山に行ったら攻撃こそ 最大の防御なり
子どもの頃から山に行くのが当たり前の家庭で育った。だからと言って登山家を目指していたわけではない。陽を浴びることの大切さを身をもって知り、大学入学と同時に山岳部へ。山に魅せられ、自然から多くを学んだ。その経験を活かし、今も幅広い活動を行っている登山家、医学博士の今井通子さんにお話をうかがった。
土曜日は授業が終わったら山へ直行。大学に入ったのか、山岳部に入ったのか…
—今も現役で山に登っていらっしゃるそうですね。山を登るためのトレーニングとか、されているのですか。
今井 全くしてません。山に行くことでトレーニングもできるので。まん延防止等重点措置がとられた時は、奥多摩と檜原村にある都民の森などへ行っていました。まん防=都内から出ないという発想で、山中でも他者とは2m以上の間隔を保つなどの対策をして。—山に登るようになったのは大学で山岳部に入ってからですか。
今井 父親が群馬県の下仁田出身で、子どもの頃から山を駆け回っていたようで、両親に連れられて山に行くのが当たり前の家庭でした。私の子ども時代は第二次大戦直後でしたから、ハイキングに行って、飯盒飯を炊いて食べたり。
—それで山岳部へ。
今井 山岳部に入ろうと思っていたわけではないんです。
ずっと親と一緒に箱根や蓼科の別荘に行き、色々な発想で森を楽しんでいましたが、高校3年生の時に1年間、大学受験のために私だけ山に連れていってもらえず、受験が終わった3月に白馬岳へスキーに行ったら熱中症(日射病)になってしまい、母の肩を借りて、ホテルのスリッパをはいたまま東京まで帰ってくるという経験をしました。
大学の入学式の後にあった各クラブ活動の勧誘時、日焼けした先輩がいるクラブをみつけ、陽を浴びることはやったほうがいいなと思って、そこへ行ったら山岳部だったんです(笑)。
—なるほど。
今井 帰宅後、親に報告すると、山登りは危険だと怒られたため、最初は親には内緒で部活に参加していました。私の部屋は2階にあったので、雨樋を伝って下り、家を抜け出したり、岩登りを始めてからは、和室の鴨居にハーケンを打って怒られたり(笑)。
土曜日は、授業が終わったら階段教室の階段を駆け上って新宿駅へ直行。列車に乗って山へ行く。級友たちからは、山岳部に入ったのか、大学に入ったのかって言われました。
—一人ではありませんよね。
今井 当時の女子医大山岳部は、危ないことはしない。岩登りは禁止で尾根歩きしかさせてもらえませんでした。明治、大正時代、近代登山は主にハイソサエティの人々がガイドをつけて優雅に楽しむものでした。当校の山岳部もその形だったんです。でも二年先輩の方と私はこっそり岩登りや冬山登山をしていました。
—なぜ岩登りになったのですか。
今井 岩が登りたかったんですよ(笑)。初めは先輩と文献を頼りに登りましたが、私が5年生の時、部長となり岩登りを取り入れました。三浦雄一郎さんのスキー教室へ行っていた妹から、スキーコーチの中に戦後初の欧州アルプス登山隊のメンバーに選ばれた加藤滝男さんという岩登りの専門家がいると紹介され、コーチをお願いしました。
—かなり自由な家庭環境だったのですね。
今井 自由というか、男女に区別をつけず。なお、実家は両親、妹、妹、弟、全員医師です。父が、明治生まれの人間のわりにジェンダーフリーだったというか、大人になったら自分で仕事をしろという感覚の家でした。
森林浴という言葉が生まれた頃から森のもつ力を広める活動に注力。
—襟につけているのはSDGsのバッジですか。
今井 これですね、ニッセイ緑の財団がわざわざ木で作ってくれたんです。この財団は30年くらい前から森林づくり、森林を愛する人づくり事業を行っている財団で、当初から理事を務めさせていただいてます。
1960年代後半にヨーロッパの岩登りに行って、それまで全く意識していなかった自然環境の汚染、衰退に直面しました。ヨーロッパは40年代に既に温暖化を経験していて、モンブランのボソン氷河が後退しているとか、大気汚染で河川湖沼の水が酸性化しているとかで植林に力を入れていて、その様子を見ましたので、日本も自然環境への留意が必要と考えました。
92年にブラジルのリオデジャネイロで開催された地球サミットには、GENKI(地球環境女性連絡会)という環境団体を作って、NGOの代表として行きましたし、国連気候変動枠組み条約締約国会議にはCOP3から行っています。
ただ、そういうところに行って感じるのは、言論ばかりで全然現実性がないというか、現場を見ていないというか、実行力に結びついていないということ。なので私は、自分ができることをすればいいと思って活動しています。当時、岩登りをやっている大御所たちからは、「今井はロッククライマーじゃなくてナチュラリストだ」と言われてました(笑)。
—先ほど都民の森の話が出ましたが、そこには森林浴ができる森林セラピーロードがありますよね。森林セラピーにも長く携わっていらっしゃいますが、その効果は?
今井 健康維持・管理のために免疫系と内分泌系と神経系の3つが心身のバランスをとっていますが、90年代から始まった森林浴の調査、研究によって、森のほうが都会にいる時よりもストレスが緩和されるという値が出ました。2006年には自然免疫細胞の一つNK細胞が活性化することも証明されました。血圧や脈拍の正常化や、副交感神経が優位となりリラックスできること、マイナスな気分が一掃され活気が増すことも解りました。
森林浴という言葉は、82年に当時の林野庁長官の秋山智英さんが作った造語です。森に行くと何故あんなに清涼感を感じるんだろう、リラックスするんだろうと思っていた秋山さんが、ロシアのボリス・トーキンという学者の本を読んで、フィトンチッドという、いわゆる森の持つ芳香物質の作用だと知って、森林浴と名づけたんです。
私はその頃から活動に加わりましたが、森林浴は2000年から産学官での研究となり、官から民へという時代の流れの中で森林セラピーソサエティを立ち上げました。理事長に就任した私は、日本だけでなく国際的に広げたほうがいいと思ってINFOM(International Society of Nature and Forest Medicine)を設立。今では韓国や中国、米国、ヨーロッパ諸国のほうが盛んになっています。ちなみに海外でも論文などでShinrin-Yokuは通じます。
森は私たちに一番近い自然であり、私たちを守ってくれる一番の保護者
—コロナ禍によって、登山や森林浴のやり方は変わりましたか。
今井 そうですね。私たちは山に入る前には、全員がPCR検査や抗原検査をします。登山、岩登り、森林浴などの活動時にはマスクと、手消毒とともに、必ず両手を広げて左右は約2m、前後は4mくらい距離をとっています。
森林セラピーは基地によってはサイレントウォークみたいな感じで、以前は「ここで寝転がってくださーい!」と大声で言っていたのを紙に書いて出すとか、そういう注意はしています。それに宿も貸切じゃないと泊まらない、車でなきゃ行かない。山の場合はさらに事故救助という迷惑は絶対にさける。エッセンシャルワーカーが超多忙なので。
—それくらい注意しないといけないのですね。
今井 COVID-19については、特に最近オミクロン株のBA.1からBA.2、そしてXE系統へとまだまだ進行形です。感染症に関しては、たしかに森に行っていれば免疫力は上がっているでしょうけど、本人はともかく、相手にうつすことも考えられますから、細心の注意が必要でしょうね。
それから、COVID-19については、戦後日本は何かあると逃げの一手で、攻撃は最大の防御なりという言葉を知らないのではと思います。一義的にはウイルス自体の自滅という発想です。日本は科学技術立国だったはず。新宿駅とか東京駅といったターミナル駅は、紫外線(ブルーライト)でウィルスを不活性化するとか、オフィスビルなどではウイルスもキャッチできる空気清浄機を置くとか、政府には、10万円配布やマスク配りより、先にウイルスの蔓延防止をしてほしかったです。
山に行ったら、それこそ攻撃は最大の防御なりです。
—そのことを日本人に思い出させるにはどうすれば良いと思いますか。
今井 最終的には子どもの教育になると思いますが、自然と対峙することでしょうね。競技スポーツは、ルールに則った人同士の勝ち負けですが、自然には何をしても勝てません。
まず、身の安全を最大限確保し、観察、洞察、技術の駆使で、突破できると判断した時、積極的に踏み込む(攻撃する)ことで楽しめます。すなわち、千差万別の自然の状況は、体験を積めば次々学べ、飽きることはありません。だから一生山に関わることになってしまったんですけどね。
—自然が相手だと、全て自分の責任ですものね。
今井 そうですね、戦う相手は人間でないほうがいいかもしれませんね。
一方、私は一応医者なので、どちらかというとエコノミストよりソーシャリストの感覚を持っています。
私たちに一番近い自然である森、地球環境の同じ生命体の中で我々を守ってくれる一番の保護者的な森を大切にするためにはどうしたらいいかを考え、森林浴、森林セラピーに辿り着きました。
森林には気候緩和、大気汚染浄化、淡水循環保全、その他多彩な機能があり、地球環境問題を是正してくれますが、それに森林セラピーを加えると、森があることで森林浴ができ自分たちは健康がもらえると気づきます。多くの人々がこの恩恵を享受することで健康観光が地元を潤す、地元の収入源となる豊かな森を増やそうと思う、この流れが森も健康にするので、地球環境の保全につながると考えています。
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