朝の街を歩く。まだ七時前と言うのに、熱心に道路の清掃をしている小学校の先生方に出会う。そしてやがて登校時間が来ると、先生方は校門に立って、子どもたち一人一人に丁寧に挨拶をしている光景に出会う。
日本中何処にでも見られる風景と見過ごしがちだが、どこかに違和感が残った。
気が付けば挨拶の声がけは先生の方からで、それも先生は大きな声で「お早う御座います!」と言うのに対して、概して子供たちの声は小さい。中には口の中でもぞもぞとつぶやく程度にしか、挨拶を返していない子もいることに気付いた。
そもそも人と人とのコミュニケーションとは、互いに声を掛け合い、話をすることによって成立しているものだ。見ず知らずの人と言っても、笑顔で会釈をされれば、思わす返してしまうのは誰しもだろうし、「お早う」の一言に怒る人はまず居るまい。
理屈をこねるまでもなく、子供たちが大きな声で挨拶をして来たら、それだけで元気を貰った気分になれるし、投げかけられる笑顔に接するだけで、心和む思いがするのは、小筆だけでは無いだろう。
何か希望に満ちた一日の始まりを予感させられたりもして、その日一日が充実したものとなるような錯覚すら覚える。
それが先生からの挨拶に応えるのが精一杯の小学生では情けない。先生が教えていないのか、家庭が躾けていないのかは定かではないが、そんなのはどちらでも良い。
人との交流の第一歩は、挨拶から始まることを子供たちにキチンと教えて行こう。全ては挨拶すると言う、ごく単純な意思表示が、全ての人間関係のスタートであることを、教えて行こう。
殺伐とした事件の連続を見る昨今だけに、そんな簡単なところが抜けていることを痛感すべきと改めて感じた。
希薄な人間関係の解消こそ、我々が忘れてはならないことと自覚しようではないか。