海上自衛隊 硫黄島航空基地隊司令
1等海佐 宮崎 研三

  • 取材:種藤 潤

 文字通り、仕事に自分の命を賭ける人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。
 東京都の一部である小笠原諸島の南方に位置する硫黄島。そこに自衛隊の航空基地があり、海上自衛隊が中心となって維持管理していることは、意外と知られていない。今号では、その専門部隊である海上自衛隊硫黄島航空基地隊の現地責任者に、硫黄島における役割と目的について話を聞いた。

海上自衛隊 硫黄島航空基地隊司令 1等海佐 宮崎 研三

基地施設維持管理をはじめ 航空管制、航空機の給油等を担当

 硫黄島は、東京から南方に約1300㎞、南から沖ノ鳥島、南硫黄島に次いで最南に位置する小笠原諸島の中の離島である。

 現在は遺骨収集及び慰霊を目的とした遺族や関係者以外、一般市民は島内に入ることはできない。

 常駐しているのは海上自衛隊及び航空自衛隊、海上保安庁、気象庁、工事関係者などで、航空基地を中心に島内の維持管理を担っているのが、今回取材した海上自衛隊硫黄島航空基地隊だ。

 主な任務は、基地機能の維持管理に加え、航空管制、飛来する航空機に対する給油、同じく第21航空隊硫黄島航空分遣隊による周辺での救難活動支援などである。

硫黄島の沿岸での海底火山が噴火する様子。この火山は現在は消失している(写真はすべて海上自衛隊提供)

硫黄島の沿岸での海底火山が噴火する様子。この火山は現在は消失している(写真はすべて海上自衛隊提供)

島全体が活火山 家族的意識で任務にあたる

 硫黄島に航空基地が設置されたのは1968年。以後、50年以上にわたって、海上自衛隊が中心となり基地機能の維持管理を行ってきた。

 この島は活火山であり、通常の基地以上に維持管理には手間や時間、人手がかかると、部隊を率いる宮崎研三司令はいう。

 「陸地は常に火山活動の影響があり、また塩害の影響もあり、建物や車両などは壊れやすく錆びやすいので、常に修理の対応に追われています。その上、台湾と同じ緯度で亜熱帯気候であり、夏には40度を超える環境下で活動しなければなりません。特に夏は除草に追われ、昨年も炎天の下、部隊総出で草刈りをし続けました」

 部隊は衛生、補給、運航、地上救難、本部、運用と班ごとに役割が決まっているが、あらゆることに一致団結して対処する意識が隊全体に育まれているという。

 「隊員はみな優秀ですが、班ごとの業務以外にも対応しなければならない案件が多い。そのため、全員で基地を維持していく家族的意識を持ち、チームワークを発揮することが重要です」

 島が火山であることは物資輸送にも影響する。陸地が不安定なため、港を作ることができず、物資は輸送艦が沖合に到着後、LCAC(エアクッション艇)で陸地に移送しなければならない。そのため、物資は最小限に抑えて生活しており、特に真水は貴重で、貯水した雨水を再利用しているという。

 「それでも昨年は深刻な水不足で、一部の隊員を本土に返して乗り切りました。私は島に残って週2回のシャワーのみで過ごしましたが、台風で水が確保できた時は、本当にありがたかったですね」

上は、沖合の輸送艦から、LCAC(エアクッション艇)で物資を陸揚げする様子。下は燃料を沖合の油槽船からホースをつなげて陸揚げする隊員たち

上は、沖合の輸送艦から、LCAC(エアクッション艇)で物資を陸揚げする様子。下は燃料を沖合の油槽船からホースをつなげて陸揚げする隊員たち

来島する遺族や防大学生のために 硫黄島は常に綺麗な状態に

 同部隊が硫黄島の環境整備に力を入れるのには、基地機能の維持管理以外にも目的があると、宮崎司令はいう。

 硫黄島では現在も旧島民による慰霊及び戦死者の未回収の遺骨収容が定期的に行われており、日米合同の追悼式典や防衛大学校学生等の研修も行われているため、硫黄島を常に綺麗に整える責任があるのだ。

 「硫黄島での日本人戦没者は2万人以上と言われていますが、今もその半分以上が未収容と言われており、現在も年間30柱ぐらいが発見され、本土に帰すことができています。

米軍との合同慰霊追悼顕彰式は、太平洋戦争でも最大の激戦が繰り広げられた地で、それを乗り越えて日米が平和を維持していることを示す目的もあります。今年は戦後80周年の式典を行う予定です。

 防大学生等は、研修の一環として地下壕など当時の様子を見学することになっています。武器や装備品などがそのまま残っており、戦争の実状を知ることで、彼らも自衛隊員としての役割を改めて自覚するようです」

 東京都の一部として、都の関係者との連携は密に行われているというが、こうした硫黄島の現状を、都民全体にもっと知ってほしいと、宮崎司令は語る。

 「遺骨収集の現状を知ればわかりますが、硫黄島は、世界的にも希少な戦場の状態がそのまま残っている場所です。そのことを、同じ東京都下の島として実際に来て体感して欲しいですが……。それは難しいので、その事実とともに、島の維持管理をする意味を理解していただけると嬉しいです」

海上自衛隊 硫黄島航空基地隊司令
1等海佐 宮崎 研三

1968年愛媛県生まれ。防衛大学校を卒業後、海上自衛隊に入隊。幹部候補生学校、パイロット養成期間を経て、1996年岩国航空基地に配属。P-3C操縦士として勤務後、世界で唯一外洋に着水できる救難飛行艇US-1Aパイロットに転換。その後、厚木航空基地第51航空隊で幹部専修課飛行試験課程を履修し、テストパイロット資格を取得。その間、US-1A後継機のUS-2開発チームの一員に加わる。US-2開発後は救難飛行艇部隊飛行隊長、航空隊司令、防衛医科大学校学生課長等を歴任し、2024年より現職。

情報をお寄せください

NEWS TOKYOでは、あなたの街のイベントや情報を募集しております。お気軽に編集部宛リリースをお送りください。皆様からの情報をお待ちしております。