人を中心に、技術とデザインでユビキタス社会を実現する
株式会社内田洋行 名誉会長
向井眞一さん
今年創業100周年を迎えた内田洋行。同社の経営資産である情報、オフィス、教育の事業をそれぞれ進化させ、ユビキタス・プレイスという事業に集約すべく新たな展開を見せている。その舵を切ったのは、創業家以外から初めてトップになった向井眞一名誉会長。来るユビキタス社会についてうかがった。
(インタビュー/津久井美智江)
二次元だったICTの世界をデザインの力で三次元に変える
―内田洋行といいますとオフィス家具の総合商社のイメージがありますが、教育や情報の分野にもずいぶん早くから進出されていたのですね。
向井 1910(明治43)年、中国の大連で事務機器を扱う貿易商を営んだのが始まりで、戦後は、これからの日本は人材が大事になるだろうと教育関連の事業を立ち上げました。
そして、次に重要なのは技術だということで、60年代の初めにはコンピュータ事業をスタートしました。もう50年近くになりますね。
―オフィス関連、教育関連、情報関連、それぞれの事業がバランス良く展開しているのが内田洋行の特徴とうかがいました。
向井 それぞれの事業の売り上げはおよそ500億円ですが、オフィス家具やコンピュータなど単独で見れば何千億円、何兆円規模の企業はいくつもあります。企業の向かう方向は理論的には2つあって、一つはデファクトスタンダードをとってシェアを拡大していくこと。もう一つはバリュー・イノベーション、つまり新しい価値をつくり上げることです。
われわれは、ずっとBtoBの世界で商売をしてきました。経済が成長しているときは、オフィスができ、学校ができて、どんどんモノが売れましたが、ひと通りモノがいきわたった現在、これから求められるのは、もっと別なものではないかと考えたのです。
それは、目に見えるものやサービス、効率や能率が上がるといったことではなく、人が中心になって「知」を創出するというか発想する「場」を提供すること。つまり、「ユビキタス社会―いつでもどこでもコンピュータ・ネットワークに容易につながることのできる社会」を現実のものにしていくことが、わが社の進む方向と判断しました。
―ユビキタス社会というとコンピュータに囲まれた非人間的なイメージがありますが。
向井 これまでは新しくて便利な道具を使うことに必死でしたが、これからは道具を利活用する時代です。
私はハードベンダーのブランドを信頼してモノを買う時代は25年くらい前に終わっていて、ソフトベンダーの時代もそろそろ終焉に近づいていると思っています。利活用のためには、ハードもソフトもますます重要ですが、要は一つのトップメーカーが提供するソリューションでは顧客の課題解決にはならないということです。
そして、どうしても避けて通れないのがインターネットに代表される情報通信技術(ICT)です。これを無視しては「場」はつくれません。
今までのハードウエアとソフトウェアは、いわば二次元の世界でした。しかし、そこにデザインが加われば三次元に変えることができます。技術とデザインを融合させることで、ユビキタス社会の一つの形が見えてくるのではないかと考えたのです。
スクラップ&ビルドではなくビルド&ワープで危機を脱出
―ユビキタスの概念を提案したのは、既存の価値観やマネジメントからまったく独立した、新入社員を中心にした組織「次世代ソリューション開発センター」だそうですね。
向井 組織が、戦略とかイノベーションを考えると、不思議と自分の組織は潰しませんよね。だから、組織をつくるときは、まず戦略があって、その戦略を遂行するために必要な組織をつくらなければなりません。イノベーションの方法は、スクラップ&ビルドかビルド&スクラップが定石ですが、私はビルド&ワープ―とにかく新しいものをつくって、いざ形になってきたらみんなでそちらへワープすればいいと考え、2001年に次世代ソリューション開発センターを立ち上げたのです。
―事業部からはずいぶん批判もあったそうですね。
向井 トップの権限で押さえ込みました(笑)。大事なのは、自分で考え、自分で答えを出せる社員を養成すること、新しい価値を見つけさせること、つまり人材と技術です。そのためには、若い社員が真剣に考える場を与えなければなりません。人材と技術さえあればきっとチャンスはあるはずだと、頑張って投資しました。
―そして2005年、「テクニカルデザインセンター」という組織を立ち上げて同じフロアに同居させ、時には外部の人も加わって共同研究やコラボレーションできるようにした。
向井 アイデアを実現するには、いち早く可視化することが大切です。いくら話しても伝わらないことが、形になるとすぐにわかりますから、デザイナーの力は不可欠でした。それで、単なる機能的な試作ではなく、最終型をイメージできるようなモックアップと呼ばれる試作品にする「協創工房」というスペースをつくったのです。
歴史を振り返ってみると、社会のパラダイムは文化と技術、制度の3つのファクターで大きく変わるといわれます。例えば、ルネサンスや産業革命、民主主義がそうです。市場が成熟し、既存の価値観やビジネスモデルが通用しなくなった現在は、まさにパラダイムシフトの時代だと思うんですね。
しかし、文化、技術、制度―デザイン、技術、マネジメントといい換えてもいいと思いますが、それぞれ単独ではパラダイムを変えることは難しい。
ユビキタス事業は「花弁事業」といわれるように、たくさんの花びら、つまりいろんな人と技術が集まって初めて一つの花になります。「人」と「情報」、「人」と「人」、「モノ」と「情報」が自由に連携する場「ユビキタス・プレイス」は人を中心にして、最先端の情報通信技術と空間構築に取り組むことで実現できるはずです。要するに、「テクノロジー」と「デザイン」を駆使すればパラダイムシフトを起こすことができると考えました。
築39年のビルがエコで安全で快適なユビキタス・プレイスに
―創業100周年を迎えた今年、1971年竣工の本社ビルをリノベーションし、新たなスタートを切ったそうですね。
向井 はい、これからはフローの時代ではなくて、ストックの時代です。すぐ新しいものを造るのではなく、40年前の本社ビルをどうすれば価値あるものにできるかと考えました。
今回のリノベーションの特徴の一つが、「ボックス・イン・ボックス」という空間構築手法を採用したことです。これは、建物という外側の「箱」の中にユビキタス・プラットフォームとなる内側の「箱」を装備して、そこにネットワーク・インフラとさまざまなデバイス(コンピュータに搭載された装置や周辺機器など)やICTサービスを装着する手法です。
先ほど、これからは道具を利活用する時代だといいましたが、コンピュータはまさに道具。見えないところにおいてフルに活用しようということです。プラットフォームは、あらゆるデバイスを自在に装着できるアルミのフレームとプラスチックのボックス、そしてシンプルな木製のパネルで構成されているので、用途の変更やシステムの更新などにも柔軟に対応できるんですよ。
―確かにどのフロアもとてもすっきりしていますね。
向井 今はグローバルな時代ですから、空間をデザインする場合、本当の意味で特徴をもつことがものすごく大切になってきます。ライク・アメリカンならアメリカのほうがいいに決まっていますし、ライク・ヨーロピアンでもそう。
では、ライク・ジャパンは何かといったら木ですよね。しかも今は伐採されずに問題になっています。だったらもっと使おうという社会的使命もあります。それに木は、デザインの重要な素材ですし、ふんだんに使うことによって全く違った感性が生まれると思うんです。
―階段の手すりに日本各地の杉材が使われているとうかがってびっくりしました。それに木材だけでなく、手漉き和紙や植物など、自然素材がそこここに取り入れられていて、ユビキタスのイメージが一変しました。
向井 それからリノベーションにあたっては、全館でLED照明を採用しました。これは単なる照明器具の変更ではありません。
LED照明の特徴である情報ネットワークとの親和性を活かし、人感センサーや照度センサーなどと連動した制御システムを駆使することにより、年間消費電力およびCO2排出量の63%削減を実現しています。
フローからストックに移りつつある現在、企業は、すでにある資産をどう活用していくかという問いに必ずぶちあたるはずです。新築のビルと変わらない、もしくはそれ以上に安全で快適なオフィス環境を、築39年のこのビルで実現したことに意義があるんですよ。
―ここは御社が提唱するユビキタス・プレイスのショールームとしても機能しているのですね。
向井 このオフィスは「ユビキタス協創広場CANVAS」と名づけているように、真っ白なカンバスのようなものです。社員だけでなく、ここを訪れた人が自由に絵を描いてほしいと願っています。
<プロフィール>
向井 眞一(むかい しんいち)さん
1947年、東京生まれ。71年、明治大学経営学部卒業、内田洋行入社。経営企画部長、広報部長、知的生産性研究所所長、開発事業部長等を経て、93年、取締役に就任。96年10月、常務マーケティング本部長兼管理本部長。97年7月、専務取締役。98年7月、代表取締役社長。2008年7月、代表取締役会長。2009年10月、取締役会長。2010年10月、名誉会長に就任。現在に至る。