“音楽の言葉”のパワーとエネルギーこそ、真の意味での魔法であり宝です。
東京フィルハーモニー交響楽団 常任指揮者
ダン・エッティンガーさん
1911年、名古屋で創立した日本で最も古い伝統を誇るオーケストラ「東京フィルハーモニー交響楽団」。2010年4月、その第8代常任指揮者に就任したのが、ベルリン国立歌劇場やメトロポリタン歌劇場をはじめとする世界の楽壇で活躍するダン・エッティンガーさんである。髪型やファッションにも自立したスタイルを貫く、エッティンガーさんの東京フィル、そして音楽に対する想いをうかがった。
(インタビュー/津久井美智江)
指揮こそが、人生を賭けてやるべきことだと思う
―実際にお目にかかって、お若いのにびっくりしました。
エッティンガー どんな指揮者も最初はみんな若かった(笑)。有名になるのは歳をとってからですが、皆さん20代か30代で始めていると思います。
―まずは、東京フィルハーモニー交響楽団(以下東京フィル)の常任指揮者に就任した感想をお聞かせください。
エッティンガー 私は、指揮者になる前は10年ほど歌手をしており、またピアニストや伴奏ピアニストとしてコーラスの指導などを行っていました。指揮者としては10年ほどですが、音楽のキャリアとしては20年くらいになります。
そうした20年間のキャリアの中で、私は第2段階にきていると思っています。それは、いろいろな歌劇場で客演するだけでなく、オーケストラ、あるいは歌劇場のマネージメントに責任ある音楽監督や常任指揮者としてかかわるということです。
―常任指揮者として東京フィルをどのような方向にもっていきたいとお考えですか。
エッティンガー まずは東京フィルをアジアやヨーロッパ、アメリカといった海外に連れて行き、より多くの人に演奏を聞いてもらう機会を増やしたい。また、レパートリーについてもシェイプアップしていきたいですね。
そして何より、東京フィルとダン・エッティンガーの“音楽の言葉”を、ひとつのアイデンティティとして確立させることが私の役割だと思っています。
―歌手であり、ピアニストでもあったということですが、指揮者になりたいと思ったのはいつ頃ですか。
エッティンガー 10代の早い時期から指揮者になりたいと思っていました。父がドイツに出張に行った時、おみやげに指揮棒を買ってきてもらい、鏡の前で練習したり、レコードに合わせて練習したりしていました。それが私が指揮の方法を学んだ最初です。
―指揮者になりたかったのであれば、ピアノや声楽ではなく、指揮の勉強をすればよかったのでは?
エッティンガー その通りですね(笑)。私は運命論者なので、何事においても人生で一番いい時期があると思っていまして、今何かが起こらないのであれば、それは後で起こったほうがいいか、あるいはまったく起こらないか、何か理由があると思うんです。なので、その時にやるべきことをやるという形で、ピアノをやり、声楽をやってきました。ただ、活動を続けるうちに、これは私の生涯の仕事ではないと感じ、指揮を始めたのです。そうしたらどんどん花開いて、今はこれこそが私が人生を賭けてやるべきことだと思っています。
指揮者になって初めて分かったのですが、私が歌手として、あるいはピアニストとしていろんな経験を積んだことは、指揮者になるために必要だった、すべて理由があったのだと感じています。
―国際的に活躍されるきっかけになったダニエル・バレンボイム氏との出会いも運命的な何かを感じたのでしょうか。
エッティンガー 歌手の頃から、いつか彼と出会うだろうと確信していたのですが、指揮者として出会うとは思ってもいませんでした。でも、運命はそのようになりましたね。
誰も教えることのできない
生まれながらの才能が必要
―指揮法は独学で学ばれたそうですね。
エッティンガー 本で勉強したり、ほかの指揮者がどのような形で指揮をしているのか、パターンを観察して学びました。ただ、指揮者になるということは手の動きだけでなく、いろんなテクニックを学ばなければなりません。たとえば、フルスコアをどうやって読むかとか、音楽家たちはそれぞれの楽器をどうやって演奏しているのかとかね。
そしてさらに、音楽のことだけでなく芸術全体に対する知識や、コミュニケーションの才能、あるいはエネルギーを送る能力も必要になってきます。指揮は、音楽的なことやテクニカルなことを超えた、とてもグローバルな才能が必要な芸術なのです。そして、それは誰かから学べるということではなく、持って生まれるかどうかだと思います。
バレンボイム氏に言われた、「君はすでに誰も教えることのできない、生まれながらの才能を持っている。君がこれから学ばなければならないことは、ベルリンに来て私と一緒に勉強したらいい」という言葉は一生忘れられないと思います。その言葉は、まだ若く、駆け出しだった私にとって、すごい褒め言葉であり、大きな支えになりました。
―去年から今年にかけて新国立劇場でワーグナーの「ニーベルングの指輪」を指揮されました。ワーグナーは反ユダヤ主義として有名ですが、イスラエル出身のユダヤ人であるエッティンガーさんはワーグナーの曲を指揮することに抵抗はなかったのですか。
エッティンガー 私はイスラエルに移住した第二世代なのですが、指揮者としてワーグナーを演奏することには、まったく抵抗はありません。一方で、私の家族や友だち、いろんな人が経てきた歴史を考えれば、トラウマ的な感情は確かにあります。
しかし、ワーグナーは今や私のレパートリーの中で主要になっておりますし、音楽、あるいは芸術というものは、そういった歴史からは切り離して考えたいと思っています。
―個人的に好きな作曲家はどなたですか。
エッティンガー モーツァルトですね。モーツァルトは私の真の愛の対象です。ドイツ音楽といった場合、古典音楽からロマン派音楽、ポストロマン派の音楽まで含めて、モーツァルトとワーグナーの2人が双璧ではないかと思っています。
音楽家のエネルギーを感じるのはものすごく大きな意味がある
―世界各地で指揮されていますが、東京の印象は?
エッティンガー 1秒も止まらずに忙しく活動する都市であり、世界で一番食べ物が美味しい都市であり、ここでしか買えないショッピングができる都市でもあります。それから、日本人のメンタリティがすごく好きなので、ヨーロッパに戻るといつも恋しく思います。
―好きなメンタリティとはどんなところでしょう。
エッティンガー すぐに思いつくのは、お店とかレストランでのサービスですね。人間同士のコミュニケーションの仕方、他人に対する敬意の表わし方、忍耐力、それから礼儀正しさなどに魅力を感じます。
―最近は日本でもだいぶなくなってしまいましたけど……。
エッティンガー 欧米ではすっかりそういうことが忘れられているので、比較するとやはりすごくいいと思います。
―日本の食事は世界一とおっしゃいますが、特に好きな料理とかお店はありますか。
エッティンガー ジャンクフードが入る前の話かもしれませんが、和食はものすごく多彩で健康的で素晴らしいと思います。それに、たとえばフランス料理やイタリア料理でも日本のほうが美味しいことがあります。説明するのは難しいのですが、料理の出し方とか、日本人のメンタリティが影響して美味しく感じるのかもしれませんね。
今はいろんなお店を探検している感じで、最高級の洗練されたお店から地元のシンプルなお店まで試しているところです。
―最後に、東京、そして日本の観客に音楽を通じて伝えたいメッセージはございますか。
エッティンガー 経済や環境といったことを見ても分かるように、私たちの生活は日に日に難しく、忙しく、クレイジーになっています。そんな日常生活において音楽を聴くことは非常に大切なことのひとつだと思います。年齢や国籍、文化の壁を越えた“音楽の言葉”によるコミュニケーションのパワーとエネルギーこそ、私たちが作り出すことのできる真の意味での魔法であり宝です。私たち音楽家と聴衆の皆様の一人ひとりが、コンサートホールでの経験を、日常生活の人とのかかわりや行いに活かしていくことができればうれしいですね。
―技術が発達して、バーチャルな世界でいろいろ楽しめるようになりました。しかし、音楽にしても芝居にしてもスポーツにしても、やはりライブで、自分の五感で感じることが大事だと思います。
エッティンガー その通りですね。写真で見るのと本物に接するのとではまったく違います。たとえば、美術館に行って絵をみる、植物園に行って花の香をかぐ、動物園に行って動物に出合うのと同じように、コンサートに行って音楽家たちのエネルギーを実際に感じることは、ものすごく大きな意味があると思います。人生もそうですが、本物は写真や映像よりずっといいものです。
―ところで、先ほどから指輪が気になっているのですが……。
エッティンガー 誕生日のために自分でデザインしたダブルリング(2本の指にする)です。何事にもユニークな部分がほしいと思っているので(笑)。ですから、ネックレスも髪型もすべて私の一部です。 バレンボイム氏は私のことを「すごく自立している」と評します。それは「いい意味でも悪い意味でもなく、非常に個性があって彼の自立したスタイルである」と。このスタイルを貫くのは大変で、すごく愛される反面、憎まれもする。それでも私はこのスタイルで行くしかないので、50%の人が好きになってくれたら、あとの50%の人が好きになってくれないことにも敬意を払おうと思っていますけど(笑)。
<プロフィール>
ダン・エッティンガー Dan Ettinger
1971年イスラエル生まれ。6歳からピアノを習い、大学では声楽を専攻。バリトン歌手として活躍する一方でピアニスト、伴奏ピアニスト、コーラス指導者としても活躍。イスラエル交響楽団音楽監督、マンハイム国民劇場音楽監督。2003~08年までベルリン国立歌劇場にてカペルマイスターおよびダニエル・バレンボイム氏のアシスタントを務める。世界の主要歌劇場で指揮。日本では2004年、新国立劇場『ファルスタッフ』で東京フィルハーモニー交響楽団を指揮して初登場、大きな賞賛を浴びた。以来、新国立劇場および東京フィルより毎年招聘を受ける。10年4月、東京フィルハーモニー交響楽団常任揮者に就任。