子守唄は人間の根源にかかわる歌。命を守る歌なのです。
NPO法人日本子守唄協会 理事長
西舘 好子さん
子守唄を聞くと、人はなぜか切ない気持ちになったり、涙を流したりする。それは子守唄が人の心の琴線にふれるからではないだろうか。古くから伝わる子守唄が消え去ろうとしている今、情操教育のあるべき形として子守唄が見直されている。子守唄を通して“親と子の絆”や“子育て支援”に資するために尽力しているNPO法人日本子守唄協会理事長の西舘好子さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井美智江)
心が荒廃している今こそ、心に結びつく仕事がしたい
―日本子守唄協会はこの10月でまる10年ということですが、そもそも子守唄に注目したきっかけはどんなことだったのですか。
西舘 離婚して10年くらい経った頃でしょうか、60歳になって還暦を迎えたにもかかわらず、まだ仕事をしなくちゃいけないという切羽詰った事情があり、かといって世の中が60の人を受け入れてくれる職場なんてない。私自身、身に詰まされたこともあって、ずっと家族って何だろうと考えていて、やはり子供のときに人間の人生のある程度は決まるんじゃないかと思い至った。そこで、人間の心が荒廃している今こそ、心に結びつく文化的な仕事ができないかと模索し始めたんです。
ちょうど総理府の男女共同参画室(当時は婦人問題担当室)ができた頃で、担当官として参加してらした坂東眞理子さんから、子どもの虐待の取材を頼まれて、そのとき偶然、子守唄に出合ったんです。死んでしまった子どもを前にして「まだ、子守唄を聞いていられる歳なんだよね」と刑事さんがおっしゃるのを聞いて、「子守唄!」と、ピンときました。子守唄について調べてみると、これは人間の根源にかかわる歌で、この歌が消えたら親子の絆どころか、人間の縁も切れてしまうんじゃないか。これがなくなったら、おそらく日本はだめになってしまうのではないだろうかという危機感も持ちました。
―それまで子守唄は研究されていなかったのですか。
西舘 当時、子守唄の研究者は各地にいっぱいいらっしゃいました。子守唄の研究者は男性が多くて、家の中は子守唄の資料で埋まっていたのですが、亡くなると同時にごみとして捨てられてしまった。伝承されている文化を、私たちは大事にしていませんね。
まぁ、そんなことから子守唄の研究を始めたわけですが、子守唄というのは民俗学、女性学、音楽、心理学、歴史学……、あらゆることにかかわっていて、“そうっと”生きてきたものなんですね。みんなが“そうっと”大事にしてきたものに、あえて焦点を当てなければならないということ自体が不幸だと、正直なところ思いましたけれど、子守唄を守ることに命を賭けることにしたんです。
ただ、古いものだけを一生懸命研究するのではなく、事業としてやっていくとなると、子守唄にそれだけの力がなければなりません。本当に大事なものであれば、今こそ生き返らせるべきだし、次代に生きるものでなければならない。その見極めをつけるのに5年くらいかかりましたね。私はその5年間で家をなくし、夫の土地もなくし、なにもかもなくしました。
子守唄は、母親の身辺雑記帳 上手に歌う必要はない
―私は子守唄を聞いて育ちました。母が歌が好きだったのでしょう、家事をしながらいつも鼻歌を歌っていました。
西舘 子守唄にしても鼻歌にしても、お母さんって自分の気持ちを慰めながら、自分のために歌ってたのよね、きっと。歌そのものが大事なのではなくて、その女性の人生とか、背負っているものを歌に込めていた。子守唄を聞くのは3歳くらいまでですから、歌の意味なんか分からない。だから、ときどき亭主の悪口を歌ったり、悪政に対する意見を歌ったりね。要するに子守唄は身辺雑記帳なのよ。上手に歌う必要なんてまったくなくて、むしろ創造することとか表現することを日常で楽しんでいた。
私たちは耐え忍ぶ昔の女性の生き方を否定して、「女としても人間としても輝いていたい」という方向にきていますが、ひょっとすると昔の女性のほうが自分に満足して生きてきたんじゃないかな。満足に生きるとは、無償で愛するものを得て、それに対して自己を表現すること。その手段として昔のお母さんは実に上手に子守唄を使っていたんですね。
子守唄をリサーチ中に地方を回ってわかったのですが、子どもをしっかり育てたおばあちゃんの顔って菩薩になってるのね。そんなおばあちゃんたちに子守唄を歌ってもらうと引き込まれますよ。
子守唄は、ほとんどその土地と暮らしの歴史を歌っているんですね。たとえば青森の津軽地方では、「お父さんはどこに行った、お母さんはどこに行った、おじちゃんはどこに行った」と、その家のことが全部わかっちゃう。大阪は商人の町だから、商売が盛り込まれていたり、デモンストレーションの歌があったりね。
―その土地の何かを表現するには、その言葉しかないということはありますね。
西舘 子守唄や唱歌には日本語の情感がいっぱい詰まっているのよ。雨の音一つにしても、「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらんっ」なんて、訳せといわれても訳せない。日本人独特の感性であり、情感。それを取り戻さないと、人の頭とスイカは同じだということになってしまうでしょうね。
この間、保育士さんの学校で700人くらいの生徒さんを前に講演をする機会があって、みんなで「『夕焼小焼』を歌いましょう」といったのね。『夕焼小焼』って子どもたちが夕方、友だちと別れて家に帰るときの物悲しい気分や情景といった、日本人が共通して持っている情感でしょう。ところが、歌えないのよ。教わっていないから。人の心が育つには、「さびしいなぁ、懐かしいなぁ」という共通の情感を持つことの大事さを話そうと思ったんだけど、話が進まない。私、ショックを受けちゃって、1週間くらい立ち直れなかったわ。
―唱歌は教えるべきだと思います。
西舘 受験には関係ないでしょう。
―受験じゃなくて人間形成として。
子守唄は虐待と無関係ではない 子育て支援活動をスタート
―10年前というと世相の乱れが話題になり、それまであまり聞かなかった家族間の殺人事件や虐待といった問題が表に出てきた時期ですね。
西舘 最近は毎日のように幼児虐待が報道されていますが、虐待予備軍のお母さんは10人のうち6人といわれています。お母さん、つまり命を育てる人が命を苛め抜く、命ある者を放り出すのはなぜか。根底にあるのは、命に対して社会がやさしくないということもあると思いますが、命に対してやさしい人間が育っていないこともあると思うんですね。
子守唄は虐待と無関係ではないと、協会では今年から虐待防止のための子育て支援活動を始めました。すべての都道府県、すべての区市町村に情報を流していますが、申し込みは皆無です。驚くべき“無”反応ですよ。
―これだけ幼児虐待がニュースになっているのにですか。
西舘 財団法人や基金等の公益団体は応援してくれていますが、行政は少ないです。なぜなら「うちの県では虐待はありません」っていうの。山ほどあるんですよ。で「ありますよ」というと、「あれは例外です」って。便利な言葉があるものね。
虐待は日本の未来の問題なんですよ。未来の子どもたちが殺されている現実を前にして、少子化も何もあったものじゃない。菅さんにも手紙を書いたのよ、「虐待防止についてやりなさい」って。返事がくるかどうか分からないけど。
―親がだめなら地域で育てるとか、行政が力を貸すしかないですよね。
西舘 昔はそうでしたよ。近所の子にご飯を食べさせてあげたり、泣いてたりしたら飛び込んでいきましたよ。おせっかいというけど、おせっかいは必要なの。愛情を受けるのは親からだけでなくてもいいの、他人からでもいいんです。
愛情というのは、一番つらいことを自分の脳からポッととってくれるものなんですよ。そのことを大人である私たちがやればいいということをみなさんに教えたいですね。
―でも、本当に虐待かどうか見分けるのはなかなか大変です。
西舘 いいえ、とても簡単よ。虐待する人は、まず家の中がゴミ箱になっています。掃除ができないっていう人は、自分の心に正義がない、人間としての未来がない。だから、どうでも良くなっちゃうのね、9割がたは虐待をしています。
ご飯食べたら、お茶碗を洗って片付ける。靴を脱いだらしまっておくとか、お片づけって毎日のこと、その都度その都度のことじゃない。「後でやる」という人は永久にやらない。急がしいのは理由にならないのよ。要するに日常なのよ。赤ちゃんのときから教えられているものなの。今は、それがない。
―希望はないのでしょうか。
西舘 あるとすれば女性です。女人が自分の体をよく知って、生活の知恵を持つことが大事だと思います。そして、先人が持っていた暮らしのいいところを見直したほうがいい。
まずは毎日、子守唄を作ってみてはいかがでしょう。お父さんには父守唄、おじいちゃんとおばあちゃんには親守唄を作ればいいのよ。
―子守唄は子どものためだけではなくて、みんなのものでもあると。
西舘 そう。子守唄は命を守る歌なの。大好きなだんなさんが寝ていたら、「よしよし、ねんねんよ~」って、お母さんの気持ちになってやってあげてごらんなさい、泣きますよ。お父さん、つらいんだもん。
<プロフィール>
西舘 好子(にしだて よしこ)さん
昭和15年、東京市浅草区鳥越生まれ。大妻高等学校卒業後、電通に勤務。36年、故井上ひさし氏と結婚。58年、こまつ座誕生に伴い運営に参加。61年、井上氏と離婚。翌年、西舘督夫氏と再婚。以後、評論家、エッセイストとして活躍。平成12年、NPO法人日本子守唄協会を設立、理事長に就任。子守唄の力で虐待に歯止めをかける全国キャラバンプロジェクトを展開している。社団法人日本民族音楽協会副理事長。3女に4人の孫がいる。