正義と力と両方がないとうまくいかない。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

公益財団法人日本道路交通情報センター 理事長 池田 克彦さん

小学6年の時、悪ガキグループに袋叩きにされ、世の中は理屈だけではだめで、力がないと正しいことは行われないと悟る。正義である法律を作る仕事と、力を行使する仕事の両方ができると警察庁を志望。大阪府警で警備部長の時に阪神淡路大震災を、警視総監の時に東日本大震災を経験した。現在は、安全で円滑、快適な道路交通のために尽力している公益財団法人日本道路交通情報センター理事長の池田克彦さんにお話をうかがった。

東日本大震災の時、決死の覚悟で福島第一原発に隊員を派遣

—ラジオを聞いていますと日本道路交通情報センターの情報が流れてきます。自動車が普及し始めた1960年頃には、すでにできていると思っていましたが、作られたのは1970年なのですね。

池田 約50年ですね。岐阜県の国道41号で、土砂崩れによって観光バス2台が飛騨川の谷あいに転落するという事故が発生したんです。

 死者・不明者あわせて104名という痛ましい事故で、これが契機となって、道路交通情報を広く国民の皆さんに知らせる必要性があると、作られました。

 全国133箇所にセンター・駐在を配置していて、東京は特に多くて九段と愛宕と首都高の3箇所にセンターがあります。実は、平場の道路は警察の管制センターと機器が直結しているんですね。それから高速道路も、昔でいう日本道路公団や首都高速道路公団などと機器接続で直結していますから、それらの情報は全てリアルタイムで入ってきます。

—警察とは密接な関わりがあるのですね。

池田 警察と道路管理者ですね。

—東日本大震災の時に、東京消防庁から放水のチームが福島第一原発に行きましたが、警視庁からも行っているんですよね。

池田 東京消防庁の前に行っています。官邸が、当然放水ですから消防に依頼しようとしたところ、依頼がうまくいかなかったようで、それで警視庁に依頼が来て、警視庁の部隊を行かせました。

 警察の持っている放水車というのは暴徒鎮圧用なんですね。せいぜい火炎瓶を消すためのもので、原子炉を冷やすようなものではないのですが、他にやってくれるところがないというので受けざるを得ないと。

—警視総監として部下を派遣するお気持ちはいかがでしたか?

池田 全然先が見えずどうなるかわからないわけですから、決死の覚悟で派遣したというのが本当のところです。おそらく警視庁の全職員が同じ気持ちだったと思います。

 10個隊ある機動隊の中で放水車を扱える各隊の技術係の10名ほどを選抜しました。その時に、仮に行くのがいやだという者がいたら外して構わない、了解した者だけを行かせてくれと言ったんですが、断った者はいませんでしたね。日にち的には一日ぐらいだったと思いますが、非常に長く感じました。なかなか状況が入ってきませんし、無事に終わって撤収しますという連絡が来た時は本当にほっとしました。

 帰ってきてすぐに警視総監賞を授与したんですが、その時の訓示で宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の話をしました。これはグスコーブドリという科学者が冷害で悩む東北地方を救うために火山を噴火させて、地域の温暖化を図ろうとする話で、最後にスイッチを押す者が犠牲になるんですが、グスコーブドリは自ら志願をして亡くなるわけです。宮沢賢治が言うところの自己犠牲の精神ですね。それを皆さん方にはまさに発揮していただいたと。

 そうしたら隊員は真剣な顔で聞いていたんですが、列席した副総監以下の幹部がみんなオイオイ泣いていましてね。スタッフが泣くのは見たくないと思いましたが(笑)、やはりみんな本当に心配していたんだと思います。

福島第一原発放水派遣部隊を表彰する池田氏

福島第一原発放水派遣部隊を表彰する池田氏

2010年、部門別年間業績優秀警察署に対する警視総監表彰の様子

2010年、部門別年間業績優秀警察署に対する警視総監表彰の様子

警視庁は形式を重んじているから、職員同士の心が通じ合えている。

—警視庁全体が一体となって心配していたのでしょうね。

池田 そう思いますね。警視庁は俗に形式庁と言われるくらい、いろんな儀式をやるんです。

 インドでどうして仏教が衰えたかというと、お釈迦様があまり形式的なことを言わず信仰心があればいいと言ったために、インドではあまり儀式をやらなくなった。そのために、お釈迦様がいなくなるとお互いの心が通じ合わなくなって、仏教が衰退したという説があるんですね。

 同じことで、警視庁は形式を重んじているから、職員同士の心が通じ合えているのではないかと思いますね。形式庁も大事だと(笑)。

—警察官になろうと思われたのはなぜですか。

池田 小学6年生の頃に大変な悪ガキがクラスにいたんですね。当時、私はクラスの委員長をやっていたので、当番をさぼったり子分をいじめたりするなと言ったら、頭にきたと見えて、ある時その悪ガキグループに呼び出されて袋叩きにされたんですよ。それを見ていた友人が、これは大変だと担任の先生に言いに行ったみたいで、注意してくれたんですが、悪ガキは先生の言うことを聞かなくて、その後も似たようなことが続いたんです。

 しょうがないと思っていましたが、私と親父がふたりで道を歩いていた時に、その悪ガキグループとばったり出会ったんです。そうしたら、親父が「おまえらこんなことしていたら、どんな目にあうかわかってるだろうな」と。内心相当頭にきていたんでしょうね。悪ガキたちは急にしゅんとなって、もう二度としませんということで無事収まったんです。

 その時に、世の中というのは理屈を言うだけではだめで、力がないと正しいことは行われないと思ったんですね。それが原体験にあります。

 その後、大学生の時、私は昭和46年に大学に入ったんですが、47年入学から授業料が月に一千円から3千円になったんですね。当時の大学の過激派の連中は、学問の自由に対する侵害であると大反対運動をしていたんです。

 当時は振込がなかったので、授業料を払うために事務室に行ったら、過激派の連中に取り囲まれて、おまえは反革命かと(笑)。とにかく我々の活動を邪魔するなと、何人かに囲まれてそのまま放り出されるという目にあった。これは小学校の時と同じじゃないかと思いました。

 パスカルというフランスの思想家がいますが、彼の言葉に「力のない正義は無効であり、正義のない力は暴力である」というのがありますが、なるほどそのとおりだと。世の中は正義が大事ですが、正義と力と両方がないとうまくいかないんじゃないか、両方が実践できる役所は警察じゃないかと思って警察庁を志望したんです。

2011年、春の全国交通安全運動を前に開かれた「ファミリー交通安全のつどい」で当時小学1年生だった芦田愛菜ちゃんと

2011年、春の全国交通安全運動を前に開かれた「ファミリー交通安全のつどい」で当時小学1年生だった芦田愛菜ちゃんと

シートベルト着用を義務化する立法作業を担当。苦労はしたがいい結果は残せたと思う。

—実際に警察庁に入ってみていかがでしたか。

池田 基本的に世の中で言う正義は、法律だと思います。国民がみんなで決めたものが法律ですから。

 警察庁に入ったら法律を立法する作業もけっこうあるんですよ。立法作業と、第一線に行って部隊指揮、いわゆる力の行使ですね。両方できるので、選択としては間違ってはなかったなと思います。

—いろいろなご経験をされていると思いますが、特に印象に残っていることは?

池田 個人的に印象に残っているのは、1985年のシートベルト着用を義務化する改正道路交通法の立法作業です。

 少なくとも毎年千人ぐらいはシートベルトで命は助かっているでしょうから、苦労はしましたが、いい結果は残せたんじゃないかなと思っています。

—どんなご苦労がおありだったのですか。

池田 当時は法律の原案を作るのは課長補佐なんですね。内閣法制局との議論もだいたい課長補佐、他省庁との折衝も課長補佐、国会議員の根回しも課長補佐の仕事でした。その時、私はまさに課長補佐だったのですが、味方をしてくれる人がほとんどいなくて。

 例えばマスコミは、自分の命を守るのに警察に指示されるいわれはないと、こういう感じ。内閣法制局は、自分の命を守ることをしなかったからといって、不利益処分をするのがおかしいという意見ですね。

 国会議員は、これでどこかの団体が政治献金してくれるわけでもないし、票が増えるとも思えないというので、反対はしないけども、積極的には応援しない。庁内でも、シートベルトの取締りをがんがんやったら、例えば刑事にしてみれば協力者が減ってしまうのではないかとかですね。

 なお、私が課長になった頃は、そういう役割は課長がやるようになって、局長になったら少なくとも国会議員の根回しは全部局長がやるようになりました。何か、上に上がってもやってることは同じじゃないかと(笑)。

—そういった警察官時代の経験はすべて今の仕事にも繋がっていると思います。

池田 そうですね。実はオンライン接続によって道路交通情報を提供する「VICS」は、私が警察庁交通規制課の理事官の時にスタートした構想なんですよ。それから、地震や台風などの災害時にどこの道路が通れるかとか、そういう特別な情報を提供する「災害ウェブ」というシステムがあるのですが、これも東日本大震災や阪神淡路大震災の経験が活かされていると思います。

 ただ今は、道路網は日々拡充され、情報通信技術も日進月歩ですから、常に最先端の技術で対応しなくてはならないのでなかなか大変です。

—最後に警察庁に入られてよかったことは?

池田 他の人生を経験していないのでわかりませんが、今のところ特に後悔することはないので、よかったと思っています。先ほど言いましたように、特に警視庁はお互いを思いやる仲間意識みたいのが非常に強いので、退官した後も一緒にお酒を飲んだり、ゴルフに行ったりしています。OBになってもなかなか楽しいことも多いのは幸せですね。

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