スポーツを通じて、障害者への理解を深めたい。
世界陸上に6大会出場、北京2008オリンピックでは男子4×100メートルリレーのアンカーとしてチームを悲願の銀メダルに導いた。日本を代表するトップアスリートであり、引退後は次世代育成をはじめ、障害者スポーツにも積極的に取り組んでいる。東京2025デフリンピック応援アンバサダーの朝原宣治さんにお話をうかがった。
アンバサダーとしてデフリンピックを盛り上げる。
—東京では来年、「世界陸上」とろう者のためのオリンピック「デフリンピック」という2つの国際的なスポーツ競技大会が開催されます。その「東京2025デフリンピック」の応援アンバサダーに就任されたそうですね。
朝原 デフリンピックとは、デフ+オリンピックのことですが、今回アンバサダーのお話をいただくまでは、あまり知識がありませんでした。
デフ(Deaf)とは英語で「耳がきこえない」という意味で、第1回は、1924年にフランスのパリで開催され、今回は100周年の記念すべき大会だそうです。日本では初めての開催なので、これから勉強して、世界陸上と併せて盛り上げていきたいと思っています。
—これまでも障害者スポーツとは関係があったのですか。
朝原 パラリンピックを機に車いす利用者と交流するようになりました。日本人ってシャイで、手助けをするのが嫌というよりは、どうしていいかわからないという人が多いと思うんですね。僕も初めはどう接していいかわからず気を遣いましたが、慣れてきたら壁がなくなったというか、皆さん何でも自分でされますから、頼まれたら手助けをする感じで、声をかけるのが恥ずかしいという気持ちはなくなりました。
個人的には2010年に一般社団法人アスリートネットワークを立ち上げ、車いすバスケットの根木慎志さんやパラ陸上の山本篤さんに参加していただいています。一緒に活動するようになると、それまで見えていなかった車いすの方や白杖を持った方が見えるようになる。意識が入ってくることがすごく大事だと思います。
5月に神戸で開催されたパラ陸上の世界選手権を見に行ったんです。東京パラリンピックの影響なのか、平日の夕方だったんですが、一般の方もけっこう見にきていました。それまではパラの大会はあまり見にいく人もいなかったのではないかと思うんですね。デフリンピックをきっかけに、デフについて広く知られるといいと思います。
—デフリンピックの楽しみ方は?
朝原 健常者のスポーツも、パラのスポーツも、デフのスポーツも、同じスポーツなので、それぞれの特徴を活かして戦い、勝ち負けがある点は一緒だと思います。
実際、陸上競技は、ピストルを光にするくらいの違いなので、健常者の試合に出ているデフの方もいて、投擲の選手には結構強い選手がいます。
でも、団体競技は試合中にチームのメンバーとコミュニケーションを取らなければならないので、その辺が難しい。どうやってチームみんなでコミュニケーションをとって戦っているかとかを見るのは興味深いのではないでしょうか。
これからのスポーツは、身体の特徴と競技のマッチングが大事。
—北京2008オリンピック男子4×100メートルリレーで銀メダルを取りました。日本人は陸上競技では世界では戦えないというイメージが変わった瞬間ではないかと思いますが、海外の選手と伍していくための秘訣は?
朝原 リレーの場合は、まずバトンパスです。実際、強豪国のアメリカやイギリス、ナイジェリアがバトンミスによって予選で敗退していますからね。もちろん、それまでもバトンパスの練習はやっていましたが、それをもっと科学的に研究して、極力ロスを減らす工夫をしました。今はそのデータが溜まって有効性はあるのですが、研究もされているので、イタリアとかもすごく強くなっています。
強豪国には普通に走ってもなかなか勝てない選手が集まっています。そういうチームに勝つにはバトンパスはもちろんですが、総力を近づけていくことが大事。その総力ですが、ゼロからスタートする短距離走では、日本人はなかなか敵わないんですね。でも、リレーの場合、ゼロからスタートするのは第1走者だけで、加速してからスピードを維持する、その後の加速走者はそんなに差が生まれない。なので、短距離走よりリレーのほうが、日本人でも勝負できるのだと思います。
—それでも近年は100mで決勝に残る選手が出てきました。
朝原 サニブラウン選手が2年連続で世界選手権の決勝にいきましたが、あれは快挙ですね。彼は背も高いし、筋肉もありますが、パリオリンピック男子100mと男子4×100mリレーの日本代表に選ばれた坂井隆一郎選手は、身長が170㎝くらいしかないんです。当然、ストライドはものすごく小さいのですが、彼には足の回転という武器がある。そういう自分の身体の特徴を極限まで活かして、勝負することが、これからは必要になってくると思います。
110mハードルの泉谷駿介選手は身体能力がものすごく高くて、走るのも早いし、走り幅跳びも8mくらい飛びます。それにプラスして、これまで日本人選手は一台目のハードルまで8歩くらいで行っていたのを7歩にして、近くから飛ぶと高く飛ばなければならないので、遠くから踏み切ってスピードを落とさないようにしているんですよ。スピードとバネをうまく活かしている好例ですよね。
—やはり持って生まれた身体は大事ですか。
朝原 そうですね。本来はこうやって動かすのは苦手なのに、その競技をやっているからこうやって動かさなければならない、無理をしているから怪我をする……。身体の作りやアライメント、筋肉の質とかは、競技のマッチングという点ですごく大切だと思います。
今は親の遺伝子を調べたら、筋肉は遅筋か速筋かとかもわかりますので、競技を選ぶ参考になるかもしれません。もっとも好き嫌いがありますから、小さい頃からそのスポーツが好きでやっていたのに、途中で向いてないと言われたからといって止めるのも寂しいですよね。何事も好きでないと続きませんし、これからはこういうふうに動かせば怪我をしにくいとうこともかわかると思いますので、まずは好きなスポーツを楽しむのが一番だと思います。
スポーツの力を活用して、障害者への理解を深めてほしい。
—陸上を始めたのは高校からで、中学時代はハンドボールをやっていたそうですね。
朝原 中学に入りたかったサッカー部がなくて、ハンドボール部に入ったんです。けっこう強くて、3年の時には全国大会に初出場したのですが、そのぶん練習は厳しくて、楽しさは半分以下(笑)。ハンドボールを続ける道もありましたが、高校では「楽しんで部活をしたいなあ」と思って、友だちに誘われた陸上部に入ることにしました。
—走り幅跳びと100mをやっていますが、どちらが得意というか好きですか。
朝原 競技としては全然違いますので、どちらが得意とか好きとかはいえませんね。
幅跳びは6本のチャンスがあって、僕らの頃は1分半の試技で、その間に風とかを待ちながら自分のペースでできます。でも、100mは時間が決まっていて、僕らはピストルを鳴らすことはできません。そういう違いはありますが、全く共通点がないかというと、そうでもなくて、幅跳びの練習が100mに活きることもありましたし、その反対もありました。それに、幅跳びがダメだった時は100mに意識を持っていったりできる。逃げ場所があったのは良かったかもしれません。
—陸上は競技生活があまり長くないと言われますが、現役として36歳まで活躍し、今も競技を続けています。長く続ける秘訣は?
朝原 まずは頑丈な身体があったということでしょうね。それに、適当に手を抜いていた(笑)。常に全力で走っていたらいろんなところがダメになっていたと思います。怪我をして止める選手はけっこういますし、僕も28歳の時に骨折したんですけど、そこで一旦リセットして、自分のトレーニング方法を見直したのが、競技生活を長くできた要因ではないかと思います。
今は年に3回くらい大会に出ていますが、トレーニングは10㎏のベストを着て山に登って筋トレをする程度。トラックは走っていなくて、年相応にできることをやっています。でも、長年の経験がありますから、ピーキングさえできれば、若い選手にも勝てるんですよ。
—競技者としてだけでなく、次世代の育成をはじめ障害者スポーツにも積極的に関与されています。
朝原 デフリンピックのアンバサダーに就任して最初に参加したのが、2月に開催された「TOKYO FORWARD 2025 アスリート交流イベント for KIDS」です。日頃はデフの方と一緒に何かをするということはあまりありませんので、僕たちアンバサダーやアスリートも含め、一緒にスポーツを楽しむことで、聞こえる子たちがデフの子たちと交流をするという目的もあったと思います。
—子供のうちからデフやパラの方と触れ合うことはすはごく大事だと思います。
朝原 そうですね。実は昨日、中学1年の娘とLGBTQの話になったんです。僕らが小さい頃は、そんなことは習いませんでしたけど、今の子供たちは多様性ということで、いろんな人たちがいるということを教えられています。
LGBTQではありませんが、小さい頃からデフの人やパラの人と当たり前のように接することで、彼らに対する認識は変わってくると思います。デフリンピックを通じて、デフの方たちへの理解が深められるよう、アンバサダーとして、少しでも力になれればと思っています。
情報をお寄せください
NEWS TOKYOでは、あなたの街のイベントや情報を募集しております。お気軽に編集部宛リリースをお送りください。皆様からの情報をお待ちしております。