2008年6月20日号
鳥瞰 「いい大人が街中を何故走る」
犬や子供でもあるまいに…。
異国(とつくに)を旅すると、その国々なりの交通マナーに出会い、時として驚かされたりもする。
発展途上国に行くと、必要以上のクラクションに苛立ちを覚えさせられることも珍しくは無い。
車に乗っているのは、特権階級で、民草は蹴散らしてでも走るといった風情に、なんとなく見えたりもする。
逆に欧米自動車先進国では、歩行者の権利が大切にされていることもあって、赤信号でも平気で渡って来る人々には閉口させられる。
そして我が日本国にあっては、必要以上に(本人の自覚は別として)街中を走る大人の姿がひどく奇異な景色に映るらしい。これまで出会った外国からの、それも日本来訪の機会が少ない人にほど、その点を指摘された。
走っているのは泥棒かとも問われた。
確かに信号が変わりそうだと走り、電車のドアが閉まるのを恐れて走りで、いい大人が走る姿を良く見かける。
走ってまで渡らなければならない程に逼迫している人がそのうち何人いるのだろうと、よく思う。
歩行者信号が点滅することは、走って渡れとのサインだと学校で教えているのかと疑いたくなる。
まして中央に大きな分離帯があり、十分そこでやり過ごせば済む道でも、強引に走ってまで渡ろうとする。
どなたも身に覚えがお有りだろう。各申し上げる小筆も走っていた。しかしそんな指摘を受けてから、待ってもせいぜい3分なら、止まって待つエレガントを身に付けようと心掛けた。
電車だってそうだ。通勤に使うような路線なら、そんなに長くは待たされない。
これだけ緻密なダイヤを組んでくれている、電鉄各社に敬意を表し、ゆっくり待って見せるのもすてきな仕草ではないだろうか。
それが大人の社会習慣と考えるからだ。