2008年1月21日号
鳥瞰
祝祭日不要論
社会資本の有効活用を真剣に考えよう。

 三が日の東京都心は普段と全く違う顔を見せる。行き交う車も少ないし、青空が一際美しく見えるばかりか、葉を落とした木々までもが何かすっきりとした印象を与えてくれる。

 故郷に帰った人々には、馴染みがない風景かも知れないが、この時期の東京を知るものにとっては何かほっとするくつろぎのある景色なのだ。しかしそれにしてもあの高速道路だの各種交通機関の混雑振りを見るに、あれが常態とは情けない。

 数えて見ると、十二月中旬からの一ヶ月で十六日間が土日祭日となっている。要するに半分以上が休みだし、年末年始の挨拶周りを入れると、明らかに三十日以上も通常の経済活動が行われない特殊なシーズンとなっている。

 盆と正月しか休みが無かった時代でもあるまいに、このグローバル化時代に、こんなに祝祭日が多くて良いのだろうか。

 加えて五月のゴールデンウィーク、八月のお盆を加えれば、明らかに二ヶ月以上が暦から消えてしまう。そもそも一斉に休まないと満足に休暇も取れない、哀れな国民性が生んだ産物なのだろうが、どう考えても無駄な話だ。

 道路にしても鉄道にしても、あんなに集中して使おうとするから、驚くべき混雑振りを見せる。社会資本の無駄使いと言わずして何と言うか。それもこれも一斉に何かをしようとする、同一性を重んずる、国民性のなせる業と考えるべきだろう。

 かつてリゾート法なる法律を作り、愚かしくも箱作りばかりに特化した事があった。日本中にリゾート・ブームを巻き起こし、それに続くバブル崩壊を引き起こしたのも、皆で渡れば怖くないとの発想が原点だ。

 ちょっと考えれば、日本中にリゾートを作っても、何処に利用者がいるのかを、まるで考えていなかった。あの教訓が未だに生かされていないと断言できる。

 サマータイムにしても同じことだ。太陽の恵みを最大限活用するために、サマータイムは優れた智恵と理解出来るが、労働強化に繋がるとの屁理屈を論破出来ないままに、未だに施行されない。

 もっと智恵を出そうではないか。昨日までの習慣、同一性の否定から、真に望ましい結論を導き出すことに邁進しよう。

 国民祝祭日をなし崩し的に増やして、年間実労働時間を千八百時間に押し込めようとする手法は、所詮対処療法でしかない。抜本的な発想の転換こそが、明日の豊かな社会を作るとの発想に立つべきではないだろうか。

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