HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.117 国立西洋美術館 館長 馬渕 明子さん
1 The Face トップインタビュー2017年09月20日号
国立西洋美術館 館長
馬渕 明子さん
美術史を専門とする女性研究者として初めて、国立西洋美術館の館長に任命された。着任早々、この秋から開催される「北斎とジャポニスム展」を企画。作品レンタルの交渉からパンフレットの制作まで自ら手がけてきた。展覧会を実現するまでのご苦労や面白さなどを、国立西洋美術館長の馬渕明子さんにうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
常設展にたくさん人が入ることが、美術館、博物館の本来の姿
—10月21日から「北斎とジャポニスム」展が開催されますが、館長自ら企画されたとか。そういうことは一般的なのですか。
馬渕 館長にもよりますけど、学芸畑から来た人はやはり展覧会をやりたいと思います。美術館にいる以上は、自分で何かしらストーリーを作って企画し、展覧会を開くということはとってもやりがいのあることですし、非常に楽しいことの一つですね。
—それにしても最近は、特に東京と言っていいのかもしれませんけれど、すごい展覧会が来ていてびっくりします。
馬渕 いわゆる特別展ですね。私どもと同じ国立美術館の一つである国立新美術館は、所蔵作品はありませんがすごく人が入る展覧会をやっています。日本人の傾向かもしれませんが、「特別展は行かなくちゃ」という感じがあるのでしょうか。
海外では、パリのルーヴルやオルセー、ニューヨークのメトロポリタン、フィレンツェのウフィッツィなどは、むしろ常設展がものすごくお客さんを集めていますね。
美術館、博物館はどこも自分のところのコレクションを持ち、そのコレクションを活用しながら特別展をやるんですね。特別展ではなく常設展にたくさん人が入ることが、美術館、博物館の本来の姿だと思います。
—作品を借りる交渉をする場合もコレクションがあるかないかで違うのでしょうか。
馬渕 自分のところのコレクションがしっかりしていれば、他からも借りやすいと言えますね。それから早く始めることも大切です。例えば今回もニューヨーク近代美術館に作品を借りに行った時に、「あなたたち早く来てよかったわね」と言われましたが、もうちょっと後だったらゴーギャンの絵は借りられなかったかもしれません。4年前ですかね、そのくらい早く交渉を始めないとなかなか借りられません。
だから、私どももそういう重要な美術館から作品を貸してくれと言われればなるべくお貸しするようにしていますけど、持っている数と質は世界の一流に比べるとまだまだ対等にはなれませんね。
—日本の美術館、博物館も作品は収集しているのですよね。
馬渕 もちろんです。所蔵品を持っている国立美術館4館に関しては、作品の購入予算は政府からかなり援助をいただいています。
ただ、私どもはアジアにいながら西洋のものを集めているので、ちょっと追いつかないなと。西洋のもののコレクションを始めて100年かそこらしかたっていないのですから。
一方で、東京国立博物館(東博)は10万点以上の作品を持っていますから、日本・中国美術に関しては世界トップクラスです。だから、東博が日本・アジアの展覧会をやる場合、簡単に外から借りられる。だって東博から借りるものも多いでしょう。
—今回の展覧会でもさぞご苦労があったのでしょうね。
馬渕 交渉してだめだった作品の“討ち死にリスト”を作って、それを眺めてはため息をつくみたいな(笑)。まあ、展覧会をやる以上、いつもつきまとうことです。
ジャポニスムは西洋人が自ら獲得したもの
日本が何かしたわけではない
—今回の「北斎とジャポニスム」は、“HOKUSAIが西洋に与えた衝撃”というキャッチが付いていますが、どのような衝撃だったのでしょう。
馬渕 一つ、今回の展覧会で誤解してもらっては困ると思っていることがあって、それは西洋人に日本のものが影響を与えた、日本文化ってすごいという言い方ももちろんできるんですが、実は日本は何もしてないということです。
ルネサンスから20世紀頭までの500年くらいの間、地図で見ると本当に小さいヨーロッパは、オセアニアやアメリカ、アフリカとかをコントロールしているつもりでいました。
ある意味でキリスト教社会の文化の中でできた遠近法の世界が、何か違う、変わらなければいけないと思い始めていた時に日本のものと出会ったわけです。西欧の遠近法を解体し、作り直して、自分のものにしたのは彼ら自身なんですね。
日本人は自分たちの文化の価値も知らなかったし、文化で戦うなんて夢にも思わなかった。文化というものが本当は力を持っているんだけれども、日本人は長い間それに気がつかなかったんです。
翻ってみればアジアはアジアの、オセアニアはオセアニアの、アフリカはアフリカの、それぞれにすごい表現があって、それは自分たちがちゃんと評価しなきゃいけないものですよね。
—確かに。でも自分の国のことは意外と自分ではわからないです。日本の西洋美術館の展覧会が、西洋美術の世界に対するプレゼンテーションと考えてもいいのかもしれませんね。
馬渕 そうですね。西洋人が自分たちの文化を見るのと、私たちが見るのとは違います。西洋美術の遠近法は、人間の目が固定されていてみんな同じように見えるという前提で初めて成り立つわけですが、人間の視覚はそんなものではありません。
例えば日本の絵は、絵巻物も屏風も端から動いて見る、襖絵も囲まれたものを見るという見方があって、それは西洋の静止的な遠近法の世界と正反対のものです。
よく「日本人が何で西洋美術をやるの?」と言われますが、それは西洋美術がすごいからだけじゃないんですね。彼らが相対化できないものを我々が相対化できるかもしれないと思っているからなんです。
狭いナショナリズムではなく、お互いにそれぞれ外から見るとどう見えるか交流しながらやっていくことは、すごく大事だと思っています。
—ル・コルビュジエの建築作品ということで世界文化遺産に登録されましたが、影響はございますか。
馬渕 まず入館者が、登録される前は一日千人が平均だったんですけど、今は約2倍になっています。入館者を倍にするというのは容易なことではないので、何もしないで入館者が倍になったのはありがたいことです。
それから、世界文化遺産になったことによって美術館の名前が知られるようになりました。海外の美術館に作品を借りに行った時に「世界遺産なら貸してあげるよ」と言われることもあり、やっぱり世界遺産ってブランドだと思いますね。
絵をおもしろく見るにはある程度のトレーニングが必要
—今後やってみたい展覧会はございますか。
馬渕 2020年東京オリンピック・パラリンピックの時にスポーツと身体というテーマで展覧会をやりたいなと思っています。スポーツをする身体に対する考え方は時代によってすごく違います。最初は複数のギリシャの神に捧げていたものが、キリスト教の神になって身体はむしろ人間の罪深い存在の証で、それをいかに精神がコントロールするかという時代があり、近代になって身体が解放され、ある意味で自分の喜びにつながるようなものが生まれてきたということを、展覧会を通じて見ていただけたらいいなと思っています。
—そういう説明というか解説もとても重要ですよね。
馬渕 絵はじっと見れば何か訴えてくるみたいなことを言いますが、訴えてなんかこないですよ(笑)。
昔、パリに留学していた時に、友達のお母様が観光に来られてルーヴルにお連れしたんです。その方はルーヴルに行けば感動すると思っていたのに、感動しないものだから、すごく当惑された。要するに何が描いてあるかわからないんです。
やはり、どうやってその絵を見るかというトレーニングがある程度できていないと、おもしろく見られないということはあると思います。特に西洋絵画は、なぜこういう表現になったのか、画家が何をここで描こうとしたのかということが、歴史の中に位置づけられて初めて理解できるところが大きいので。もちろん、見て感動することを、私は全く否定しないし、そういう見方もあるとも思いますが。
—ちょっと安心しました。絵を見たら感動しなきゃいけないという強迫観念のようなものが……。
馬渕 いろんなアプローチの仕方があるので、説明や解説はチョイスの一つであると理解して、自分はそんなふうには見ないというのでもいいのです。むしろ視覚的なものは、ある種の曖昧さを含んだ部分があって、描く人もメッセージとして描いているわけではなく、曖昧さを残しながら描いている部分がある。だから、時代や環境が変わると違うふうに読み取られることがずいぶんあります。
—見る側のその時の精神状態もあるでしょうし。
馬渕 そうですね。だから、同じ絵を何回見てもちょっとずつ違っていたりする。だから繰返し見てほしいと思いますね。
—今はインターネットで世界中の絵の画像が見られますが、そのことについてはどう思われますか。
馬渕 今は写真の精度がものすごく高くなっていて、画家が描いている時にそこまで拡大して見ることを想定していないというか、あまりにも鮮やかな、あまりにも絵の具の一筆一筆、あるいはキャンバスの目が出てくるような、そういう精度で見ることは、私はちょっと疑問に思いますね。
確かに画像がきれいになることによって見えてくることもあると思いますが、曖昧なふわっとした色の感じとか、出てこないのもある。何が描かれているかを調べる時は画像で十分だと思いますけど、本物とは明らかに違います。
—「北斎とジャポニスム」展も楽しみですが、常設展も見に行きます!
馬渕 常設展は無料ゾーンや無料日、無料時間帯もありますし、65歳以上と高校生以下は無料、大学生もキャンパスメンバーズという制度があって登録している大学の学生は学生証を提示すると無料で入れます。本物に会いに、気軽に美術館に来てもらえたらいいなと思っています。
<プロフィール>
まぶち あきこ
1947年茅ヶ崎市生まれ。国立西洋美術館長。東京大学大学院人文科学研究科美術史専攻修士課程修了。同博士課程進学後、パリ第四大学大学院博士課程に留学。専門は西洋近代美術史。東京大学助手、国立西洋美術館学芸課主任研究官、日本女子大学人間社会学部教授等を経て、2013年に独立行政法人国立美術館理事長ならびに現職就任。文化審議会会長、ジャポニスム学会会長。また日本サッカー協会副会長、日本女子サッカーリーグ理事長も務める。主著に『美のヤヌス―テオフィール・トレと19世紀美術批評』(サントリー学芸賞)、『ジャポニスム―幻想の日本』(ジャポニスム学会賞)。展覧会監修多数。
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