあります。人間の一生というと大げさかもしれませんが、人間の営みや慣わしとも結びついているのです。
―奥が深いですね。人の一生とかかわるというのは、日本独特のものなんでしょうか。
黒川 やはりどこの国のお菓子でも、いろいろなものに繋がっていると思います。フランスには、キリスト教の公現祭に因んで1月に食べる「ガレット・デ・ロワ」というお菓子があります。
―ということは、お菓子というものは、その国の文化を象徴するものでもあるということですね。
黒川 そうですね。ただ、その中でひときわ繊細だったり、意匠が匠だったりするのが和菓子なのではないでしょうか。材料もすごく繊細ですし、季節感は自然とともにありますし、名前にこめられた想いも感じていただきたい。和菓子一つひとつにたくさんのうんちくがあります。
―先代が、和菓子は「五感の総合芸術」と表現されていますが、正にそのとおりですね。
自分の夢をかなえ、可能性を広げる自己啓発を支援
―化粧箱に再生紙を使ったり、小豆の皮を肥料化するなど、環境保全にはずいぶん前から取り組んでいらっしゃいますね。
黒川 私どもの和菓子作りには天然素材の原材料を使用していますので、例えば小豆や栗といった原材料の収穫量は、毎年の天候に左右されます。また、国内外における平均気温の上昇により、近年では四季の感覚も変わってきているように感じます。季節を少し先取りして提供している和菓子にとって、自然環境を守ることは、安全で良質な材料を確保するためにも大切だと考えています。
それから原材料に関していうと、生産者がどんどん減ってきているんです。例えば、黒砂糖は沖縄の離島を中心に作っていただいているのですが、我われも生産者とより一体感を持っていく必要があると思っています。
そこで「あなたが作ってくださった黒砂糖はこのような商品になって虎屋で売られていますよ」ということを伝えるために、現地でも販売する計画を進めています。
―生産者の方たちも、実際にお菓子になった姿を見たら励みになりますよね。後継者不足の解決にもつながるのではないでしょうか。
ところで、自己啓発支援ということをずいぶん早くからなさっていますが、どういうものですか。
黒川 日本がいくら欧米化しているとはいえ、同じ会社に長く勤めるのがいいという意識はまだかなり強いと思います。弊社で一生を過ごすという社員も大勢いますが、そういう人たちが退職する時に「この会社にいてよかった」と思ってもらいたいですし、「虎屋にいたからあれができなかった、これができなかった」といわれるのは残念なことです。
「自分が続けてきた英国文学をさらに研究したい」とか「海外ボランティアをやりたい」という夢や意思のある社員がいるなら支援したい。
それで休暇や費用の面などでサポートする「エッグ21」という制度をつくったのです。名称は「コロンブスの卵」にも由来するのですが、この制度を通じて得た経験によって、新たな発想が生まれるきっかけになればと思っています。
毎年大勢が希望するわけではありませんが、ユニークな体験談を聞くだけで、こちらも嬉しくなります。
―今の会社は個々を見ないケースがとても多いですが、お話をうかがっていると、人をよく見ていますね。社員一人ひとりにしっかり目が届いているのはすごいです。
黒川 やはり人ですからね。虎屋が何で500年も続いてきたかと考えると、やはりいろんな意味で人に恵まれていた。それはもちろんいいお客さまに恵まれたというのもあるでしょうし、お客さまをおもてなしするのも人ですし、いい菓子を作るのも人ですからね。
―人に対する思い入れが、もしかしたら虎屋の伝統を作り、守ってきた根源なのかもしれませんね。
黒川 そう言っていただけると嬉しいです。
「トラヤ」の羊羹はインターナショナル?
―和菓子を音楽で表現する「和菓子を聴く展」などユニークなイベントを催してらっしゃいますが、そのような発想はどこから生まれるのですか。
黒川 私にはそのようなことは思いつけませんね。担当者たちが考えてやっているのですが、社員だけではなくて、「和の良さを今の時代に新しい形で伝えていきたい」という私たちと想いを同じくする社外の方々と、一緒になって展示づくりをしています。
今まで接触のなかった方々と知り合うことができ、いろいろなヒントをいただけるという点で、私たちにとってよい経験になりますし、お客様からも今までとは違ったレスポンスをいただいていますから、今後、商売をしていくうえでも意味があると思います。
―より多くの人に知ってもらうということは、大事ですからね。
黒川 トラヤカフェをオープンして8年になりますが、あそこを作ったのは、あんをベースに何か新しいことができないかと思ったからなんですね。そうしましたら、あんを召し上がったことのない方や、虎屋をご存知ない方もいらっしゃいました。私どものことを多くの方に知っていただけているのではないかと思っていた部分がありましたが、それは思い上がりだったという事実を突き付けられた感じでした。
―虎屋といえばパリに支店がありますし、知名度はインターナショナルだと思っていました。ヒマラヤのシェルパの間でも有名らしいですよ。
黒川 そうなんですか。
―アルピニストの野口健さんだったと思いますが、エベレストへ登った時に、現地のシェルパの人から「トラヤ」を持っているかと聞かれたんだそうです。羊羹は保存性もよく、手軽にエネルギーが摂れる、しかも美味しいと、人気なんですって。
黒川 実は、今回の東日本大震災の被災地に、羊羹を送らせていただきました。保存食として日持ちもしますし、疲れた時に甘いものを欲しておられる方々にお召し上がりいただければと思いました。
和菓子が気持ちを和ませ、リフレッシュさせるような役割を果たすことができたら嬉しいですね。
―心が沈んでいる時にお菓子を食べると、元気になります。やはり美味しいということは、人を幸せにしてくれますからね。ましてや極限の状況ではなおさらでしょう。
黒川 和菓子は、もちろん美味しいということは大前提ですが、和菓子が持っている文化性だったり、季節感だったり、そういうものを「形」として表わしていかなければいけない食べ物だと思います。
召し上がった方がそこに文化をお感じになりながら、心が豊かになるといいますか、美味しかった、いい時間がもてたと思ってくださる。あるいは買って帰ってくださった方が、「この和菓子はどんな人が作っているのだろう、どんな気持ちでこれを作るのだろう」と、思いを馳せてくださる。お客さまのお心を満たすことができれば、我われも和菓子を作っている意味があるかと思います。
一服のお茶と美味しい和菓子によって、心に潤いを感じていただけたら幸せです。
<プロフィール>
黒川 光博(くろかわ みつひろ)さん
1943年、東京生まれ。虎屋17代当主。学習院大学法学部卒業。富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て、1969年に株式会社虎屋入社。1991年代表取締役社長に就任、現在に至る。全国和菓子協会会長、社団法人日本専門店協会会長、全日本菓子協会副会長。著書に「虎屋 和菓子と歩んだ五百年」。