仕事に命を賭けて Vol.3
第二次世界大戦後、
海中投棄された軍所有の爆弾
横須賀水中処分隊長 3等海佐
杉山 重一
文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。およそ知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。
今回は、観光地としても知られる新島の、美しい海底に潜む爆発物処理に取り組む海上自衛隊横須賀警備隊横須賀水中処分隊長の杉山重一3等海佐。水中で求められるあらゆる事案に対応し、時には水深50mを超える海中で作業をすることも求められる、このプロフェッショナル集団の仕事内容とは―。
(取材・撮影/平田邦彦)
新島村の西側に位置する前浜に集まった男たちの姿は、ちょっと見慣れない。
スクーバなり、シュノーケルの装備を持った男たちは、“むくつけき”との表現以外しようが無い、屈強の若者たち……いや、かなりのおじさんも入っている。
この手の集団が持つ、やや華やいだ遊びに向かう仲間同士の雰囲気とは全く異なり、飛び交う冗談を耳にしても、ある種の緊張感に満ちている。
聞けば当たり前で、彼らは海上自衛隊が誇る潜水のプロ集団。水中処分隊の面々だ。
海上自衛隊横須賀警備隊隷下の彼らの活躍舞台は、どちらかといえば島嶼(しょ)、分かりやすく言えば専ら島でお呼びが掛かることが多い。
そもそも水中処分と聞いても我々にはあまり馴染みが無いが、今回の取材が行われた、「新島」での彼らの活動を見れば、日頃の仕事振りは理解し易い。
新島では、第二次世界大戦後に武装解除を受けた帝国陸軍所有の弾薬等を海中投棄した。所定の位置よりかなり岸近くに投棄したことがあだとなって、それらはしばしば海岸に打ち上げられることとなる。
島の人たちは都合の良い発火材として利用したり、真鍮のケースをスクラップとして小遣い稼ぎにしたりしていたが、昭和44年に悲劇が起きた。
海岸で焚き火をしていた地元の中学生が、これらを拾って火に放り込み、一名が死亡、一名が右目眼球破裂、左目網膜はく離の重症を負うこととなった。
裁判の結果、そんな事実を知りながら、危険物に対する指導、対応を怠ったとした裁判所の判断を受けて、警察は自衛隊に依頼し、その除去作業を続けていると言う訳だ。
僅か5時間の作業で100kgを超す爆発物が発見
新島の海は美しい。サーフィンのメッカとして全国に知られる一方で、その美しい海を求めて訪れる家族連れも多い手近かな観光地だが、ごく浅い海水浴場の海底にそんな危険が潜んでいるとは初めて知った。
いやなればこそ、彼らは毎年黙々とこの作業に取り組み、戦後六十年を過ぎた今日でも未だに終了しない作業が地道に続けられているのだ。
処分隊を率いる杉山 重一3等海佐は、防衛大学卒業後、配属を受けた海上自衛隊の数ある職種の中で、この水中処分の道を選んだ。
折しもペルシャ湾に出向いた機雷掃海部隊の活躍もきっかけだったのだろう。海外で華々しく活動する、同胞の姿が見せる輝きが、若い杉山に強い憧れを呼んだのかも知れない。
しかし実際の作業は地道で、辛いものだ。黒潮に乗って紛れ込む熱帯魚も見られる美しい新島の海は、あまりの透明度に息を呑むほどだ。
その美しい海に、金槌片手に潜る男たちの姿はあまりに不似合い。
陸上から彼らの作業を伺うことは出来ないが、サポートのゴムボートに自衛艦旗が翻っているからそれと知れるだけで、地味で、根暗な作業であることは間違いない。
取材当日の僅か5時間の作業がもたらした戦果は、写真の通りだが、恐らくは100kgを超えるであろう砲弾が発見されている。中には信管が付いたままの物もあり、正に命の危険だってある仕事なのだ。
15名からなる水中作業のプロ集団
全国に6部隊が活躍
水中で求められる、あらゆる事案が彼らのテリトリーと聞くが、水深50mを超える海中で作業をすることも求められるその仕事内容に、改めてこのプロフェッショナルな集団に我々が守られていることを実感する。
彼らの仕事は、何も爆発物の処理に止まらず、およそ水中であればすぐに対応を求められる15名からなるプロ集団なのだ。
同じ仕事をする仲間は、全国に6部隊が編成されていると聞くが、本来は新島のように、自ら爆発性危険物を捜索して出動することは無く、通常は発生した事案に対処することを業務としている。多くは浚渫工事でヘドロの中から発見されたり、海水浴客なりダイバーが発見したりした案件に対応している。
昨年の実績では新島だけでも410kgの爆発物が発見処分されている。
我々が見えないところで活躍するこうした人々の存在によって、守られていることを改めて感謝したい。
<プロフィール>
防衛大学校36期卒 海上自衛隊任官後、幹部候補生学校在席時に遭遇した、ペルシャ湾での掃海部隊派遣に強い感銘を受け、平成10年から水中処分員としての第一歩を踏み出す。現職は本年春から。