社会に銭湯は必要だ!
この春、原宿の真ん中にオープンした「ハラカド」。地下1階に銭湯があることでも話題になった。その小杉湯原宿を運営するのが、創業91年を迎える高円寺の小杉湯だ。まちなかに銭湯があることの大切さを、小杉湯三代目、平松佑介さんにうかがった。
コロナ禍がなければ、原宿に銭湯が生まれることはなかった。
—今年4月17日に原宿・神宮前交差点の角に東急プラザ原宿「ハラカド」がオープンし、その地下1階に銭湯ができたことでも話題になりました。高円寺で90年以上の歴史を持つ小杉湯が、なぜ原宿で銭湯を始めることになったのでしょうか。
平松 東急不動産さんからお話をいただいたのは、ちょうど新型コロナが流行していた頃で、燃料費も2倍3倍とどんどんと上がっていき、銭湯の経営は厳しいと感じていた時でした。
僕としては、高円寺で愛されてきた小杉湯を続けていくことが目的でしたから、高円寺から出たり、2店舗目を出すという発想自体なくて、最初はとにかく驚きました。
東急不動産さんは「ハラカド」プロジェクトを何年もかけて進めてきて、どんなテナントに入ってもらうか検討するタイミング。想定していたテナントさんとの話が進まず、また消費の価値観も大きく変わり、商業施設の存在意義から考え直す必要に迫られていたそうです。
何度も話を重ねるうちに、地域に根ざした商業施設をつくるというコンセプトや、まちを半径2・5㎞の「面」で捉える広域渋谷圏という考え方に共感するようになりました。小杉湯も半径500mくらいから徒歩でいらっしゃるお客さん、半径2㎞くらいから自転車でいらっしゃるお客さんが多いんですよ。
コロナ禍がなければ小杉湯が新たな店舗をつくることはなかったと思いますし、東急不動産さんも商業施設に銭湯を開くという動きにはならなかったと思います。双方にとってチャレンジでしたが、こうしてオープンできました。そういう意味では、アフターコロナのひとつの象徴の場所なのではないかと思います。
—小杉湯原宿は今流行りのサウナは付いていません。原宿という場所柄、スーパー銭湯のよう発想はなかったのですか。
平松 僕たちがつくりたかったのはまちに根ざす銭湯です。高円寺の小杉湯はサウナのない銭湯として長年やってきましたから、2号店を出すとしてもサウナはつくらず、まずはお風呂を楽しんでもらいたいということは決めていました。小杉湯は熱湯と水風呂を交互に入る温冷交互浴とミルク風呂で知られるのですが、小杉湯原宿でもそれを体験していただきたいと思っています。
まちの銭湯の魅力って、お風呂に入る前後でまちを体験できることだと思うんです。番台や休憩室で会話したりするのはもちろん、商店街を歩いてふらっと雑貨店に入ったり、湯上がりにたまたま見つけた居酒屋さんで美味しいビールを飲んだり……。施設の中で全部が完結しているスーパー銭湯と違うのは、まちの体験とセットになっていることなんですね。
「ハラカド」はフードコートや共有スペースなどが充実しています。銭湯という日常的に訪れる場所が「ハラカド」にあることで、いろんな体験が生まれ、それが原宿のまちにもつながっていくといいなあと思っています。
銭湯は、赤ちゃんからお年寄りまで、さまざまな人が日常の中で集まれる場所。
—三代目として継いだ高円寺の小杉湯について教えていただけますか。
平松 小杉湯は昭和8年創業、今年で創業91年を迎えます。戦後、僕の祖父母が新潟から出てきて、渋谷で飲食店をやって貯めたお金で買ったそうです。
当時は普通の家にお風呂がなかったので、銭湯は公衆衛生を支えるインフラとしての機能を持っていたんですね。おそらく行政だけで銭湯を運営するのは難しく、固定資産税を下げたり、水道代を減免したり、補助金を出したりすることで民間に託したのでしょう。
ところが、高度成長とともに家風呂率が上がり、家でお風呂に入れるようになると、銭湯はどんどん減っていきました。東京都のピークは1960年代半ば、約2700軒あったのですが、今は450軒を切っています。ちなみに2700という数は、セブンイレブンと同じくらい。銭湯がいかに身近な存在だったかお分かりいただけると思います。
—小さい頃から「継ぐ」という意識はあったのですか。
平松 祖父から父、父から僕へとバトンが渡されて、僕も次へつなげるという意識はありました。何より両親が楽しそうに働いていて、地域の方々にも愛されているし、僕にとっては小杉湯が居場所でもあったので「自分の代でなくす」という選択肢はなかったです。
ただ、僕が生まれ育った1980年代はすでに銭湯は斜陽産業といわれていて、このままでは経営は難しくなるだろうという危機感はありました。バブルが崩壊してどんどん銭湯が潰れて、跡地にマンションが建ったりして……。なので、子供の頃から「銭湯は社会に必要なのか」ということは常に考えてきました。
—実際に小杉湯を継いでいかがでしたか。
平松 僕が小杉湯を継いだのは2016年10月ですが、斜陽産業で、しかも家業というすごく狭い世界ですから、社会と切り離されてしまうのではないか、人との繋がりから切り離されてしまうのではないかと、正直怖かったです。
でも、蓋を開けてみたら、小杉湯にはすでに若い人が集まってきてくれていて、銭湯で何かやりたいという動きが出始めたタイミングだったので、僕の不安は杞憂に終わりました。むしろ、それまでの人生で一番人とのつながりが生まれて、一番広がりを感じられた。良い意味でのギャップでした。
今は平日で500人くらい、土日は1000人くらいの人に来ていただいています。内訳は、若い世代20~30代が全体の4割くらい、10代まで入れると半分以上で、全体の6割が一人でいらしていて、週1以上、残りの4割が外からの人です。赤ちゃんからお年寄りまで、認知症の人も、家族連れも、一人暮らしの人も、さまざまな人が日常の中で集まれる場所になっているのではないかと思います。
小杉湯を継いで8年、今は「社会に銭湯は必要だ」と確信しています。でも、銭湯だけでなく小さな本屋や喫茶店、単館系の映画館など、誰かの日常を支えてきた場所が減っているのもまた事実です。ただ続けたいという想いだけで経営を続けていくことは難しいと、実感させられた8年でもありました。
地域に住む、まちに暮らす、豊かさとはどういうことか。
—社会に銭湯が必要な理由とは?
平松 銭湯は、体を清潔にするだけでなく、心の健康にとっても大切なものになってきていると思うんですね。今は人と人とのつながり、人と地域のつながり、世代間のつながりがどんどん希薄になって、地域社会の中で共生して暮らしていく、生活していくという認識が薄くなっています。そのことによって社会は分断され、人は孤独になり、それが社会課題にもなっていると感じます。
銭湯は、一人で来て、一人でいられて、なんとなく知っている顔がいて、目があったり、挨拶したり、他愛もない話をしたり、それくらいのことなんですけど、そういうつながりを感じられる、素の自分を受け入れてもらえる場所なんですね。自己肯定とか承認も大事かもしれませんが、その手前、自分を受容してくれる場所というのは、これからもっともっと大切になっていくと思います。
—受け入れてもらえる場所があるということは救いになりますね。
平松 そういう意味で小杉湯は、同じ場所で、同じ建物で、90年以上続いている、誰もが集まれる場所。神社とかお寺みたいな存在なんですよ(笑)。
日本にはお風呂の文化があって、日常の中で体験できる。それって素敵なことだと思いませんか。そういう日本の文化を感じられる場所がなくなってしまうのは、本当にもったいないと思います。
—でも、どんどんなくなっている……。
平松 銭湯の大変なところは、先ほどお話したように公共の役割を民間で担っているところなんです。入浴料も520円と決められています。もちろん、東京都がいろんなデータをもとに1年かけて審議をしたインフラとしての料金なので、僕は適正値だと思います。でも、小杉湯を維持管理していくのは本当に大変です。国登録有形文化財に登録されているからといって、何か補助があるわけではありませんからね。
日本は民間や個人が所有する文化財を残すのが厳しい環境ですが、まちの銭湯や喫茶店はなくなってしまっても仕方ないで終わらせてはいけない。そういう場所が残っていくということは、まちが豊かであることの証左だと思います。
これからは民間も行政も含めて、地域に住む、まちに暮らすことの豊かさとはどういうことか、もっと議論していかなければいけないと思います。
—最後に、小杉湯が大切にしてきたこ、大切にしていきたいことは?
平松 日々綺麗で清潔なお風呂を沸かして、気持ちのいい場所をきちんと丁寧に、提供し続けることです。続けていくってそんなに簡単なことではありません。一方で、続いてきたことの強さもわかっています。
小杉湯原宿のある神宮前は20年以上銭湯がなく、地域の人が集まれる場所がなかったんですね。皆さん「20年ぶりに銭湯が帰ってきた」といってくれるんですよ。ここには住んでいる人の日常があって、商店街があって、銭湯も含めた地域社会があった。それが戻ってくる一助になれたらいいなと思います。
小杉湯原宿は5年、10年続けて初めてスタートラインにつけると思います。小杉湯同様、スタッフ一丸となって、これからも日々綺麗で清潔で気持ちのいいお風呂を提供していきたいと思います。
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