2008年8月20日号
鳥瞰 「親父の権威、復活を果たそうではないか。」
弱い親父が、だめ子供を作っている
地震、雷、火事、親父と昔は教わった。
親父とは彼ほどに恐ろしく、絶対的な権威が保たれていた時代があった。
時代の変遷の中で、色々と対策が講じられ、いずれもそれほど恐ろしい存在ではなくなりつつある。
その中で、親父だけは特段の対策が講じられた気配も無いのに、かなり無力化してはいないだろうか。世の中サラリーマンが増えて、親父が家にいる時間が相対的に少なくなっていること。女権が強まってきたこともあるだろう。
親父が親父たる主権を主張するからには、自らを律する強い意志の裏づけが求められるのも確かで、妙な個人主義とか、自由主義が浸透したことも、無理して親父を主張する気力を失わせしめた理由かもしれない。
なにはともあれ、親父が恐ろしい存在で無くなった現代、子供たちは何を規範に、ものを考え、自律心、自制心をコントロールしているのだろうか。
教育とは、子供の望むことを叶えさせることが教育ではない。時として理不尽な親父の命令に従う中で、不条理、不合理を知り、反面教師としての親父を見ることも、立派な教育だった。
子供に目を掛けるあまりに、モンスター・ペアレンツと呼ばれる不条理を周囲に振りまく最低な親に成り下がったりはしてはいないだろうか。生まれ落ちた瞬間から完成した人間など何処にも居ない。
人は人の社会の中で、揉まれ、切磋琢磨しあう中で、人間としての完成度を高めて行く存在なのだ。
それを変に妥協し、子供の主体性こそが守られるべきものとの、誤った価値観に埋没している親父共が如何に多いか。
それは自らの不甲斐なさ、不精の為せる技と反省し、出来るだけ強く逞しい親父の背中を作って欲しいものだ。子供とは教育すべき対象であって絶対に友達ではない。