地域と共に成長する。 それが東急のまちづくりです。
鉄道事業と沿線の開発を軸に、百貨店、ホテル、エンターテインメントなど様々な事業を展開してきた東急グループ。今年9月、創立100年を迎えた同グループは、今後どんな方向に向かっていくのか。東急株式会社取締役社長、髙橋和夫さんにお話をうかがった。
公共交通整備と土地開発の2つをルーツに100年の歴史を刻む。
—今年の9月2日に100周年を迎えたそうですね。おめでとうございます。
髙橋 ありがとうございます。
—コロナが落ち着いた頃で、無事に盛大な式典が開かれたそうで、何よりでした。
髙橋 もうだいぶ前のような気がします(笑)。ぎりぎりまでやれるかどうかわからなかったので、現場は大変だったと思います。
—鉄道事業と沿線のまちづくりを軸に、交通事業、百貨店、ホテル、エンターテインメントなど様々な事業を展開されていますが、100年にわたって受け継がれてきた東急のDNAは、どういうものでしょうか。
髙橋 東急株式会社の源流は、渋沢栄一が発起人となって1918年に誕生した田園都市株式会社にあります。当時イギリスでは、緑豊かな郊外の住宅地から都心へ電車で通勤するという生活スタイルが喧伝されていたんですね。それを日本流に解釈して作られたのが田園都市株式会社で、その鉄道部門を別会社として1922年9月2日に設立されたのが目黒蒲田電鉄株式会社、現在の当社です。
最初のまちづくりは洗足と田園調布ですが、第二次世界大戦後、東京都区部の人口が膨張し、住宅不足が深刻化すると、当時会長だった五島慶太翁は、多摩川西南部の広大な丘陵地に着目。ここに都心との交通幹線を敷くとともに大規模な住宅を開発して「田園都市」を形成することを構想しました。それが1953年に発表された「城西南地区開発趣意書」で、後の「多摩田園都市」の開発へとつながっていきます。
当社は、公共交通整備と土地開発の2つをルーツとし、互いに成長のエンジンとなることでこれまで発展してきました。まちづくり事業を通じて社会課題の解決に取り組み、時代の変化に適合しながら、常に新しい価値を提供し、地域とともに着実に成長すること、それが東急のDNAといえます。
—未開の土地を開発するのは、ワクワクする事業でしょうね。
髙橋 当時はタヌキが出るような山で、国道246号線が細々と長津田あたりまで、けもの道のようであったと聞いていますが、先人は本当に大変な思いをして開発したんだと推察します。青葉台とか、藤が丘とか、○○台や○○が丘という名前が多いでしょう。どうしたって丘陵地ですからね(笑)。
いまだに多摩田園都市はご高齢の方には移動の制約があるぐらい山坂になっていますが、あれを全部平らにはしきれないですね。
地域の合意形成をするのも、至難の業だったと思います。何をしてくれるのか分からない人たちには当然賛成はしませんから、区画整理組合をつくって今よりも便利になり、人が暮らしやすくなるような地域にしていくという青写真を提示し、その説明をするわけですね。おそらくやりやすい地域とか、難しい地域というのはあったと思います。それを丁寧にやって、60年、70年の歴史を経て、やっと今、ほぼ完成したところです。
それがあって今、私たちがここにいられる。感謝の念に堪えません。
美術館や劇場、能楽堂など、文化的な側面も大切にしてきた。
—地域の人と一緒にまちをつくってきたのですね。
髙橋 家やマンションをつくって売ったらさようならということではないんですね。物理的なことではなく、どう付加価値をつけるか。今までもやってきたことですが、再投資をしながら常に新しい、リフレッシュされた沿線をつくっていくことがとても重要だと思います。
例えば、 高齢になって自分では車を運転できない、バス停まで遠いとなると、移動が不便になりますでしょう。そういう方々のために、呼んだらすぐ来るようなオンデマンド交通サービス(MaaS)とか、あるいはお食事を運ぶサービスとか、体験型、参加型のコミュニティをつくるとか、今までなかったサービスを提供して、沿線の方々により幸せになっていただく。沿線の方々と暮らしを共にしているとでもいうのでしょうか。
理想をいえば、一人ひとりのニーズが違いますから、一人ひとりに対して的確なサービスを提供するのが究極だと思います。ただ、それにはネットワークでつながるといった道具立てが揃わないと難しいので、もう少し時間がかかるでしょうね。
とはいえ、これからは集団でざくざくっとやるようなサービスの提供の仕方は受け入れられないと思います。御用聞きビジネスと我々は言っていますが、お宅に訪問して1対1でお話をうかがうというサービスはすでに始めています。
—だから東急線沿線に住みたいという人が多いのでしょうね。
髙橋 沿線意識というのは、あるようでない私鉄さんもいらっしゃるかもしれませんね。
例えば多摩田園都市のまちは最初はおよそ2万人くらいでしたが、今は60万人以上です。これは世界にも類を見ないのではないでしょうか。そこに住まわれている人も代替りはしていますが、我々はその世代に対してもちゃんとコミットしている。そういうお互いの信頼関係ができているということがいちばん大事なんじゃないでしょうかね。
—五島美術館をはじめ劇場や能楽堂など、文化的なことも大切にされていますね。
髙橋 昔も蔵に入っているものを外に出すという発想がなかったわけではないのでしょうけど、慶太翁は国宝「源氏物語絵巻」も含め、自らの所蔵品を広く公開する美術館の設立が宿願でしたし、もうなくなってしまいましたが、1956年に開業した渋谷の東急文化会館は渋谷ヒカリエとして発展的に継承されています。100年の歴史の中でもかなり早くから、東急の一つの大きな側面として芸術文化は大切にしてきましたね。
やはり総合的に評価されないと、住んでみたいまちランキングなどの調査でも支持は得られません。東急線沿線は比較的地価が高かったりしますから、それを踏まえてでもそこに住みたいと言っていただくには、他のエリアとはまた違った要素で住みやすいとか、そういう場を提供していかなければならないと思っています。
—地価が高いというのは、つまり住みたいという人が多いからだと思いますけど(笑)。
髙橋 相対的にそうなっていくんだと思いますが、それに甘んじるわけにはいきません。
縦横自由に移動できるウォーカブルな渋谷が誕生。
—コロナ禍によって働き方が変わり、必ずしも都心のオフィスに通勤しなくてもよくなりました。乗客数は減りましたか。
髙橋 減ったというより少し分散したイメージです。コロナ前の水準には戻らないと考えていますが、総量はそんなに大きく減少していません。鉄道にとっては平準化するほうがいいんですよ。利用が集中するとピークに合わせて車両を持たないといけませんでしょう。平準化すると車両の配備が減りますので、経営にとってはとてもいい。
ただ働き方が変わったのは事実ですから、電車に対する考え方も変わっていると思います。当社ではコロナの前から、働き方についてはかなり先進的に取り組んでいて、例えばテレワークも社員に推奨していましたので、コロナによって慌てることはありませんでした。
時間も、コア時間はありますが、各自が自由に決められます。育児や介護などのために少し早く退社したいような時、2時間休を取って3時に退社することもできるんですよ。そうやって社員が実践したことが、当社の事業内容のブラッシュアップにもつながります。
会社としてはパフォーマンスさえ落ちなければ、社員が自由に生き生きと働いているというのは、結果的には非常にいいことだと思います。
—今年の3月に「環境ビジョン2030」を策定されました。目的は?
髙橋 次の100年をどうしますかとよく聞かれますが、環境と正対することを明確にコミットする前に「我々は100年後にこうありたい」というのは少し無責任だと思い、このタイミングで環境に対する考え方を打ち出したということです。2050年時点でのカーボンニュートラル、ゼロ・ウェイスト社会を見据えて、地球温暖化を1・5℃以内に抑える水準の目標、廃棄物削減や水使用に関する目標を新たに設定し、各部門で目標達成のためのアクションに取り組んでいきます。
これに向けた象徴的な取組として、本年4月から電車は実質再生エネルギー100%で運行しています。公共交通機関を利用するだけで、CO2フリーな移動が可能となり、街の脱炭素・エネルギーにつながっていくと考えています。
—最後に、東急といえば渋谷です。今、渋谷が再開発されていますが、どんなまちになるのでしょうか。
髙橋 開発自体は30~40年続いているわけですが、その中でだいたい10年が一つのサイクルで変化していると感じていまして、2010年~2020年にかけては、12年にヒカリエ、19年にスクランブルスクエアが建ち、ハードができました。次の2020年~2030年は、東急百貨店本店の跡地や駅周辺のハードづくりをやりつつ、ソフト面も充実させていきます。
2030年くらいには、縦につくったまちの4階部分に渋谷スカイウェイのような歩行者デッキをつくり、宮益坂の上から道玄坂の上までつなげます。地下3階から4階までのアーバンコアを全部で9ヵ所程度設置することでさらに縦移動もしやすくなりますから、縦横の移動が自由にできるようになる。ウォーカブルという言い方をしていますが、やはり渋谷は回遊性が大事。まち歩きをしたいですよね。
それに、渋谷はエンターテインメントのまちでもあります。スクランブルスクエアのところにサイネージがありますでしょう。そういうものが広がってくると、ニューヨークのブロードウェイではないですが、渋谷スタイルの非常に楽しい、にぎやかな、でもちょっとうるさい(笑)、混沌としたまちになるのではないでしょうか。
—スクランブル交差点のような新たな渋谷のシンボルになるかもしれませんね。
髙橋 何千億かけてもスクランブル交差点には勝てないですけどね(笑)。
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