勤怠管理システム ●キズナジャパン株式会社 ●千代田区富士見 ●1995年設立 ●従業員数17名
TOKYO★世界一 (2)
勤怠管理システム
キズナジャパン
東京にある、世界トップクラスの技術・技能−。それを生み出すまでには、果たしてどんな苦心があったのだろうか。多くの文教施設がある千代田区富士見のキズナジャパンは、さまざまな雇用条件などに対応した勤怠管理システムを開発。阪神・淡路大震災から街が復興するのと時を同じくして設立された、同社の苦難の道のりとともに、その画期的なシステムの多くをご紹介する。
(取材/袴田宜伸)
多くの尊い命が失われた阪神・淡路大震災。1995年1月17日−当時、兵庫県で大手ハンバーガーショップを経営していたキズナジャパンの代表取締役社長・高崎義一氏もまた、大きな被害に遭った。
店は半壊し、人手も不足。売り上げは4割にまで落ち込んだ。そこで高崎氏は、「背に腹はかえられない」と新たな分野に身を投じる。
店舗経営に使用していた、勤怠管理システムの営業・販売を開始。「それまで一度も営業をしたことがなく、プレゼンという言葉も知らなかった」と高崎氏は振り返るが、店舗スタッフや親しかったショップのオーナーなど、多くの人との深い絆に支えられて順調に業績を伸ばす。
その感謝の意を込めて社名を、キズナジャパンとした。
考えられる組み合わせは実に2万通り
my給の「給与目次明細」画面。承認を受けると、このように日ごとの給与がわかる
新たな顧客が増える一方、販売していたシステムは飲食店用のもの。そのため、雇用形態や労働条件などがさまざまな他業種には、そのまま使用することができない。
「考えられる組合せは2万通りにもおよんで気が遠くなりましたが、積み上げてきたノウハウを活かして少しずつ形にしていきました」。
また、一つのソフトにするとOSの進化に合わせて作り替える必要があるが、利用者のことを考え、永遠に使い続けられるようにも着手。
折しも時は、ITバブル。インターネットを介してソフトを使用するASPが注目されていたが、高崎氏もその一人。
「ASPならずっと使い続けられる」。東京に進出したのもこの頃で、ソフト開発会社と契約を結び、開発開始から2年を経てASP型の勤怠管理システム「DAIM」が完成した。
給与などの全ての計算が自動で終わる
DAIMの特徴はエディなどのICカードをタイムカードに使用することで、それぞれの雇用形態や労働条件に応じてその日の人件費や労働時間、残りの有給日数などが自動で算出され、閲覧できること。
また、日によって労働条件が違う場所で勤務する場合でも、携帯電話(インターネット)で出勤・退勤を届け出ることができ、給与も勤務先の条件で計算される。
これにより、ワークシェアリングを推進していた政府の目にDAIMの利用価値の高さがとまり、2001年には『第14回ソフト化大賞』を受賞した。
申請と承認で、いつでも給与が手にできる
DAIMならその日の自分の給与がわかる。一方で前払いや日払いを求めているアルバイト・パートは多く、そうした制度がある職場では人の定着率が高いという実態もある。
そこでキズナジャパンは、DAIMの特徴を最大限に活かし、自分が働いた分を“いつでも払い”でもらえる画期的なシステム「my給」も開発。
「日払いをするにはタイムカードとシフト表を照合し、給与計算をして振り込むので、膨大な手間と手数料が発生します。でもmy給であれば、携帯電話を使って自分で出勤と退勤を入力して手続きは完了。会社側もインターネット上でそれを承認するだけです」。
それまでに働いた分の給与はその都度プールされ、必要な時に自分で自分のネットバンク口座に振り込める。その際に手数料はかかるが、つまり365日24時間いつでも自由に、自分の給与が使えるのだ。
my給は今月1日から導入開始。100社以上から引き合いがあり、一方のDAIMも大手企業をはじめ、既に400社以上で使用されている。
代表取締役社長の高崎氏
「“時間”をキーワードとしたソリューション開発に努め、労働者と雇用者がともに幸せになれる労働環境の構築に寄与していきたい」と高崎氏。
自身が助けられた人と人との絆。正社員向けのmy給の導入を間近に控え、今後もまた、新たな絆作りに尽力していく。
沿革 ※一部抜粋
1995年 |
会社設立(神戸市) |
1998年 |
東京事務所開設(半蔵門) |
2001年 |
第14回ソフト化大賞受賞 |
2004年 |
本社移転(千代田区平河町) |
2006年 |
特許・ネットワークタイムレコーダーにおける情報配信システム、施設補助装置、QRコード時計とそれを使った勤怠管理システム(共同発明) |