ドキュメンタリー制作は、私の人生そのものです。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

ドキュメンタリー監督 山崎 エマさん

小学校の高学年の時、『イチロー 努力の天才バッター』という本に出会った。イチローの熱烈なファンになった少女は、映像で「何か」を伝えるという夢を見つけ、真っ直ぐに突き進んだ。ドキュメンタリー制作が、仕事でもあり、趣味でもあり、生きがいと言い切るドキュメンタリー監督、山崎エマさんに、お話をうかがった。

小学校の6年間で、日本の子供は“日本人”になる。

—12月13日から日本の小学校を追ったドキュメンタリー『小学校~それは小さな社会~』が全国で公開されるそうですね。小学校をテーマにしたのはどのような想いからですか。

山崎 私は父がイギリス人、母が日本人なんですね。神戸に生まれ、小学校は大阪の公立、中学からはインターナショナル・スクールに通いました。私は自分のことを日本人だと思っているのに、そうは見てもらえないこともあって、大学進学を機にニューヨークに移住することにしました。

 大学では映画制作を学び、ドキュメンタリーの制作者としてキャリアをスタートさせたのですが、私は何も特別なことをしているつもりはないのに、「ちゃんと時間通りに来ますね」「責任感がありますね」「よく協力してチームに貢献しますね」と褒められるんですね。それって私だけのことではなく、「普通の日本人ですけど」と思っていたんです。

「なんで私がこうなったんだろう」と考えてみると、例えば運動会の組体操で練習に励み、できなかったことを克服し、自信につなげた経験や、みんなで一丸となって一つのことをやり遂げた時の達成感が、自分の強さの基礎になっている。間違いなく日本の小学校に通った6年間が自分の基盤になっていていると確信したんです。

—電車が時間通りに来るとか、辛抱強く列に並ぶとか、サッカーのワールドカップの試合後にゴミを拾うとか、日本人としては当然のこととして行っている行為が、世界で賞賛されていますが、その基礎が小学校にあると。

山崎 はい。小学校に入る前の6歳児は、世界のどこでも同じようでしょう。でも、小学校を卒業する12歳になる頃には、日本の子供は“日本人”になっている。小学校を取材すれば、今の日本とこれからの日本が見えてくるのではなか。私のように日本人としてのルーツを持ち、海外からの視点も持つ人間が監督すれば、給食の配膳や掃除など、日本の小学校の“当たり前”を捉えられるのではないか、と思ったんです。

 プロジェクトを立ち上げて、リサーチを始めたのは2014年。当時の私は作品がまだ1本もない状態で、ノウハウもありませんでしたから、撮影させていただける学校を見つけるのも大変でした。

—公立の小学校で、しかも長期にわたる撮影を受け入れるなんて前代未聞のことですよね。どうやって探したのですか。

山崎 2019年、東京オリンピックを控えていた時で、世田谷区はアメリカのホストタウンだったので、世田谷の小学校をアメリカに紹介するということであれば話を聞いてもらえるのではないかと、区会議員の方を通して区長や教育長に趣旨をお話したんです。

 日本は特別記念みたいなことがあると、前代未聞なことができやすいんですね。ぜひ世田谷区でやろうということになって、やっと辿り着いたのが私の理想の小学校、塚戸小学校でした。

ドイツで開催された「ニッポン・コネクション」で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞

ドイツで開催された「ニッポン・コネクション」で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞

上)メイキングの様子。子供たちにとって“カメラがある”のは当然“という環境づくりを心がけた。 下)映画のシーンより

上)メイキングの様子。子供たちにとって“カメラがある”のは当然“という環境づくりを心がけた。下)映画のシーンより

学校は教科を学ぶだけでなく、人間形成・人間関係形成力を養う場所。

—撮影を予定されていた2020年といえば、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行した年です。撮影はどうされたのですか。

山崎 1年延期して2021年4月から撮影を開始しました。撮影を決行したのは、緊急事態だからこそ日本の学校の在り方が浮き彫りになるのではないかと思ったからです。

 アメリカやヨーロッパでは1年以上休校する学校が多い中、日本は3ヶ月くらい休校しただけで学校が再開されました。そこには、「学校は教科を学ぶだけでなく、“小さな社会”として人間形成・人間関係形成力を養う場所」という概念があるからだと思うんですね。学問の習得を重視する国々は「オンラインでも授業はできる」と判断しましたが、その影響が今出てきていると感じます。

—撮影に当たって気をつけた点は?

山崎 塚戸小学校は児童総数1000人近い学校で、撮影の対象となる1年生と6年生で300人の子供がいました。4月から1年かけて撮影する予定でしたが、撮影開始の3ヶ月くらい前から新1年生として同校に入学する予定の子供がいる家庭とコミュニケーションを図ったり、新6年生になる5年生は学校にいるのでテスト撮影を行ったりして、“カメラがあるのは当然”という環境づくりを心がけました。

 やはり、人間はコミュニティの中で生きていくものです。「マスクをつける」「距離をとる」といった決まり事は、子供たちにとって「周りを気遣う」ことを学ぶ教育の一環になったと思いますし、子供たち自身が工夫して学校生活を送る姿をカメラに収めることができたと思います。

—日本公開に先駆けて、世界各国の映画祭などで上映されてきました。反応はいかがでしたか。

山崎 東京国際映画祭でワールドプレミア上映をした後、欧米やアジアをはじめアフリカでも上映されています。欧州最大の日本映画祭「ニッポン・コネクション」(ドイツ)で最優秀ドキュメンタリー賞、北米最大の日本映画祭「ジャパン・カッツ」(アメリカ)で観客賞、「EIDF(EBS国際ドキュメンタリー映画祭)」(韓国)で審査員特別賞などを受賞することができました。

 例えば、教育大国というイメージのあるフィンランドでは、劇場で4ヶ月以上のロングランヒットになり、「コミュニティづくりの教科書。自分たちの教育を見直す場になった」とか、この映画を見て「日本のことを語るのではなく、フィンランドのことを考えよう」というムーブメントが起きたと聞きました。また、エジプトでは日本式教育「TOKKATSU」が大人気とのことで、掃除・日直制度・学級会などの導入が進んでいて、「映画で見たことを全てエジプトで応用できることを願っている」との声が聞かれました。

 教育はどの国にとっても大事なものです。“日本人”を育てる日本の小学校の姿を世界に発信することによって、今後どのような教育を目指せばいいのかというヒントを与えることができたら嬉しいですね。

フィンランドでの上映の様子。「教育を見直そう」というムーブメントが起きた

フィンランドでの上映の様子。「教育を見直そう」というムーブメントが起きた

何か感じたことを、自分のフィルターを通して伝えたい。

—映画監督になりたいと思ったきっかけは?

山崎 小学校の高学年の時、読書感想文の宿題で『イチロー 努力の天才バッター』という本を読む機会があったんです。イチローさんがちょうどメジャーに行かれるタイミングで、彼の子供時代からプロになって活躍するまでを描いた子供向けの本。それまで私は野球には興味はなかったのですが、その本を読んで、この人のように、何か大きな夢を見つけて、目標を掲げて、毎日努力して一流になりたいと強く思いました。

 でも、イチローさんは3歳の時から野球を好きなのに、私はもう13歳で何も好きなことがない。10年遅れていると感じて必死に夢を探していた時期に、インターナショナルスクールのある授業で、簡単な動画の授業があったんです。その時にビビッときたというか、ビデオカメラを回し、何かを伝えるって意外と難しくて、これなら時間をかければ上手くなれるんじゃないかと、映画監督になることを選びました。

 でも今思うと、小学校の文集に夢は新聞記者と書いてあったり、母親に何でもない話を面白く話したり、何か自分が感じたことを伝えるということは、たぶんやりたかったんだと思います。映像という世界が見つかってからは、辛いことがあっても、今やめるのはもったいないと、ここまできた気もします。

—映画監督と言っても劇映画とドキュメンタリーは違うのではないですか。ドキュメンタリーを選ばれたのはなぜですか。

山崎 映画学校に入って2年目くらいに気づいたんですけど、私がやりたいのは、自分の頭の中で考えたイメージを形にするファンタジーや劇映画ではなくて、自分が見たものを自分というフィルターを通して伝えることだったんです。

 自分の人生経験とかアイデンティティから生まれる視点が、私の強みなのではないかと思う。だからドキュメンタリーにこだわっているんですね。ドキュメンタリー制作が、仕事でもあり、趣味でもあり、生きがいみたいな、私の人生そのものです。

—「小学校」という10年越しの夢を形にした今、次はどんな作品を撮りたいと思っているのですか。

山崎 日本の社会を考える三部作ではないのですが、2018年夏の甲子園、第100回全国高校野球選手権大会を目指す球児たちを追いかけたドキュメンタリー映画『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(2020年8月公開)、『小学校~それは小さな社会~』と制作してきて、今度は日本を代表する大企業のサラリーマンを撮りたいと思っています。

 組織として企業は素晴らしいことをやっているけど、その中ではどういう犠牲があって、どういう悩みがあって、どういうことを考えているのかということを描いてみたいんですね。『小学校』と同じく、ある企業の話なんだけれども、そこを見れば日本の社会の全体が見えるみたいな、その時代の日本の一つの姿として表現したいと思っています。

 ところで、私はドキュメンタリーが日本でもっともっとメジャーになってほしいと思っているんです。例えば、アメリカでドキュメンタリー監督だっていうと、“クール!”と受け止められますが、日本だと“何となく高尚なことをやってる”というイメージがある。劇映画と同じく、ある監督が伝えたいものを、ドキュメンタリーという形で挑戦しているわけなので、業界としての幅を広げていきたいと思います。

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