能は、日本人が共有するたしなみ、
心を通じ合える芸術だと思います。
能楽師
坂井 音重さん
日本が誇る世界無形文化遺産「能楽」の中心にあり、現代の演劇シーンに欠かせない、わが国を代表する観世流シテ方、坂井音重さん。格調ある品位の高い芸風は他の追随を許さない。活躍の場は、日本にとどまらず世界中にわたり、国の内外に立脚した視点で、日本、ひいては世界平和に、能楽が果たす役割をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
能は人間にとって普遍的なものを
すべて含んでいます
―能は、ユネスコより世界無形文化遺産第一号に指定された日本の代表的な伝統芸能です。現在まで脈々と受け継がれてきた内容はどのようなものでしょう。
坂井 能にはまず、すがすがしさや歓喜をテーマにした「神様の物語」。次に平家物語などの「修羅の物語」。3番目に源氏物語や伊勢物語、そして万葉集や古今集などの世界をベースにした「幽玄の物語」。4番目は子どもと別れて探し求めるという親子の絆を描いた「狂女物」といわれるもの。それから躍動的な「切能(きりのう)」です。
戦の勝者でも修羅道に落ちるとか、恋愛であるとか、親子の情愛であるとか、人間にとって普遍的なもの、つまり喜怒哀楽や生きていくうえでの知恵のようなものが全部入っているのです。そして最後は、救済で終わるのですね。
―普遍的なテーマにもかかわらず、日本人には、能は難しくて敷居の高いものという先入観があります。しかも、能に触れる機会もあまりありません。
坂井 文学性、ドラマ性、美術的価値の高い能面や能装束、音楽性、謡いという歌唱力―能は、西洋のオペラと良く似ているのですね。違いは、オペラが大勢で舞台を盛り上げるのに対し、能はシンプルな舞台に、大きな広がりを見せることです。何しろ登場するのは、主人公のシテ、物語を引き出すワキや、楽器は笛、小鼓、大鼓、太鼓の4つ、そしてコーラスにあたる地謡。
それから能は、型が定まり継承されたもので、その技術を高く高く磨き上げたものです。そして、ロングランの形態とは異なり、一期一会の舞台なのです。そこに、人間の内面性を描き、日本独特の世界が集約されていることに価値がある。
だから海外で演じましても、ちゃんと受け入れられますし、先入観がないから高い評価を得るのです。
―外国人には理解されるのに、日本人には分かりづらいというのは情けないです。
坂井 それは国の施政と教育現場の問題だと思いますね。
能は2回くらい歴史の波をくぐっているのですね。1回目は明治維新、2回目が第二次世界大戦。そのときに日本人は価値観がぶれた。
明治維新のときは、日本の基礎を成すものがあったにもかかわらず、近代化のために産業に軸足をかけようと、古いものは全部壊そうとした。廃仏毀釈がそうですね。
能は、それまではお茶と同じように、武士も商人も、みんなが共有するたしなみだったのですよ。江戸時代には寺子屋教育があって、読み書きそろばんを学び、そして謡や仕舞を習っているわけです。
観て楽しむというより、日本人としての基礎を共有したうえで、心を通じ合わせる芸術が、能なのだと思いますね。
文化を大切にし、武力を持たないことが
江戸時代300年の平和をもたらした
―日本文化の根幹を成している、能やお茶などが完成を見るのは室町時代、14世紀です。どのような時代だったのですか?
坂井 金閣、銀閣に代表される東山文化、北山文化、華やかなりし日本の文芸復興の時期です。
足利将軍は、特別に能を保護しましたが、その流れは戦国時代にも受け継がれ、武将はみんなたしなんだ。豊臣秀吉、前田利家、徳川家康の3人が同じ舞台に立ったこともあるんですよ。
戦をしているときでも、能は舞われていたのです。
―それくらい大切にされていたのですね。
坂井 能面ひとつとっても、裏に将軍家から「天下一」という名称、つまりお墨付きをもらうと、それは城や国を与えられるのと同じような価値があったのですよ。
江戸時代になると、江戸では観世、宝生、金春、金剛、全部の一座がお屋敷をもらって、お扶持をもらっていた。まあ、国家公務員みたいなものです(笑)。
当時は、将軍だけでなく江戸の庶民も江戸城に入って、能を鑑賞していたのですよ。だから、能は「拝見する」といって、商業演劇ではなかったのです。ただ、勧進能というのがあってね、幕府が特別許可した、今でいう野外能ですが、これには何千人と入るので莫大な収入になった。
それから各藩もこぞって能役者を抱えていました。そして、職人を抱えて、装束や能面なども金に糸目をつけずに作る。それはすなわち藩のステータスであり、幕府ににらまれないようにするためだったのです。
要するに、幕府に対して武力で刃向いませんよ、文化に軸足を置いていますよという意思表示です。それが鎖国の中で問題が起きない、江戸時代300年という平和な時代をもたらした一つの要因なのですね。
―文化を大切にし、武力を持たないことが平和につながると。地球規模でそういう風にならないものでしょうか
坂井 現実問題としては難しいでしょうね。
たとえば、核兵器にしても、ないに超したことはありませんが、でも持ってないと抑止力にならない。日本は結局、アメリカと同盟を結んで守られているわけですからね。
とにかく文明が発達すると、人間社会を壊すことになる。
ただ、文化は、お互いどこか共有するものがあれば、理解を深めることができ、共生できる。国づくりにおいても、伝統文化に裏打ちされた日本人のいい部分を大切にして人間形成をすれば、それによって国内のみならず、海外ともちゃんと握手ができると思う。自国の歴史と文化を持っている国とは、気持ちはつながりやすいと思います。
―人間世界の普遍を表す能が、世界平和に貢献できることを期待しています。
世界で尊敬される国になるには
経済的なゆとりと心のゆとりが必要
―世界中でご活躍されていますが、初めて海外にお出になられたのは何歳のときですか。
坂井 30代の初めだったと思います。確かフランスのボルドーだったかな。
―そのときにお感じになられたのはどんなことでしょう。
今から50年くらい前ですから、生活のゆとりとか、人それぞれが自負心を持って生きているなということを強く感じました。
ある日、街中でハンチングだかベレー帽だかをかぶった紳士にお辞儀をされたのです。僕もお辞儀したら、エレベーターの蛇腹(じゃばら)の扉を開ける係のおじいさんだった。たまたまお休みだったのでしょう。見るからに紳士で、実に優雅に休日を過ごしている。これはうらやましいと思いましたね。
それから、自分の仕事に対する誇りが、しっかり根付いている。レストランのボーイでも、店頭でカキをむいている人でも、みんな自分の仕事に誇りを持っています。
日本も本来は、そういう気持ちの余裕や仕事に対する誇りを持っていたはずです。要は気持ちの持ちようなんですね。たとえば座禅でも、無駄な時間と思われるかもしれませんが、自分の心持ちしだいで悠久の時間になる。
―文化でも何でも、自分の立脚したるところから外を見る。また、外に行ってきて自分の国を見ると、いろんなことに気づかされます。
坂井 日本が世界で尊敬される国になるには、経済が繁栄するだけではだめだと思う。国の内側と外側の両方の視点に立って、日本の良さを世界に伝えて行くことが、今後、日本が進むべき指針だと思いますね。
―経済的なゆとりだけでなく、心のゆとりも大切なのですね
坂井 それから教育ですね。
先ほど能は2回波をかぶったと言いましたが、2回目の波は初めての日本人が体験する敗戦でしたから、とにかく国力を上げなければならないと、人間教育をしないで、知識だけを教える偏差値重視に傾いてしまいました。義務教育の中で能を教えなくなった時期があったのですよ。このブランクは大きい。
最近、得体の知れない不幸な事件が増えていますが、人間の心の絆みたいなものが薄れた、あるいは共通の世界観が薄れたといいましょうか。戦後教育の弊害という気がしてなりません。
これはまずいと思ったのでしょう。21世紀に入って学習指導要領が変わりまして、小学校、中学校の国語と音楽の授業に能が入ることになりました。ところが、教える人がいないのですね。音楽の先生方は五線譜で教職課程を取られた方ばっかりだから。
それに、能は、くくり方が難しい。何しろ歴史であり、文学であり、音楽であり、美術でもある。まずは「文化」という大きな枠の中で捉えなければなりませんからね。
―細分化するから、分かりにくくなる。日本の悪いところですね。
坂井 そうですね。能を通して物事を見ると、現代でも気づくことがたくさんあるわけですよ。人と人との信頼とか、社会や国家に対する忠節とか、先ほどもいいましたが、人間にとって普遍的なものがすべて内在していますからね。
学校という一番大切な人づくりの現場で、能はお手伝いできると思っていますが。
<プロフィール>
1939年、社団法人能楽協会元理事長、故・坂井音次郎(観世流・シテ方)の嗣子として東京に生まれる。3歳のときに初舞台仕舞「老松」(おいまつ)を演じる。8歳で初シテ能「経正」(つねまさ)を勤める。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。国の重要な文化行事として米国・中国・ロシアの首都にて主役を演能。2008年、長年にわたる国際文化交流が評価され、外務大臣個人表彰を受ける。重要無形文化財総合保持者。観世流坂井職分家当主。白翔會主宰。