エンタメから言葉の壁をなくし、
世界の平和に貢献したい。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

Mantra株式会社 代表取締役 石渡 祥之佑さん

大学院の時、先輩の起業経験談を聞き、スタートアップに興味を持った。同じ専攻の友人を誘い、マンガに特化した翻訳支援ツール『Mantra Engine』と英語学習サービス『Langaku』を開発。エンタメから言葉の壁をなくすツールで世界の平和に貢献したいと語るMantra株式会社代表取締役、石渡祥之佑さんにお話をうかがった。

翻訳ツールで翻訳者の生産性を向上。マンガの海賊版対策の一助に。

—御社が開発したマンガ翻訳ツール『Mantra Engine』が国際的にも高く評価されているそうですね。具体的にはどのようなツールなのでしょうか。

石渡 一言でいうと、マンガに特化したAI翻訳ツールです。

 マンガは絵と文字で成り立っています。そのため、作品の海外展開の際には文字の翻訳だけでなく、画像の処理も同時に行う必要があります。しかし、多くのマンガデータは文字情報と画像情報が分かれていません。そこで、「画像認識」と「自然言語処理」、2つのAI技術を組み合わせた翻訳ツールを構築しました。

 使い方はシンプルです。まず、マンガの画像データをクラウド上にアップロードすると、吹き出しとその中の文字が自動で検出され、複数の吹き出しにまたがる文章も、文脈に沿って順番通りに翻訳されます。主語や述語が省略されている場合でも、文脈や画像情報から推定して翻訳を行います。

 このサービスの特徴は、自動翻訳されたテキストをシステム内で編集できる点です。翻訳の修正作業はもちろん、吹き出しに合うようにフォントのサイズを変更したり、関係者間でのコメントのやりとりなどもできるので、翻訳チームの作業負担を大幅に軽減できます。

—マンガには吹き出しだけでなく、文字も画像として描かれていたりします。どう処理されるのですか。

石渡 これがまさに難しい部分なんです。基本的には2つの方法があります。

 1つは、例えば日本語の「ドン」といった擬音の横に英訳を併記する方法。もう1つは、日本語の擬音を削除し、英語版の擬音を画像として新たに書き込む方法です。

 前者はリアルタイム性を求められる翻訳でよく用いられ、クオリティを重視する場合は、後者の方法をとることが多いです。

 少し話が変わりますが、正規の翻訳を海賊版よりも早く提供することは、作品の著作権保護において極めて重要と言われています。そのため、リアルタイム性を重視した前者の方法で、日本語と同時に他言語版も配信する、というケースが増えています。

 また、週刊連載時には前者を、後から紙の書籍として出版する場合は後者を採用して差し替えるようなケースもあります。

 さらに、マンガには「正しい」だけの直訳では再現できない独自の「空気感」があります。キャラクターごとに異なる言葉の選び方、表情に応じた言い回しの調整、効果音や方言など、作品の個性を構成する要素が多く存在します。そのため、現時点ではAIのみで翻訳を完結することは難しく、プロの翻訳者による調整が重要と考えています。

 そのため、『Mantra Engine』は現状、翻訳者の生産性を向上させるためのツールとして提供しています。翻訳のリアルタイム性が求められる現代において、このエンジンを活用することで、翻訳関係者の業務負担を軽減し、ひいては海賊版対策にも貢献できるのではないかと考えています。

自動翻訳されたテキストをシステム内で編集できる点が特徴

自動翻訳されたテキストをシステム内で編集できる点が特徴

マンガを英語で楽しみながら学習できるアプリが人気。

—2022年に公開した英語学習アプリ『Langaku』も、新たな言語学習の手法として注目を集めていますね。

石渡 これは『Mantra Engine』に含まれるいくつかのAI技術を英語学習に応用したもので、人気マンガを英語で楽しみながら言語を習得できる個人向けのスマホアプリです。

 通常であれば、マンガは全部英語か全部日本語で読むしかありませんが、『Langaku』では、ユーザーのレベルに応じて日本語を適度に混ぜることができます。さらに、わからない箇所をタップすると即座に日英を切り替えることができます。音声再生機能も搭載されており、セリフを音声で聞くことができるほか、AI辞書機能によって「この文脈ではこういう意味になります」といった解説も表示される仕組みになっています。

 英文でマンガを楽しくたくさん読むだけなので、英語が苦手な方や勉強を続けるのが大変という方でも、気軽に続けられるサービスになっています。日英がごちゃ混ぜになったマンガを読むというのは最初は違和感があるかもしれませんが、読み続けるうちに自然と英語が身につくようになります。実際に、「TOEICの点数が大幅に上がった」という声も多く寄せられています。

—子供だけでなく、大人の英語学習にも使われているのですね。

石渡 むしろ大人のユーザーの方が多いかもしれません。「英語学習のため」と考えれば、マンガを読むことに罪悪感を持たずに済むのも魅力の1つかもしれませんね(笑)。

—『Mantra Engine』と『Langaku』、2つの事業の根底にはどのような思いがあるのですか。

石渡 私たちの事業の根底にあるのは「エンタメから言語の壁をなくしたい」という思いです。将来的には小説、ゲーム、アニメなど、様々なエンタメコンテンツの翻訳技術の開発にも挑戦していくつもりです。

—「エンタメから言語の壁をなくしたい」と思うようになったきっかけは?

石渡 私は母が中国人、父が日本人のハーフです。小学校4年の時に中国に住んだこともあります。中国の学校では、外国人は私一人だけという環境で、馴染めるかどうか不安でした。でも、日本のマンガやゲームは中国でも大人気だったので、その話で盛り上がることができました。共通の話題があったおかげで、すぐにクラスメイトと仲良くなれたんです。

—その体験が今の事業につながったと。

石渡 そうですね。「起業しよう」という考えに至ったのはずっと後ですが、「エンタメが国を超えて行き来すると世界は平和に近づくんだな、何かしらそういうことに貢献できたらいいだろうな」という漠然とした思いはずっと心の中にありました。

 ただ、スタートアップに興味を持った直接的なきっかけは、大学院の博士課程3年の時、同じ学科を卒業した先輩が起業した話を聞いたことです。歳の近い、自分と同じ専攻の先輩の事例を知ったことで、研究者やエンジニアが技術をベースに起業するという選択肢もあるのかと、興味を持つようになりました。そこで、すぐに同じ研究科だった共同創業者の日並遼太に連絡を取ったんです。

 当時、私はテキストのAI、彼は画像のAIをそれぞれ研究していました。マンガにはテキストと画像の両方が含まれており、技術的にもすごく面白いチャレンジだと感じ、そこから「マンガの機械翻訳」というアイデアが生まれました。このアイデアが東大学内のピッチコンテストで優勝し、学内のスタートアップ支援プログラムを受けることになりました。研究、開発を進めていくうちに、当初の想像以上にニーズがあり、社会的にも意義の大きなプロジェクトであると気づき、大学院の修了と同時にフルコミットで取り組むことに決めました。

常に「グローバルチーム」であることを意識している

常に「グローバルチーム」であることを意識している

将来の業界を変えていける。それがスタートアップの面白さ。

—事業とともに組織も拡大していくフェーズだと思いますが、組織づくりで大切にしていることはありますか。

石渡 現在、正社員は15名ほどですが、一昨年末は8名だったので、倍近くになりました。言語の壁をなくすためのサービスを作っている会社だからこそ、「グローバルチーム」であることは常に意識しています。社内のコミュニケーションは英語か日本語で行われますが、中には日本語がまだあまり話せないメンバーもいます。そのため、社内の議論は原則全てクラウド上に記録し、日本語が不自由なメンバーでも、会議で理解が追いつかなかった部分を後から機械翻訳を活用して振り返ることができるようにしています。

 もう1つ大切にしているのは、「健康第一」です。スタートアップは気をつけていないと健康が後まわしになりがちです。もちろん頑張るべき時期もありますが、だからこそ休めるときはしっかり休む。スタートアップのチャレンジは長期戦です。自分自身やチームメンバーの健康はもちろん、メンバーの家族の健康も大切だと思っています。

—スタートアップ企業ということで、人材確保で苦労することは?

石渡 スタートアップ企業で働くことに対してポジティブな印象を持つ人が増えていると感じます。特に、自分のスキルに自信がある人ほどその傾向が強く、昔と比べて人材獲得はしやすくなっているのではないでしょうか。

 それに、スタートアップにはやはり独自の面白さがあります。自分の仕事が業界の5年後、10年後に直接影響を与え、世の中を変えていくことができるかもしれない。そう考えると、とても挑戦しがいがあると感じています。

—世界中からたくさんエンタメが入ってくるようになりました。そこに言葉の壁がなくなったら、本当に世の中が変わっていくような気がします。

石渡 マンガやアニメ、ゲームなどの日本のコンテンツが長い時間をかけて世界に浸透したことで、世界の人々の日本に対する印象は確実に良くなっています。そうやって多くの人が他の国や文化に興味を持つことで、その国や地域に対する人々の感情も少しずつ良好なものになっていくのではないでしょうか。その積み重ねが世界平和にもつながるんじゃないか、と私は思っています。

 もともと、機械翻訳は国防への応用を強く意識して開発された技術です。冷戦の時代、ロシア語で書かれた文章を素早く英語で読めるようにしたい。しかし翻訳者の数には限りがある。そこで、コンピューターによる機械翻訳に強い期待が寄せられたそうです。この令和の時代に、国防のために作られてきた機械翻訳を、今度は平和に繋がるエンタメの領域に応用することには大きな意義があると考えています。

 だからこそ、エンタメと言語、AIが関わる私たちの仕事には大きなやりがいがあります。このような意義のある仕事をしている限りは、たとえ困難があっても頑張れます。今後もこの領域には強いこだわりを持って取り組んでいきたいと思います。

スタートアップ企業は健康が疎かになりがち。だからこそ「健康第一」を心がけている

スタートアップ企業は健康が疎かになりがち。だからこそ「健康第一」を心がけている

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