Jリーグがスポーツ文化をリードしていく。
Jリーグ 第4代チェアマン
大東和美さん
大分トリニータや東京ヴェルディの経営問題、試合日程の問題など、課題が山積する中、Jリーグ第4代チェアマンに就任した大東和美さん。ラガーマンとして日本一、サラリーマンとしてもトップに立った、“勝ち続ける男”のモットーは“ロマンとそろばん”。スポーツマン気質の新チェアマンに、どのようにJリーグの舵を切っていくのかうかがった。
(インタビュー/津久井美智江)
失敗を恐れて前に進まないより、失敗してでも前に進む
―ラグビーの名選手であり、名監督でもいらっしゃいましたが、サッカーとかかわって人生の後半を迎えるとは思ってもみなかったのでは?
大東 予想もしていなかったし、まったくのサプライズ。鹿島アントラーズ(以下、アントラーズ)の社長を拝命したときも驚いたけどね(笑)。
―Jリーグのチェアマンに就任されて3ヵ月ちょっとですが、アントラーズの社長とは、やはり違いますか。
大東 まったく違いますね。一クラブの長としてクラブ経営を担うのと、37のクラブすべてを統括して運営するのとでは、37倍といったらオーバーですが、それくらい責任の重さは違います。
アントラーズにいたときはほかのクラブ、特にJ2についてはよくわからなかったんですが、経営の問題にしてもスタジアムや育成の問題にしても、クラブによってずいぶん格差があるんです。
―特に経営の問題では、昨年末に経営難に陥った大分トリニータの件もありましたから、今年11月までにクラブ経営の譲渡先を探す必要があった東京ヴェルデイ(以下、ヴェルディ)の新しい経営体制が決まって、ひと安心では。
大東 Jリーグ管轄での経営だった期間はいろいろと苦労したと思いますけれども、関係者をはじめ、新しい株主、スポンサーの皆さんには心から感謝したいと思っています。
―ある意味Jリーグを引っ張ってきた名門チームですからね。もしなくなったら、影響は大きかったでしょう。
大東 OBもそうそうたる方たちがいますしね。それに、ヴェルディは育成の部分が非常にしっかりしていて、優秀な指導者もおります。ユースは今年クラブユースサッカー選手権で優勝しました。
ただ、やはり身の丈にあった経営が必要なんですよ。クラブの中にいると、強くしたいし、勝ちたい。でも、クラブを強化するということは、子どもたちの育成もしっかりするということですからお金がかかる。僕は“ロマンとそろばん”をモットーにしているんですが、夢を追いかけながらも採算を考えることが大切だと思っています。
―“そろばん”の部分で、お考えになっていることは。
大東 スポンサーのあり方にしても、放映権の問題にしても、アジア戦略も見据えて、幅広い視野で改革していく必要があるでしょうね。
まぁ、いつも思うんですけど、これでいいとか、これで満足ということでは前に進まない。常に何かにチャレンジしながら、疑問を持ちながら、新しい切り口でやっていくことが大事だと思うんですよ。失敗を恐れて前に進まないよりも、失敗してでも前に進む。現状で満足するのは、何もしないのと同じことだと思いますから。
過去を引きずらず、常に先を見てゼロからスタート
―学生時代は早大ラグビー部主将として新日鐵釜石を破り日本一、サラリーマンとしてもアントラーズのトップに立って、前人未到の3連覇を果たしました。負け知らずの男とか、勝ち続ける男という形容をよく目にしますが、その裏には相当な努力がおありなのでは。
大東 いやいや、そんな努力はしてないです。結果としては残りましたけど、終わったことはすぐ忘れるようにしているんですよ。勝ったからといって、有頂天になるのではなく、またゼロからスタートする。過去を引きずらないといいますか、常に先を見るようにしています。
トップに立つ人間は、業績にしても勝負事にしても、良くなったからとか勝ったからといって浮かれているようではだめ。「勝って兜の緒を締めろ」という気持ちが大事だと思います。
―巨人ファンでいらしたそうですが、野球選手になろうとは考えなかったのですか。
大東 小学校、中学校のときは野球をやっていましたけども、何か物足りなかった。ラグビーもサッカーも、一人ひとりの瞬時の判断が重要なゲームで、その結果としてのチームプレーなんですよね。しかも、身体能力だけではなく、知性的な部分が見え隠れする。そこが面白い。
―ではラグビーを選ばれた理由は?
大東 ラグビーは実際に観たことがありましたし、学生スポーツでも盛り上がっていましたから。それに青春ドラマにもなったりして、身近に感じていたこともあります。メディアの影響は大きいですね。
―今年はワールドカップで盛り上がりましたが、世界トップレベルの試合がライブで見られるのはすごいことだと思います。
大東 ワールドカップの影響は大きいですね。僕のチェアマンとしてのミッションの一つに、Jリーグの観客の更なる増員があります。今度、日本代表の監督も変わりましたし、代表メンバーにも新しい選手が加わって、この間はアルゼンチンに勝ちました。こういうことがあると、新しいファンの獲得にもつながると思います。
―その場に行って実際に観るということは、スポーツに限らず、ぜんぜん違います。
大東 目の前で試合が行われる臨場感は、何物にも代えがたい。スタジアム観戦の楽しさをもっと知ってほしいですね。
―スタジアムに足を運んでもらうためにはどうすれば良いとお考えですか。
大東 まずクオリティの高い試合をすること。そのために試合の組み方も、夏季シーズンをもう1、2週間延ばして、その間はすべてナイターにするなど、選手がより良い状態で試合に臨めるよう作業を進めています。それから、若い選手が活躍し、新しいスターが出てくることも大事でしょうね。
クラブは市民、行政、企業が三位一体で協力して成り立つ
―1993年、10クラブでスタートしたJリーグですが、2010年にはJ1・18、J2・19の37クラブになりました。
大東 創設期があって、成長期があって、今は成熟期といっていいのか、まだまだ成長期なのかは判断しかねますが、川淵キャプテンをはじめ、今までやってこられたチェアマンや皆さんの努力の賜物だと思います。
そして何より、地域社会に根ざしたスポーツクラブづくり、スポーツ文化の普及・振興に努めるというJリーグの理念に、多くの方々が賛同してくださったことが大きいと思いますね。
―Jリーグ入りを目指すクラブはたくさんあると聞いています。
大東 将来構想委員会の構想では40クラブまでとなっています。あと3クラブあるわけですが、J2とどう入れ替えをしていくのかという問題もありますので、これは日本サッカー協会(JFL)との話になるでしょう。増えたら増えたでいろんな課題も増えてきますしね。
―ガイナーレ鳥取は、今年JFLで優勝しました。Jリーグに上がれそうですか。
大東 Jリーグに入るには、成績はもちろんですが、財務、育成、スタジアムの規格、観客動員数など、いろんな細かい条件が付いていて、すべてクリアしないといけません。
ガイナーレ鳥取は、知事も市長も含めサポーターが非常に熱心で、3年がかりで準備してきて、今回優勝した。JFLの試合が全部終わった後で、成績以外について審議することになっています。
―クラブが一つできるということが、その地域にとっていかに大きなプロジェクトであるか、改めて実感しました。
大東 クラブはホームタウンの市民の方、行政、企業が協力し合って、初めて成り立つものなんです。強ければ入れるというものではない。導入の準備を進めていますが、クラブライセンス制度をしっかり適用していく方針です。
―ユースやジュニアなど選手育成の組織があることは知られていますが、選手を辞めた後のフォローはどうなっているのですか。
大東 プロ選手として活躍できる時間は決して長くはありません。引退後にどんな社会生活を送るかは選手にとっては大きな問題ですからね。
Jリーグキャリアサポートセンターというセカンドキャリア支援の部門がありまして、選手が引退してからも自立して社会生活ができるように、現役選手のキャリアデザイン支援や選手の引退後の進路(セカンドキャリア)支援を行っています。サッカー界に進む人もいれば、まったく新しい世界に進む人もいますが、フォローはきちっとやっています。
―サッカー以外のスポーツの普及・振興にも力を入れているとか。
大東 総合スポーツクラブづくりといっていますが、それぞれのクラブが地域に根ざした形でいろんな支援やサポートをしています。例えば、鹿島は剣道の支援をしていますし、湘南はビーチバレーとかビーチサッカー、女子サッカーチームを持っているクラブもありますよ。
Jリーグがプロスポーツ界でもリーダーシップを持って、スポーツ全体の底上げをする牽引車になっていきたいと思っています。
<プロフィール>
大東 和美(おおひがし かずみ)さん
1948年、神戸市生まれ。報徳学園高校から早稲田大学教育学部へ進学。ラグビー選手として活躍し、70年度に主将として大学選手権で優勝、新日鐵釜石を下して日本一に。卒業後はラグビー部を持たない住友金属に入社。72年に日本代表に選出され、テストマッチに計6試合出場。76年度には母校の早稲田大学ラグビー部監督を務め、大学選手権優勝に導く。住友金属では主に営業畑を歩み、九州支社長等を務めた後、2005年にJリーグ鹿島アントラーズの専務取締役、06年に代表取締役社長に就任。10年7月、Jリーグチェアマンに就任。