落語はお客さまの想像力で完成する芸
中学1年の時、父の六代目柳家つば女(め)襲名披露興行で「阿武松(おうのまつ)」という人情物を聴いた。落語というのは笑わせるものではなく、人間を描くものだということに気づき、“魔が差して”噺家の道へ。今では寄席のみならず、全国各地で独演会を開催している噺家、柳家小きんさんにお話をうかがった。
江戸落語の発祥はお座敷芸、上方落語の発祥は大道芸です。
—お父さまが噺家の柳家つば女さんですね。小さい頃から噺家を目指していたのですか。
柳家 いや、全く。父はおもしろがって子どもに小噺を教えまして、それを近所のおばさんやおじさんの前でやると喜んでもらえる。それは好きでしたけどね。
よく、魔が差したんですという言い方をしていますが、中学1年の時に父が小きんから6代目つば女という名前を襲名して、その襲名披露興行を見に行った、落語の場合聴きに行ったというのが本当なんですが、それがきっかけです。
—どんな興行だったのですか。
柳家 当時、落語協会の会長であり師匠である柳家小さん師匠、副会長の金原亭馬生師匠、そして立川談志師匠が口上をやってくださった。本当は林家三平師匠も加わる予定だったんですが、直前でお亡くなりになられたのでかないませんでしたが……。そして最後に、父が「阿武松」という人情物をやったんですよ。
それまで落語は笑わせるものというイメージがあったんですが、笑わせるのは枝葉にすぎない。落語というのは人間を描くものだ、ということに気づいたんです。いつか噺家になって、その「阿武松」という落語をやりたいと思いました。
中学を卒業したら入門しようと思っていたんですが、父が高校は出ておいたほうがいいと言うので高校卒業間際に。本当は、父はよその師匠に預けるつもりだったようですが、小さん師匠に相談しましたら、「お前が、面倒を見ろ」と言われて、父のもとへ入門することになりました。
—コロナ前ですが、近所のうどん屋さんで、定期的に落語会をやっていたんです。寄席や独演会に行かなくても、落語って意外と身近で楽しめるんですね。
柳家 そうなんですよ。江戸落語の発祥はお座敷芸、上方落語の発祥は大道芸なんです。だから上方落語は見台と膝隠しを使って音を出して客を呼んだんですね。江戸落語は2階のお座敷で小噺の会をやったのが最初です。僕もお寿司屋さんのお座敷でずっと落語会をやっていましたよ。
—小学校や修学旅行で落語会をやっているそうですね。
柳家 20年前からやっているんですが、会場に客を呼ぶのではなくて、お客さんのいるところに会場を作ったほうが早いんですよ。修学旅行というのは学校行事でいちばんお金を使えるイベントなんですね。ですから泊まっているホテルに僕がうかがって、高座作りから古典芸能鑑賞会までちゃんとやる。先生も生徒がどこかに出かけやしないか心配(笑)。落語会は目が届くから、いいんですよ。
—どなたのアイデアですか。
柳家 僕です。そのころ親しかった興行会社の人に相談したら、ぜひやりましょうということで、旅行会社に持って行ったらけっこう売れました。
—地方は落語を聞く機会が少ないでしょうから、喜ばれたでしょうね。
柳家 よく小噺で、昔の噺家が地方に行って、汽車を降りたら猟師さんが鉄砲を持って待ち構えていた。よく聞いたら噺家とカモシカを間違えていたと(笑)。そういう小噺があるくらいです。
寄席はカタログ、好きな噺家を見つける場所。
—落語会は地方でも開催されていますが、いわゆる寄席的なものは少ないかもしれませんね。
柳家 そうですね。寄席というのは人数がいないと寄席にならない。落語会は極端な話、一人でできますのでね。寄席はカタログなんですよ。そこで好きな噺家を見つけていただいて、注文していただく、独演会に来ていただくというのが一番ですね。
—コロナの影響はいかがですか。
柳家 まず寄席が興行できない時期もありましたし、入場制限もありましたからね。前座が出ていって、お客さまに言うんですよ。「必ずマスクはしてください」とか「大声で笑わないでください」とか(笑)。
「おはようございまーす」と建物に入った時にまず検温して、体温が高いと楽屋にすら入れないんですよ。昔は自分の好きな時間に楽屋入りして――ただ寄席にはルールがあって、前の出演者が高座に上がる前に楽屋にいなくちゃいけないんですが―楽屋の人の顔を見て、自分より偉い人が上座に座り、自分はここに座るのが適当だなと思って座る。ところが今は、前座さんが「師匠こちらにお願いします」と席を離して指定する。終わったら、トリの師匠に敬意を表して、初日、中日、千秋楽と、残る習慣があったんですが、今は「すみやかにお帰りください。お帰りはこちら」って、昔のインチキな見世物小屋みたいに(笑)。そういう感じです。
—それもちょっと寂しいですね。
柳家 昔はお茶ぐせというのがあったんですよ。小さん師匠は熱くて濃いお茶が好き、古今亭圓菊師匠はぬるくて薄いお茶が好きとかね。前座の頃、小さん師匠が剣道の稽古帰りで汗びっしょりで楽屋に入られた。本当は熱くて濃いお茶を出すんですが、喉が渇いてるだろうと思って、石田三成の3杯のお茶の話じゃないですが、まず1杯目はぬるいお茶。ぐーっと飲んでくださって、2杯目はそれよりもやや熱いお茶。それもグビグビグビと飲んでくださって、3杯目をいつもの熱くて濃いお茶。これもふうふう言いながら飲んでくださった。もう一杯行けるかなと思ってさらに濃くて熱いお茶をどうぞと出したら、小さん師匠、僕の顔をキッと見て、「ばかやろう、わんこそばじゃねえんだ」(笑)。
—そういう師匠とのやりとりも修行なんでしょうね。ところで持ちネタはいくつくらいあるのですか。
柳家 よく聞かれるんですが、一つ覚えると一つ忘れる(笑)。数が変わらないんです。前座のころに覚えた落語というのは今でもすぐにできますが、真打ちになって覚えた落語は覚えるのも早いけど、忘れるのも早いんですよ(笑)。だから、急にやってできるというネタはせいぜい100ぐらいですね。
三遊亭圓生師匠が350くらいネタがあって、三遊亭圓窓師匠が五百噺といって、500席発掘してやったことがありました。そういう方はごく一部で、8代目の桂文楽師匠、上方の3代目桂春団治師匠は、持ちネタは少ないけどすべてが名作。他の追随を許さない、格調高い芸でした。いろんな名人がいますね。
落語を聴いて、笑って、免疫力をアップ!
—古典芸能はどれもすごいと思いますが、一人で老若男女を演るというのは本当にすごいと思います。
柳家 落語はお客さまの想像力によって完成させていただく芸だと思っています。こちらが芸を提供させていただくわけですが、完成させるのはお客さまの頭の中なんですよね。 寄席に出演する時は同じ時間帯に10日間出るんですね。10日間同じ話を同じ寄席でやったとしても、毎回やり方が違います。お客さまが違うので。そこがおもしろいですよね。
—お芝居の舞台にも出ていらっしゃいますが、俳優さんにも落語を教えていらっしゃるそうですね。芝居が変わったりするのですか。
柳家 変わりますね。役者さんは基本的に自分の役のことしか考えませんが、噺家は脚本家であり、演出家であり、もちろん表現者でもあるわけじゃないですか。だから観点が変わるみたいですね。「ここまで考えて落語ってやるんですか」と。
落語はいわゆる口承で伝わっているものですから、自分なりに書き起こすんです。自分なりの台本を作って、それを折々に読み返しては解釈を変えたり、人物描写の仕方を変えたり、せりふを変えたりね。
—コロナが落ち着いたら、いちばんやりたいことはどんなことですか。
柳家 子ども寄席、学校寄席を復活させたいですね。学校寄席は、まず古典落語を何の先入観もなく聞いていただいて、その後、落語講座をやるんです。
例えば、扇子の置き方にも意味があって、「皆さまが見やすいように高いところに座らせていただいておりますが、一線を引いて向こうが上座、一段下がって心をこめて務めさせていただきます」ということを念じながらお辞儀をして始まり、最後また一線を引いて、礼をして帰るという話ですとか、キセルの使い方によって身分の違いが分かるという話をしたりですね。
子どもを高座に上げておそばの食べ方もやらせるんですよ。二人並んで、扇子を2本用意して、「じゃあ、僕のやるとおりにやってください」と、横で見本を見せて「一緒に食べましょう」と。それがコロナだとできないんですよ。
その後、質問にお答えをして、知識を得たうえでもう一席。最初の落語よりはちょっと難しい落語を聞いてもらう。
—子どもにとっては楽しい授業だろうと思います。ところで好きな落語は?
柳家 僕はいわゆる大ネタと呼ばれる「らくだ」とか、「夢金」とか、技術がないとできない、人間を深く描いていく、そういう落語が好きですね。笑いのある話はみんながやるじゃないですか。だから僕がやらなくてもいいんですよ。
あと、前座でもかけられる落語、前座噺も好きです。「子ほめ」、「道具屋」、「饅頭こわい」とか。うちの父は前座噺ほどよくできていると言っていましたね。というのは技術が未熟な人間が演じても成立するんです。それは落語がうまくできているからなんですよ。前座話ができない人は大ネタもできないし、逆に本当に技術がある人、技術が高い人は前座噺をやらせてもおもしろいですよ。
コロナ禍で噺家はみんな変わりました。落語ができないという状況を初めて経験し、高座に上がれる喜びを改めて思い知ったんです。
寄席も独演会も復活しつつあります。落語を聴いて、笑って、免疫力をアップして、コロナに立ち向かいましょう。
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