HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.115 囲碁棋士 小林千寿さん
1 The Face トップインタビュー2017年07月20日号
囲碁棋士 六段
公益財団法人日本棋院 常務理事 棋戦企画部担当
2020年東京オリンピック・パラリンピック担当
小林 千寿さん
4歳から父に囲碁の手ほどきを受け、6歳で故木谷実九段の内弟子となる。高校在学中にプロ棋士になり、世界への囲碁普及に尽力している女流棋士、小林千寿さんにお話をうかがった。
(インタビュー/津久井 美智江)
AIのアルファ碁がついに人間に勝利
そのアルゴリズムは社会貢献を目指す
—ついに中国のトップ、すなわち世界のトップ棋士がコンピュータに負けてしまいましたね。2009年7月号に小林さんと同じ木谷実門下の石田秀芳棋士にご登場いただいた時は、まだコンピュータは囲碁には全く歯が立たなくて、「世の中に一つぐらいコンピュータに負けないゲームがあってもいい」とおっしゃっていたのですが……。
小林 その対戦は、この5月に中国で打たれ、私はその会場におりました。
ディープマインド社の「アルファ碁」というのですが、「AlphaGo」—悔しいほどすてきな名前でしょう。
ディープマインド社はアルファ碁で人工知能(AI)の研究をしていたのですが、グーグルがそれを買収しました。グーグルの巨大なコンピュータを使用できるようになって、AIの能力がアップしたのです。囲碁AIは、この1年で急速に人間に追いつき、10の700乗、700桁の局面がある盤上を人間以上に理解してきたようです。その上、1年前より10分の1のサイズのコンピュータで可能になりました。
グーグルは、この囲碁で開発したアルゴリズムが社会にどう貢献できるかを探るのがディープマインド社の使命だと発表しています。
—社会貢献ですか、よくわかりません。
小林 そうですね、なぜ碁の打ち方が他のものに使えるのか。例えば1年前に韓国のトップを負かした後、そのアルゴリズムを使ってグーグル本社の冷却システムのエネルギー消費を40%カットしたそうです。何をどう無駄なく使えば効率的であるかを考えるのが碁の基本ですから、考えられることです。
また、複雑な地下鉄の路線の整理、それと医療にも使い始めているそうです。今後、ディープマインド社は社会貢献への開発をしていくと聞いています。
—アルファ碁の開発はここで終わりなのですか。
小林 はい、人間対AIの対決は終了と宣言されました。
ただ、AI対AIの対戦については分かりません。コンピュータは疲れませんからね。AI同士の50局を観戦しましたが、ちらっと見ただけでみんな気絶しそうなほど前衛的な打ち回しです(笑)。
一番不思議なのは、すべての情報が盤上にあるので、どこに石が打たれても驚かないはずなのですが、棋力の高いプロ棋士が見ても、「えっ!」という想定外の手があり、新鮮な驚きを受けているのが現実です。囲碁のプロができて何百年、囲碁そのものができて3千年ぐらいと言われていますが、人間に思いもよらない考え方、打ち方を今コンピュータに示されて、人間の基本的な観念が打ち壊されています。囲碁界は今ものすごく大きな転換期を迎えています。
—プロの世界というのは今後も存続していくのでしょうか。
小林 まずチェス。チェスにコンピュータが勝ったからといってチェス界は消えてないですよね。将棋界もそう。逆に新しい知識を取り入れて、藤井聡太さんのように新しい棋士が誕生しています。
AIと人間の戦いではなく、今後は「人間がそれをどう受け止めて、それをどう使って、何をしていくか」の時代に突入したと思います。
日本の囲碁は勝つことも大切だが、勝ち、なおかつ人間性が求められる
—囲碁界ではAIをどのように受け止めているのですか。
小林 オックスフォードのマイケル・オズボーン准教授は、AIの進歩によって2030年に人類の仕事の半分くらいがなくなるという説を唱えています。
ディープマインド社のリーダーのデミス・ハサビス氏はケンブリッジ卒業の科学技術系、パートナーはオックスフォード。注目すべきは科学の最先端を求めながらも哲学を大切にしていることです。
産業革命が起きた時、どんどん物を作って、はっと気がついたら空気が悪くなったり、人間の生活の質が下がっていた。その時、生産性を優先するのか、生活の質を優先するのか……、最後は哲学だと思うんですね。
実はディープマインド社のもう一人のパートナーのムスタファ・スリマン氏はオックスフォード大学で哲学・神学を学んでいます。スティーヴ・ジョブズも哲学・禅を勉強していました。科学のリーダーたちは哲学に造詣が深い。
話が飛躍しますが日本のプロ棋士たちは、囲碁は勝つだけではなく、人間性を求める文化的歴史を継承してきています。しかし、この20年ほどは中国・韓国の勝つことが全てという流れに押されています。そして今、人間がAIに負け、「次に囲碁界は何を求めるのか?」となった時、文化として育った「日本の囲碁」は大切な意味を持つと私は考えます。
—勝ち負けだけではないという……。
小林 「勝つこと。曰く負けた人の気持ちを知る」ということ。自分もいつ、その身になるかわからない、勝ち負けくらいで動揺しない、そういう気持ちを理解することが大切です。「礼に始まり礼に終わる」「勝つ事は始まりを意味する」—そういう哲学的なことを日本はきちんと世界にアピールしていく責務があると思います。
勝つことが最優先だった時はなかなか言いにくかったんですけど、もう人間がAIに負けたから、今こそチャンスだと思います。世界の囲碁界をリードする日中韓台湾が一丸となり、新しい世界の囲碁界に対応すべく一緒に考えられたらいいですね。囲碁AIのおかげで国境を超えて交流が深まります。
—囲碁のアルゴリズムは、紛争とか戦争回避にも使えるということですね。
小林 そうそう。戦争は無駄だらけですよね。とはいえ経済の一部を担っています。その経済の根本的なシステムと無駄を囲碁的に考えたら、いい意味でバランスが取れるような発見があるかもしれません。日本の囲碁界は、そういうリーダーシップを取っていくべきだと思います。
日本の囲碁文化を、インターネットを使って発信したい
—2020年東京オリンピック・パラリンピック担当ということですが、どんなことを計画されているのですか。
小林 日本の囲碁文化を、インターネットを使って見せられるようなプロジェクトを考えています。
例えば、温泉に行きたいと思う人が「温泉」と「碁」で検索すると、対局場となった宿がヒットして誘導するとか、そこで打たれた棋譜が見られる。
あるいは、源氏物語に興味のある人が「源氏物語」と「碁」と入れると、源氏物語では囲碁はどのように描写されているか、紫式部や清少納言にも繋がっていく。
インターネット・AIによって、私たちプロの地位がある意味脅かされているわけですから、逆にインターネットを使って、私たち人間が苦手なことができるようにしたいと思っています。
—おもしろそうですね。囲碁のソフトもあって、対局もできるんですよね。
小林 もちろん。ディープマインド社は1年前、韓国のプロ棋士との対局後に、その研究内容をNature誌に発表しました。プログラマーが読めばそれに近いクローンが作れるとのことでした。実際に作った人がいて半年でトップのAIにかなり迫る棋力でした。
今回もアルファ碁が中国のトッププロと打った棋譜の解析を発表すると言っています。1、2年後には今よりさらに強いアルファ碁のクローンが出てくるはずです。
—全部オープンにするというのがすごいと思います。
小林 ですね。その姿勢に感激します。5月の中国対戦の折に開発者にお会いしましたが、とてもチャーミングで素敵な方でした。「この手は人間には考えられない」「人間には全く発想がない手です」というコメントを、本当に嬉しそうに聞かれていました。
他のAI囲碁のソフトも強いのですが、アルファ碁は今までにない革命的な手を打ち、プロ棋士の常識を破りました。そこに魅了されて、プロはみんなアルファ碁に恋をしてしまったのでしょうね。
—2045年にはAIが人間の知能を超えると言われていますが、アルファ碁はその好例ですね。
小林 ディープマインド社が大事にしているのは、人間対AIではなくて、人間とAIがどのように協力していくかです。碁が強いAIの考え方が、もし社会貢献につながっていくならば、碁はただのゲームではないことが証明されます。
一方で、AIが意志を持って人間をコントロールする怖さ、人間が悪用する怖さは必ずあります。そういう意味で、最後は人間力が鍵になると思います。
碁を打つことでいろいろなシミュレーションをして人間力を鍛えるのもよい方法だと思います。年齢も人種も地位も何にも関係なく、フェアに戦える。結果も出る。そこで潔さや思いやりも培われます。
最近はスマホやコンピュータ、AIに、本来、人間がするべきことまで任せるようになってきています。便利さにかこつけて、人間が人間を育てることに機械を使いすぎる傾向には危機感を感じます。人間を育てる、育児や教育は絶対に人間がやったほうがいいと思います。
<プロフィール>
こばやし ちず
昭和29年長野県松本市出身。故木谷実九段門下。47年入段、48年二段、49年三段、51年四段、53年五段、平成28年六段。女流選手権戦優勝3連覇、女流鶴聖戦優勝3回など。海外囲碁普及活動を積極的に行っている。2011年より日本将棋連盟の理事。門下に故ハンス・ビーチ六段、アンティ・トルマネン初段。小林四姉弟の長子で、孝之準棋士三段、健二七段、覚九段は実弟。日本棋院東京本院所属
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