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1 The Face トップインタビュー2018年03月20日号

 
公益財団法人みちのく未来基金 代表理事
 長沼孝義さんさん
震災遺児638人、一人ひとりの世界がある。

公益財団法人みちのく未来基金 代表理事  長沼孝義さん

 2011年3月11日、東日本大震災が発災。その翌月、旧友の社長就任激励会に集まった仲間の一人が発した「神戸でやり残したことがある」という一言からすべては始まった。震災遺児の進学を支援する公益財団法人みちのく未来基金代表理事、長沼孝義さんにお話しをうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

「神戸でやり残したことがある」という一言が基金のスタート。

—1970年に会員制の総合スポーツクラブを設立されたそうですが、運動するためにお金を払うという発想のない当時に、会員制のクラブをつくろうと思われたのはなぜですか。

長沼 偶然といえば偶然なんですが、友人の末川(久幸)が2011年2月に資生堂の社長に内定したので激励会でもしようと、4月20日に集まることにしていたんです。そうしたら3・11が起きた。集まれる人だけでもと思っていたら、けっこう来たんですよ。ロート製薬会長の山田(邦雄)とか、カゴメ役員の石榑(康利)とか……。メンバーはマーケティング界の重鎮だった故・水口健次の教え子で、みんな企業の経営に携わっており、私はカルビーの副社長をしていました。

みちのく生第6期生の集い

みちのく生第6期生の集い

 当然、話題は震災の話になりますよね。すると突然、山田が「神戸でやり残したことがある」と言ったんです。ロート製薬は大阪に本社があり、彼の自宅が神戸にあったこともあって、1995年の阪神・淡路大震災の時、様々な支援を経験しているんですね。でも彼にしてみると、肝心の子どもたちのことが何もできなかったと。インフラが復興しても、そこに帰ってくる子どもたちがいなかったら復興とは言えない。だから子どもたちのために何かできないか。その時はまだ“何か”だったんですよ。

—奨学金にしたのは?

長沼 実際に被災地に入り、避難所で子どもたちと会っている時、段ボールで勉強している子がいたんですね。学校は流されてる。学校が始まるかどうかもわからない。ましてや進学なんてとんでもないという状況です。18歳、高校までは行政としての支援があるんですね。ところが高校を卒業したとたん、何の支援もないということがわかり、高校卒業後、学びたい、何か技術を身につけたいということの支援はできないかと奨学金を立ち上げることにしたんです。早かったですよ、決断は。6月頭にはロート製薬、カルビー、カゴメの3社とも“やろう!”というトップの意志が固まっていました。そして8月5日には取締役会を通し、9月21日に記者会見をすると発表しました。

—毎年、何人くらい支援されているのですか。

長沼 毎年ほぼ100人です。スタートするに当たり調べてみると、当時の高校2年生の遺児は100人くらい、三陸海岸地域の進学率は約40%ということだったので、多くても50人という見通しを立てたんです。ところが、1年目になんと96人!大誤算でした。

—うれしい誤算ですね。

長沼 はい。この6年間で638人。震災遺児に関しては、進学率は8割を超えているので、以前よりも高くなったんですよね。金銭的な支援があるなら大学に行ってみようという気になる子が出てきたということは、結果的によかったと思います。

—海外の大学でもいいのですか。

長沼 もちろん。今、海外の大学に行っている子は4人います。授業料が高いんですよ。基金が支援できるのは年間上限300万円までなので、超えた分は出せないんですが、今のところ何とかなっています。

 他にもドル建てなのか円建てなのかとか、いろいろ決めなければならないルールも出てきて大変です(苦笑)。

 

今は話を聴いてあげること、それがいちばん大事な活動。

—年に一度、支援している子ども全員と面談しているそうですね。生の声を聞いていかがですか。

長沼 例えば、関東の大学に来た子どもは9割方、自分が三陸の海岸沿い出身だとか、親を亡くしたとは言わないですね。ある女の子が言ったんです。「出身地を聞かれて、釜石ですと言った瞬間、あっ!という反応をされる。震災大丈夫だったの?と自分を気づかってくれる相手の気持ちをひしひしと感じる。そして、その人に気をつかわせないように頑張る自分がいる。この空気がつらいんだ」と。本当は「気をつかわないで」と言いたいけど、その気持ちをいちいち説明するのが大変、だから言わない。思い出したくないという気持ちも当然あると思いますけど、でもそれだけじゃないんですね。

—聞いた方も悪気があるわけじゃないですからねぇ。

長沼 子どもたちの間で「みちのく生」という言葉がいつの間にか生まれ、自分たちのことを「みちのく2期生、みちのく3期生」と呼んでいるんですね。みちのく生同士の交流を深めるイベントで、小学校は同じだったけど高校は別の子がばったり会ったんですよ。「え、おまえも! どっち?」「俺、親父」「俺、おっ母」。お互い自然にそういうことが言える、聞ける。それが楽だと言いますね。

—そういう場所はありそうでないのでしょうね。

長沼 基本は奨学金を給付することを目的とした基金です。ところが素人集団が作ったものですから変な固定概念がない。子どもたちと出会い、子どもたちといろんなことを共有する中で何が大事なのかということがだんだんわかってきまして、今は話を聴いてあげること、それがいちばん大事な活動だと思っています。

卒業する第1期生と

卒業する第1期生と

 もう一人ご紹介すると、宮城県の沿岸地域の子がいまして、この子は震災の数年前に両親が離婚していたんですね。妹がいたんですけどお母さんと暮らし、彼はおばあちゃんと父親と3人で暮らしていて、津波で父親が亡くなった。そういう経緯があるものだから、お父さんが亡くなっても辛いという気持ちが持てなかったと言うんです。それがこの間の面談で「親父が夢に出てきてハグしたんだ」「あんなに嫌ってたのにハグしたの?」「わからないけど夢の中でハグしてるんだ」と。そんなことを言える場所はないですよね。

 彼は震災後東京の大学に進学し、勉強しているうちにもっと世界を見たいと、一昨年1年間海外に留学して、この4月から大学院に行くことになっています。「もし震災がなかったらどうしてた?」と聞くと、「役場の職員になっていた。だってこの町では一番のエリートだし、地元を出るわけにはいかなかったから。でも親父が亡くなって、ある意味何のしがらみもなくなった」と。そして「震災がなかったらこんな道なかった。自分にとっては、震災ですべてを失ったというわけでもない。別の道が開けることにもつながった」と言ったんです。

 638人、一人ひとりの世界があるということなんですね。震災遺児というくくりでは何も説明できないです。

 

逃げ込む場所を持っていた子どもは、心がとっても豊かになる。

—お金の支援というより、心の支援がすごいですね。

長沼 それが当たり前になってしまって、就活の相談には乗るし、エントリーシートは見てあげるし……。
 もともと私は人事部門担当で新卒の採用も見てましたから、大学の進路相談よりよっぽど得意(笑)。

—まだ20年以上続きますね。基金はどうなんですか。

長沼 直近までで総額約36億円の寄附が届いています。おかげさまで寄付件数が減らないんですよ。大変ありがたいです。

 2011年に生まれた子が13人見つかっていますので、その子たちが最後になるだろうと思います。奨学金は総額で46億円くらいかかる計算なので、まだまだ応援していただきたいと思っています。

OB、OGも交えたBBQイベント

OB、OGも交えたBBQイベント

—震災のことを風化させないためにはどうしたらいいでしょう。

長沼 感じるのは、震災の記憶がずいぶん変わってきているということです。1期生のある子に言われたんです。「震災時に幼稚園とか小学校低学年だった子たちが、大学に進学して一人暮らしを始めて、夜中に突然に黒い何かが出てくる夢を見たりしても、何でそういう夢を見るかわからない子が出てくると思う。そういう時にサポートできるのは私たちだから。私たちの出番だからね」と。彼女はある時期PTSDで、夜中に夢を見たり、不安定になったりして大変だったんです。でも何で自分がそうなるかわかると。当時高校2年生でしたからね。

—カルビーで副社長をされていて、こういう道を歩むことになるとは……。

長沼 生まれが仙台だったということも大きいのかもしれませんけどね、6年間やってきてつくづく思うのは三陸の子たちというのは、とっても心が豊かだということです。ほとんどが大家族で、3人きょうだいなんて当たり前。例えば、お母さんとけんかしても味方が沢山いるんですよ。おばあちゃんがいる、おじいちゃんがいる、ひいおばあちゃんもいる、隣のおばさんもいる! そういう逃げ込む場所を持っていた子というのは、心がすごく豊かになるんですね。ギスギスしていない、優しさがある。

 でも、そういう子どもたちが育ったコミュニティが崩壊してもう戻らない。逃げ場所を持った子たちが育たなくなる。それが一番悲しいことかなぁと……。

—震災で失ったものは実はそういう目に見えないものなのかもしれませんね。基金のこれからについて思うことはありますか。

長沼 この基金を立ち上げた時からの基本は、まず、子どもたちに対しては徹底的に優しく温かく接すること、ただし甘やかすな。2番目は、すべてのサポーター、寄付者に対して心から感謝する。3番目は、4社がサポートしてくれていますが、子どもたちと向き合う独立した基金である。この3つの柱だけは不易の部分として守っていこうと思っています。

 私は今、68歳ですから、そんなに長くは続けられません。駅伝みたいなもので、私はせいぜい1区から4区までです。どうやって最後の10区までつないでいくか。4社から来ているスタッフで、また戻ってくる者もいますし、先ほどもお話しましたが、みちのく生のOB、OGがきっと支えてくれると信じています。

 私たちはビジネスのプロではありますが、このような支援活動は素人です。こういう縁で子どもたちと出会い、沢山の話を聴くことで、ものすごく学ぶことがありました。だから本当に子どもたちに感謝ですね。

 

公益財団法人みちのく未来基金 代表理事
 長沼孝義さんさん

撮影/宮田 知明

<プロフィール>
ながぬま たかよし
1949年宮城県出身。1973年明治大学政経学部卒業。1976年カルビー株式会社入社、宣伝部主任、マーケティング本部企画室課長、商品第二部(ポテトチップス)部長等を経て、2009年上級副社長執行役員(2013年退任)、人事総務本部長。2011年みちのく未来基金代表理事に就任。

 

 

 

 

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