講談は、物語は荒唐無稽、でも、生きる上で役立つ。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

講談師 講談協会 真打 田辺 一乃さん

一生働きたいと高校を卒業して公務員になった。ところが、広報の仕事をしている時に講談師の田辺一鶴と出会い、講談師の道へ。伝統芸能の継承ということで公務員と兼業できることになったものの、定年がなく、未知の仕事がしたいと退職。江戸東京野菜などをテーマにした創作講談や人事院勤務の経験を活かした人材育成で人気の講談師、田辺一乃さんにお話をうかがった。

エッセイの依頼がきっかけで講談教室に通うことに。

—講談師になる前は公務員だったそうですね。

田辺 私は一生働きたいと思っていたので、高校を卒業して公務員の道に進みました。家の事情で大学に進学できなくなり、公務員は当時、事務職でも高卒の枠があったので。人事院なんて知らなくて、「何ですか、ここ?」みたいな感じだったのですが、内定をいただいて(笑)。大学は、人事院に入ってから夜学に通い卒業しました。

 仕事を辞めようと思ったことは微塵もないのですが、結婚もしたいし、子どもも産んでみたい。どちらも実現したいけど育休はまだなく、「子どもを作らなきゃよかった」と思ったことはありますね。パソコンが入ってきた頃で、MS-DOSにきちんとコマンドを入れていくと、サクーッと働いてくれますでしょう。でも、赤ちゃんはそういうわけにいかない。仕事でパソコンを操作しているほうが全然楽って(笑)。

—お子さんはお一人?

田辺 男の子と2年あいて女の子です。子どもを産むまでは普通だったのですが、“子どもを産んだ人はこっちね”みたいなマミートラックが当時も何となくあって、配慮もあったのでしょうけれど、百人いたら百人みんな事情は違うのに、と思っていました。

 それで、上の子が3年生、下の子が1年生に上がった時に「地方転勤もできるなあ」と思い、仙台事務局に2年間子連れ逆単身赴任しました。仙台は東京より町がこぢんまりしていますので、町の中にその事情が知れ渡りまして、そうするといろんな人が声をかけてくれるんです。ありがたかったですね。

—講談の世界に関わったきっかけは?

田辺 広報の仕事をしていた時に、後に師匠となる講談師の田辺一鶴(いっかく)が講談教室を開いているという新聞記事を読んで、外部向けの広報誌にエッセイを書いてもらおうと頼みに行ったのがきっかけです。「広報の仕事だったら、言葉の勉強が必要だろう。僕の講談教室に来たまえ」と言われ、帰庁して上司に報告すると、「原稿は依頼できたが、まだ受け取れていない。どうだろう、原稿を落とされないように2~3か月通っては」。「えー!」みたいな感じで教室に通うことになりました。

—その時に初めて講談を聞かれたのですか。

田辺 はい。生で聞くのは初めてで、びっくりしました。「三方ケ原軍記」という前座がやる軍記物だったのですが、淡々と時系列で何があったかを話しているだけなのに、いろんな情景が浮かぶし、ああ戦って怖いな、斬られると痛いな、みたいなことが実感される。「わー、すごい」という顔をしちゃったんでしょうね。

 その後、一鶴が一世を風靡した東京オリンピック入場行進をやってくれたんです。アフガニスタン、アルジェリア、アルゼンチン、オーストラリア、オーストリア、バハマ、ベルギー、バミューダ……って、入場してくる国の名前をABC順に言う。それだけなのに、その時の感動がよみがえって、すごい!と思いましたね。

銀座のホテルグレイスリー内レストラン「SAKURA]で開催したランチ講談会 

銀座のホテルグレイスリー内レストラン「SAKURA]で開催したランチ講談会

一鶴師匠の遺言と思い、台本100本書き起こす。

—付き合いで通い始めたのが、何でまた弟子になることに?

田辺 合いで通い始めたのが、何でまた弟子になることに? 田辺 教室が家から近かったのと、子育て中ということもあって他に娯楽もなく、月に1回日曜日ならと2年か3年休み休み通っていたら、「そんなに講談が好きなら、僕の弟子にならないかい」と言われて(笑)。光栄な話ですけれど、公務員は兼業できないし、仕事も面白くなってきたところだったので、砂粒一粒ほども弟子になるつもりはありませんでした。

 でも、一鶴はあきらめが悪いんですよ。「一生働くって言うが何歳までだい」「公務員ですから定年は60歳」「講談師には定年はないよ、ホントに一生働けるよ」「今は我慢して仕事してお金を貯めて、楽しいことをします」「講談師になると、楽しいことをしてお金がもらえるんだよ。だいたい君、楽しくなくてよく仕事ができるね」とかね(笑)。

 それで根負けして名前だけいただいて、土日だけ師匠の家に行って事務仕事のお手伝いをしていたところ、「前座修業に出ろ」と言われて楽屋に入ったら前座見習いになっちゃった。

 3ヶ月ほど前座見習いをやっていたのですが、そのことが人事課にバレてすごく叱られました。でも、前座は一切収入はなく「兼業禁止に触れない」ということで、上司が人事課を説得してくれ、2年間に限り伝統芸能の継承という形で兼業できることになりました。

—伝統芸能の継承、良いところに目をつけましたね。

田辺 当時トップの一龍斎貞水先生が人間国宝になっていらして、それが幸いしました。

 でも、結局役所は辞めて、当時担当していた業務である研修講師とコーチングのコーチとして独立することにしました。自分は講談師では食べていけないだろうと思っていましたから。

 辞めて2年経ち二ツ目に上がれる日が決まったところで、師匠がポクッと亡くなってしまったんです。このままだと廃業です。新しい師匠を探して回って、姉弟子だった田辺一邑(いちゆう)に預かり弟子という形でお願いできることが叶いました。

 ただ、売れない売れない。時間だけはありますから、そういえば師匠が死ぬ前に「台本100本書き起こしなさい。100本書いたら講談が作れるようになるから」と言っていたのを遺言のように思い、明治時代の講談速記本を書き起こすことにしたんです。

 でも、言葉も古いし、そのまま書き写してそのまましゃべれるものはめったにない。現代語に直したり、いろいろ調べてエピソードを整理したりしながらポツポツ作るという日々を送っていました。

—それが新作講談につながっていくのですね。

田辺 田辺一門は新作講談が得意で、一鶴師匠からも2週間に1本新作を書くよう言われていたのですが、なかなか書けなくて、書いても「つまんないねえ!」と師匠からよく言われていました。

 それが台本100本を超えた辺りから新作講談も作れるようになったんですよ。修行中ですから古典はきっちりやります。でも、身近な話や社会の動きなどを反映したネタも作るようになりました。『第五福竜丸物語』や『ゴジラ誕生』などはその流れです。

昨年、品川神社で開催された「第9回品川蕪品評会」でかけた江戸東京野菜講談「品川蕪汁の由来」

昨年、品川神社で開催された「第9回品川蕪品評会」でかけた江戸東京野菜講談「品川蕪汁の由来」

講談は85%まで嘘をついていい。だから荒唐無稽な物語が生まれる。

—『第五福竜丸物語』や『ゴジラ誕生物語』を作られたきっかけは?

田辺 『第五福竜丸物語』は、事件から60年という年に作ろうとは思っていたんですね。高校の担任だった早川芳夫先生が墨東地区の震災・戦災のフィールドワークをやっていて、第五福竜丸展示館の館長と繋いでくださり、資料もたくさん見せていただき、自分でも調べたりして、作品へと結びついていきました。『ゴジラ誕生』は第五福竜丸の後日譚です。作品を展示館職員の前でかけて直していただいてから外でかけたところ、東日本大震災の後でもあり新聞記事になったりして、新作の問い合わせが来るようになりました。

—新作講談の一つが江戸東京野菜講談ですね。

田辺 江戸東京・伝統野菜研究会の大竹道茂さん(本紙2017年11月号トップインタビューに登場)が、「江戸東京野菜の絵本を作ろうと思っているんだけど、ちゃんとした文献が残っていないので困っている」とおっしゃるので、「絵本の名前に講談とつければいいんですよ。講談は85%まで嘘をついていいので、クレームがきたらこれは講談の絵本だと言えば何でもOKになります」と言ったら、「おもしろい」と。怒涛のごとくエピソードを話して、「その講談の話は君が作ってね、タダで!」とおっしゃって、シャーッと行っちゃった(笑)。

 その時は半年間で12本作りましたよ。プラス月1で自分の新作も作っていたので、月に3本。寝てる時と仕事してる時以外は、資料と首っ引き、ずっとパソコンに向かっていました。

—85%は嘘ということですが、大竹さんの話と資料をもとに自分で物語を考えるのですか。

田辺 そうです。例えば『寺島ナスと多聞寺の狸』は、言い伝えでは多聞寺の狸は悪くて恐ろしい狸なのですが、良い狸にして出してほしいというリクエストがあって、「じゃあ、いい狸で!」みたいな感じで作りました。  今は、『当世諸事情講談』というのをやっていまして、講談のお客さまはお年寄りの方が多いので、町会のおじいちゃん、おばあちゃんが講談を聞きに行って、講談のセリフでオレオレ詐欺を撃退する話とか。

—何だか楽しそう。

田辺 「合言葉だよ、ほら山ってやつ」「ああ、お母さん、山ってやつね。川」「違うよ、山って言ったら山内一豊だろ。おまえ一郎じゃないね、切りますよ」。次の電話で、「ほら山ってやつだよ」「ああ、お母さん、あれね、山内一豊だろ」「違うよ。うちは“山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの”だろ? ちなみにこれ上の句だからね、下の句言ってごらん。何、ちょっと忘れた?おまえ敏夫じゃないね。切りますよ」ガチャって切られちゃう。

—面白い! 講談の魅力ってどんなところだと思いますか。

田辺 講談は日本のことを語っていて、ほとんどの話の中に実在の人物が必ず一人入っているんですね。物語は荒唐無稽で面白く、でも道徳的だったり、人生の教えみたいなこともあって、生きる上で役立つことがいっぱいある。

 私は教室に通っている頃はサラリーマンで、木戸銭を払って講談を聞いていたわけですが、仕事に役に立つこともたくさんありました。現代社会と同じような組織の軋轢や人間関係の悩みが江戸の時代にもあって、講談の中にその答えが見つかることも多い。それを多くの人にも知ってほしいと思います。

 それから、言葉が美しい。講談では悪人ですら美しい言葉で喋るんです。調子も素晴らしくて、声に出すと、自分が元気になる感じがする。なので、ぜひ一度講談を聞いて、楽しいと思ったら、短いものでいいのでやってみてください。大きな声で練習するのは健康にもいいと思いますよ。

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