創業者の想いを受け継ぎ、漢方で「一人ひとり」の健康に貢献
「良薬は(人や社会のお役に立ち)必ず売れる」という信念のもと、婦人良薬「中将湯」を携え、創業者・津村重舎が奈良から上京。東京日本橋で津村順天堂を興した。明治26年、130年前のことだ。「順天」の精神を今も受け継ぎ、パーパス「一人ひとりの、生きるに、活きる。」を掲げ、「自然と健康を科学する」という経営理念のもと、高品質な漢方製剤を提供している。株式会社ツムラ代表取締役社長CEO、加藤照和さんにお話をうかがった。
漢方医学は中国を起源とし 日本で独自に発展した伝統医学。
—ツムラと言いますと私にとっては津村順天堂のほうが馴染み深いです。「順天」とはどのような意味でしょうか。
加藤 創業者の津村重舎(じゅうしゃ)は、奈良県宇陀の出身で、山持ちの素封家である山田家の次男に生まれました。その後、重舎は養子縁組で津村の姓となり、津村順天堂を興し、のちに三男の岩吉(いわきち)も東京に出て重舎を支えました。創業明治26(1893)年、今から130年前のことです。その目的は、女性や子供は医療へのアクセスが難しかった時代に、婦人良薬「中将湯」を全国に普及することでした。
当時は歴史ある企業が商品名を社名にしていますが、なぜ重舎は創業時から「中将湯本舗 津村順天堂」という社名にしたのかを深く考えました。私は「天に順(したが)う」ことを旨として、事業をすべきと考えたのではないかと思います。「順天」と言う言葉は、中国の古典に二つあります。一つは孟子の「順天者存 逆天者亡」。天の理法に従うものは栄え、逆らうものは滅びる。もう一つが易経の「順天応人」。天の意志に従い、人々の願いに応えるというもので、この二つの精神が創業者の想いだと考えています。
ちなみに、山田家の長男の安民(やすたみ)氏は、津村順天堂創業の後、大阪で「信天堂山田安民薬房」(現・ロート製薬)を立ち上げる時に「信天」という言葉を、三男の岩吉は後に会社を分ける時に「敬天」という言葉を使っています。信天、順天、敬天と、兄弟3人とも「天に従う」という考えを持っていたようです。
—ツムラさんのルーツでもある中将湯はどんな薬なのでしょうか。
加藤 中将湯のもとになる処方は、医業を生業とする家系である重舎の母方の実家、藤村家(奈良・宇陀)に家伝薬としてありました。藤原鎌足のひ孫、豊成の娘が中将姫です。慈愛に満ちたお姫様だったのですが、実母を早くに亡くし、継母にいじめられ命を奪われそうになり、後に當麻寺(奈良・葛城)に出家し、そこで薬草・薬方の知識を得ました。その際、以前に身を寄せお世話になった藤村家へのお礼ということで中将湯のもとになる処方を伝えたということです。
—漢方というと中国の医学というイメージがありますが、日本の伝統医学なんですよね。
加藤 中国を起源とする伝統医学が日本に伝わったのは5~6世紀頃です。その後、日本の気候・風土、日本人の体質に合わせて独自に発展しました。江戸時代末期、オランダと交易が始まりオランダ医学(蘭方)が入ってくると、それと区別するために、漢方と呼び分けるようになりました。
起源は中国ですが日本で独自に発展したので、日本の伝統医学ということは間違いないですし、WHOでも中医学・漢方医学としてそれぞれ認められています。
漢方は非科学的ではなく未科学的。科学技術が進歩すれば科学的に解明される。
—創業当時は西洋化・近代化が一気に進んだ時期で、厳しい船出だったとうかがいましたが。
加藤 創業2年後の明治28(1895)年帝国議会で「漢方医継続の嘆願書」が否決されてしまいました。しかし、重舎は漢方の復権を信じて尽力しました。さらに、初代重舎の長男である二代重舎はその想いを引き継ぎ「漢方は非科学的ではなくて未科学的だ」と言っています。まだ医学の進歩と科学技術の進展が追い付いてきていないだけで、追い付いてくれば漢方薬は科学的に解明されるはず、と確信していました。この想いが、現在の経営理念「自然と健康を科学する」につながっているのです。
記録によれば、重舎は教育に非常に関心があり、明治34年頃から実業補習学校の設立に動いています。大正12(1923)年、欧米を視察し、製薬企業には必ず研究所があり、社会に貢献していることを目の当たりにし、帰国後に津村研究所をつくりました。また、研究対象となる植物、薬草を育てるため津村薬草園も開設しました。
事業を興すに当たっては、社会公益になる事業をやりたい、事業を通して創業の地である日本橋を良くしたい、東京を良くしたい、最後は日本を良くしたいという強い志を持っていたのだと思います。
明治37年に初めて東京市議会議員に当選。明治43年には日本橋区議会議員にも当選し、市議会議員と区議会議員の二重の肩書で地方政治にかかわり、教育の振興と普及、充実に力を注ぎました。その実績から大正14年に貴族院議員に当選しましたが、昭和11(1936)年の貴族院本会議で軍部に対して、国民の視点に立った正論を真っ向から主張して一歩も譲らなかったそうです。「軍を侮辱した」として懲罰委員会にかけられることになりますが、その前に自ら議員辞職を願い出ました。
「自分の発言内容そのものは、責任をもって発言したものであり、自分の信ずるところであるから、取り消そうとも思わぬし、懲罰される理由は毛頭ないと信じる。自分のために不名誉な懲罰委員会を開くに至ったのは、自分の発言に端を発しており、その責任を痛感し辞表を出した」ものと想像しています。たいへん気骨のある人間で、本当に日本の将来を案じ、意を決して発言したのだと思います。
—ところで、漢方薬の原料となる生薬はどちらでつくっているのですか。
加藤 約9割は中国で栽培・調達しています。もともと中国で自生していた植物が多いため、日本の気候、土壌では栽培できないものもあります。日本での栽培も拡大させていますが、どうしても適地である中国で栽培する必要があるというのが現状です。
—最近、漢方を処方する医師が増えているように感じますが、漢方医学の価値が見直されているということでしょうか。
加藤 日本では漢方医学が排斥された明治以降、近年まで大学医学部・医科大学で教えられる機会は限られていました。
しかし、文部科学省が公表する「医学教育モデル・コア・カリキュラム」に2001年、「和漢薬を概説できる」が組み込まれたことにより、大学医学部・医科大学で漢方を学んだ医師が臨床の現場に出ていくようになりました。
その結果、漢方薬の科学的なエビデンスが集積され、診療ガイドラインへの掲載も増えていくなどし、処方される医師も増えたのではないかと思います。
薬食同源で人間の自然治癒力を活かす。
—御社では何種類くらいの漢方薬を扱っているのですか。
加藤 漢方薬には医療用と一般用があるのですが、医師が処方する医療用で国が承認しているものが148種類、当社はそのうちの129種類を製造販売しています。
一般用は薬局・ドラッグストアで直接購入できる製品で、約300種類が承認されています。漢方薬は同じ病気であっても体力・体質によって合う処方が異なるなど選択が難しいので、医師や薬剤師に相談し正しい漢方薬を選んでいただくのが良いと思います。
—今年創業130年ということですが、これからの漢方薬はどうあるべきと考えますか。
加藤 漢方薬を通して皆さんの健康に貢献する、あるいは医療の一端を支えるという原点は変わりませんが、DXやAI技術を活用することで、一人ひとりが最適な漢方治療を受けられる世の中の実現を目指しています。
漢方はもともと個の医学と言われているように、個別化医療に適しています。これからの時代は、デジタルも活用して一人ひとりの状況を把握した上で、一人ひとりに合った治療を目指す方向に進んでいくと思います。
また、漢方には病気を治すだけでなく、「未病」という考え方があるのですが、この未病状態を科学的に定義して、漢方薬で治療できるようにしていきたいと考えています。さらには、もう一段前の養生、つまり病気にならないための知恵をもっと広めていきたいと思っています。
日本では医食同源と言いますが、中国では薬食同源と言われています。ヒポクラテスも言っているように、食事で治らないなら病は治りませんというくらい、食は大事です。漢方薬の原料となっている植物には食用として使われるものがたくさんあります。ショウガやナツメなど、そういったものをうまく食に取り入れて、病気になりにくい体をつくる、あるいは病気になる前の元の状態に戻す。人間が本来持っている自然治癒力をうまく使いながら、常に健康に近い状態を保てるようにしていくことがこれからの課題だと考えています。
当社は、パーパスとして「一人ひとりの、生きるに、活きる。」を掲げ、「自然と健康を科学する」という経営理念のもと、「漢方医学と西洋医学の融合により世界で類のない最高の医療提供に貢献します」を企業使命とした理念経営を実践しています。これからも皆さまの「心と体の健康」と、漢方の持続的な発展に貢献できるよう、漢方製剤のリーディングカンパニーとしての役割を果たしていきます。