牛肉という食材で日本の食文化をリードする
スエヒロ商事株式会社 代表取締役社長
上嶋棟一郎さん
明治43年3月10日、大阪北新地で創業し、今年100年を迎えたスエヒロ。「ビフテキ」や「しゃぶしゃぶ」を世に出し、牛肉を中心に常に日本の食文化をリードしてきた裏には、食材に対するこだわり、高い技術、そしてスタッフ一人ひとりのプロとしての矜持があったからに違いない。スエヒロ商事株式会社 代表取締役社長の上嶋棟一郎さんに外食産業のあり方についてうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
終戦直後から牛肉は産地直送
それくらい肉にはこだわっている
―創業100周年ということですが、ご創業からは何代目になるのですか。
上嶋 三代目です。スエヒロの創業者である上島歳末の甥が私の父で、東京に進出したんです。
―それにしても、100年続くというのは大変なことです。秘訣は何だとお考えでしょう。
上嶋 一言でいうと、お客様がいてくれた、お客様が支えてくださったということが違いなくあるでしょうね。
それから、お客様のさまざまなニーズに応え、時代の変化に対応してきたことも大きいと思います。牛肉を食べる文化がない中、熟成やマリネーの技術などいろいろと工夫して「ビフテキ」を世間に広めたのもそうですし、「しゃぶしゃぶ」も大阪北新地の永楽町スエヒロ本店が1955年に開発したものです。商標登録もしたんですよ。ちなみに「しゃぶしゃぶ食べ放題」は、牛肉をもっと安く安心して食べてもらいたいと、バイキング料理に習って74年に私が商品化したものです。
食文化を作ってきたというと大げさかもしれませんが、スエヒロが日本の牛肉文化をリードしてきたところはあると思います。
―「しゃぶしゃぶ」が登録商標とは知りませんでした。
上嶋 55年ごろは登録した店だけが「しゃぶしゃぶ」の名前を使っていたんです。利益のためではなかったので、いただいた登録料は返還義務のない大学の育英資金に全部出していました。東京では六本木Sさんと赤坂Zさんが大阪のスエヒロに行って登録料を払い、「しゃぶしゃぶ」という名前を使った最初の2軒です。ある店は「ジャブ鍋」と言ってた(笑)。今はもう一般名詞にしようということで、登録料はもらっていません。基金も止めちゃいましたからね。
―大変な時代もあったのではありませんか。
上嶋 私の経験の中で一番大変だったのは太平洋戦争。食料も物資も何もなくて、配給、統制の時代でした。それでもスエヒロが存続できたのは、国民の食堂として政府に指定されていたからなんです。オイルショックもそうですね。石油だけじゃなくて、あらゆる資材がなくなった。
最近ではBSE問題。牛肉に対する信頼が日本国内で一斉に失われ、みんなが牛肉を食べなくなってしまった。そこで、スエヒロで扱っているのはどんな牛か、どんな餌を食べているのか、どんな人が育てているのか、どうやって運ばれるのか、どうやって保存しているのか―という日ごろ培ってきたことを初めて伝えることにしたんです。そうしたら、お客さんも戻ってきてくれました。
―つまり、生産者の顔が見える、産地直送ということですね。
上嶋 うちの親父は兵庫県の但馬出身なんです。出石というところで、そこは肉牛の本場中の本場。そういうこともあって、終戦直後から生産地で直接買って、国鉄の寒冷車で東京駅まで独自に運んでいました。保冷車も宅配便もない時代、肉は布で巻いただけでしたから、ドリップといって血が落ちてしまい、本当は損なわけ。それでも生産地から運んでいた。それくらいこだわっていたんです。
―BSE問題は今はどうなんですか。
上嶋 もうそんなことは、起きようがない。
―世界的にですか。
上嶋 世界的に。ただ、O157は危ないですよ、処理の問題だから。だけどBSEは、餌の管理もすべてできていますし、牛骨紛もあり得ませんから、絶対に起きないし、外国からも来ません。全頭検査も要らない。あれは税金の無駄遣いですね。
牛肉は熟成したほうがおいしい
塊で買って、しばらく置くのがポイント
―家庭でおいしくステーキを焼くコツはありますか。
上嶋 ありますね。牛肉は色が変わりかけているほうがおいしいので、新鮮なのを買うのがまず大きな間違いです。スーパーや小売店で買うなら、ステーキを食べる3日~1週間前に買って、冷蔵庫に入れておく。色が変わっても腐るわけじゃないから大丈夫です。その日に食べるなら、少し色が変わって2割引きとかになったのがいい(笑)。
―でも賞味期限とか消費期限とかありますよね。
上嶋 あれは便宜上スーパーなどが付けているだけで、牛肉に関しては意味のないことです。私どもは、牛を1頭買いするわけですが、と畜した日から店に来るまでに2週間くらい産地に置いてあります。死後硬直があるので、その日に使ったら堅くて食べられないし、大動物はそれがとけるまでに時間がかかるのと、いろんな菌が働いてさらにおいしく熟成するのに、1週間から長いところは3カ月くらい置いています。
ニューヨークの有名なステーキ屋さんでは、お客様に見えるようにカビの生えた肉をズラッと並べてあります。つまりエイジング(熟成)というのは売りなんですよ。
―肉を熟成させることは知っていましたが、カビが生えるまでとは知りませんでした。
上嶋 そういう肉だけを売っている店もあるくらいです。でも、高いですよ、歩留まりが悪くなるから。だから家庭でもエイジングの技術を応用して、買った肉は少し置いておく。薄切り肉より塊のほうがいいですね、肉の旨みが逃げにくいから。これが肉を買う時のポイント。
次は焼き方。ステーキを返すタイミングはすごく簡単で、まず強火で表面を焼きます。肉の温度が上がって沸騰し、表面に自然に血が出てきたらそれがサイン。熟成が悪い肉は、アクがいっぱい出てくるけど、とにかく表面に血が出てきたらひっくり返す。あとは軽く焼けば焼き上がりです。焦げちゃいけないといって、何回もいじるから、中のジュースが出ちゃうんですよ。
でも、肉を焼くのは本来男の仕事だから、奥様は覚える必要がない。男がやらなくちゃいけないんです、大胆に。野性的な料理ですからね。外国ではホームパーティで奥さんは絶対に手伝いませんよ。
―日本は草食系男子が増えているので、奥さんが豪快に肉を焼くというようなことになっているかもしれません(笑)
上嶋 そういう男はダメですね。やっぱり男は男らしく、自分で焼いて家族に切り刻んで与えなくちゃ。ライオンはオスがまず一番おいしい内臓を食いちぎったら、あとは子供のために残すわけでしょ。だから男には、そういう役割がある。
―でも餌を捕ってくるのはメスなんですけど、ライオンの場合……。
上嶋 そっか。メスが捕ってきたのを、オスが一番いいところを食べちゃうんだ(笑)。
肉も野菜も果物も、食材は安全が第一
生産者の顔が見えるものを大事にする
―こちらではサシ(霜降り)の少ない「あか牛」にこだわっていて、長い間、推奨していたそうですね。
上嶋 黒毛和牛の「松阪牛」や「神戸牛」などのブランド信仰に疑問を持ちまして、25年前から牧草地で伸び伸びと育った褐毛和種の「熊本あか牛」(現・阿蘇王)や日本短角種の「いわて短角牛」など、サシの少ない牛肉に力を入れてきました。最近ようやく「神戸牛」より「あか牛」のほうが注文が多くなった。赤身のほうがたくさん食べられるし、何より牛が健康なんだな。目も澄んでる。
―ということは、いわゆるブランド牛の目は濁っているのですか。
上嶋 はい、白く濁っています。サシというのは、牛にビタミン調節など不自然なストレスを与えることで入るんですね。狭い柵に入れられ、餌だけをどんどん与えられ、後ろを振り向くゆとりもないんじゃないかな(笑)。
―ちょっと可哀想ですね。
上嶋 だから、熊本や岩手などの産地に行って、生産者と直に会って、いろいろな話をするんですよ。そこでお願いしているのは「霜降りは作らないで」ということ。霜降りは黒毛和種に任せておけばいい。ところが、サービスのつもりで脂肪がたっぷりの、一般的にいういい肉を作っちゃうんだね、生産者は。
それから、生産に関わっている研究者とも話し合いますし、牛肉の学術会議にも呼ばれて、いろんな提案もしています。
私自身は、東京農大の先生に頼んでテストしてもらい、データを商品化に役立てています。科学的な裏づけがないと、自分の好みで終わってしまい、信用されないでしょ。一銭にもならないどころか、お金がかかりっぱなしですけどね(笑)。
―牛肉は産地直送とのことですが、野菜などはいかがですか。
上嶋 流通が良くなりましたからね。夕方採れた野菜を夕方の宅配便で送れば、次の日の朝にはもう手元に届く。スエヒロでは業務用の野菜や果物を、季節によって一番いい産地や生産者から送ってもらっています。少し面倒ではあるけど、宅配便代を使ってもそのほうがいい。だって大田市場に入ってくるのは、昨日とか一昨日に収穫したものだから、メニューを作るのに間に合わない。
―評価してもらうことは、作り手にとってもやりがいや喜びになると思います。
上嶋 うちは1級品も買うけど、2級品も買うの。しゃぶしゃぶの野菜は変なものは出せないけど、果物は皮をむいたり、煮込んだりしちゃうから、大きさがばらついていてもかまわないんです。本来なら規格外のものを、半値でも買ってあげれば農家も助かるでしょう。生産者と軒先でお茶を飲みながら、本音で話し合えるような付き合いになって、初めてできることですけどね。
肉もそうですが、野菜や果物も産地や生産者の顔が見えるものを大事にしているんです。
―最後に、これから先100年に向けて目標はございますか。
上嶋 何にもない(笑)。このところは3カ月、半年先が見えない状態だからね。やっぱり牛肉という商品が中心なので、安全安心なものをきちっと確保して売ってくというのが基本です。ただ、それだけでは客単価も高いですし、そんなに拡大もできないので、ほかの業態、例えばスパゲティのお店とか、惣菜やケータリングなど、その時代に合ったものはやっていかなきゃいけないと思っています。
そして、お客様を大事にするという信念は変わりません。
<プロフィール>
うえしま とういちろう
1939年3月10日生まれ。東京都出身。62年、慶應義塾大学商学部卒業、渡辺法律会計事務所入所。64年1月、同社入社。87年5月社長に就任。航空会館店、新宿店などのほか、大丸東京店、伊勢丹本店などの食品売り場に出店。贈答品売り場にも進出。ケータリング事業も行う。料飲三田会相談役、ハワイアン三田会会長として慶応高校Q組の同級生で結成した「SOUND Q」でスチールギター担当。