「平時」に積み重ねてきた知見と人脈を
「有事」の廃棄物処理に活かす
株式会社ダイセキ環境ソリューション

  • 取材:種藤 潤

地震、豪雨、洪水などの自然災害発生後に、救命救助や復興と並んで大きな課題となるのが、災害廃棄物の処理だ。11年前の「東日本大震災」発生直後に注目され始めたこの問題。産業廃棄物処理の専門企業であるダイセキ環境ソリューションをはじめとする企業や自治体の取り組みにより、その後の「有事」の際の廃棄物処理のモデルが形作られていった。ちなみに同社は、「平時」の東京のまちづくりでも、力を発揮している。

上はダイセキ環境ソリューション鈴木隆治専務取締役、下は入野智樹事業推進部部長。ともに同社に創業時から在籍し、今日の礎を築いた

東日本大震災の経験を生かし 熊本、岡山、横浜等でも支援

 東日本大震災が発生した数日後、株式会社ダイセキ環境ソリューションの入野智樹事業推進部部長は、麻痺してしまった交通網に悪戦苦闘しながら、宮城県仙台市に向かった。

 「弊社とお付き合いのある仙台の地元企業様から、震災で発生した廃棄物処理が課題になっていると相談を受けました。とにかく大変な状況の東北の復興に、弊社も少しでも力になれればと思い、現地に駆けつけました」

 大きな揺れにより倒壊した建物や家財道具などは、土砂とともに津波で流され、被災地の至るところに堆積していた。このような災害により発生した「災害がれき」の処理は、同社も初めての経験だった。しかしそれまで培ってきた経験と技術を持ち寄り、地元企業と連携して、現地に処理場を設置。機械と人手を駆使し、再利用やリサイクルできるものと、安全を確保した状態で処理できるものとの分別作業を請け負うとともに、適切な処理場の確保と輸送手配の環境を整えるサポートを行った。

 「最大の課題は、災害の規模が大きすぎ、地元内での処理に限界があったことでした。そこで『広域処理』の形で県外での受け入れを求めましたが、原発事故の影響もあり、当初は受け入れる自治体が現れませんでした。ただ、そんななかで、結果的には受け入れられませんでしたが、はじめに東京都が手をあげてくれ、その後の『広域処理』定着のきっかけになりました。さすが東京都だと感心しました」(入野部長)

 同社はその後設立された(一社)日本災害対応システムズに加盟。東北で培った経験を生かし「熊本大地震」「西日本豪雨」「千曲川氾濫」「ダイヤモンドプリンセス号コロナ対応事案」などの廃棄物処理のサポートを行った。

 「災害廃棄物処理は、初動が命です。それが不十分だと分別がされない状態が続き、不法投棄につながり、復興の遅れや処理費用の拡大につながります。そのためには、準備と訓練が重要です。すでにいくつかの自治体からは相談を受け、運営マニュアルの作成やリハーサルなどの相談にも応じています」(入野部長)

東日本大震災発災後に設置した、仙台市内の災害がれき処理現場。同社はここの設置を地元企業と共同でサポートし、災害廃棄物の選別や処分を請け負った(本文写真すべて 株式会社ダイセキ環境ソリューション提供)

汚染土壌や産業廃棄物を 調査から処分までワンストップ対応

 災害時が「有事」とすると、同社の本来の業務は「平時」の産業廃棄物に加え、汚染土壌の調査分析処分まで対応する、実務解決型コンサルティングである。

 同社の親会社である株式会社ダイセキは、1945年に創業した油脂精製業だ。その後、高度経済成長期の公害問題を受け、産業廃棄物とリサイクル事業に参入。のちにエンジニアリング事業が分社化し、1996年に同社が設立された。2002年「土壌汚染対策法」施行にあわせて、土壌汚染対策事業にも参入。全国に6箇所の大規模汚染土壌処理施設を設置し、船舶輸送により遠隔地案件にも対応する。

 一方で処理だけでなく、調査から分析、処分に至る「ワンストップソリューション」を構築。全国を対象に大規模廃棄物処理のできる企業として、独自の地位を確立していった。

 愛知県に地盤を置きつつも、近年は関東、特に東京近郊の案件にも力を入れる。最近では豊洲市場やネクスコ中日本世田谷ジャンクションの処理対応を行い、現在は東京湾岸地域の大規模再開発事業において、施主や建設会社と連携しながら、東京のまちづくりに関わっている。

 特に東京のような大規模案件では「チームプレー」が重要だと、鈴木隆治専務取締役はいう。

 「弊社は(一社)日本汚染土壌処理業協会に加盟しており、東京の大型公共インフラのような案件でも、各社と連携して大量処理のニーズにも応えられます。また、地道に汗を流し、企業、行政のみなさんとのつながりも強めてきました。土壌や廃棄物処理においては、意外なところで人や企業、地域とのつながりが必要になります。これも弊社のかけがえのない財産です」

全国6箇所にある大規模汚染土壌処理場のひとつであり、主に関東近辺の事案に対応する「横浜恵比須リサイクルセンター」の外観と内部

自社の事業が拡大すれば 地球環境は良くなる

 2008年には、目標に掲げていた東証1部上場を達成したが、逆に「目標を見失ってしまった」という。

 そんな折、前述したように2011年3月に東日本大震災が発生。入野部長を中心に社としての事業性は度外視し、可能な限り対応した。それが、自社の事業のあり方を考え直すきっかけのひとつになったと、鈴木専務は振り返る。

 その後、自社ミッションを改めて議論し直し、2014年に『VISION2025』を作成。「社会的に不要になったり、環境に負の影響を与えるものに対して工夫を凝らし、再び価値をつけて社会に送り出す新しい仕組み=環境リ・バリュー・ストラクチャーの創造」を掲げ、新たなスタートを切った。

 「そもそも社業が地球環境の改善につながるのですが、我々自身がそこに気づかず、社業と社会貢献を区別していました。ですが、今は我々の事業が拡大すれば地球環境も良くなると確信しています」(鈴木専務)

 「平時」は東京とのつながりを着実に深めているが、「有事」の廃棄物処理では、現時点では特に接点はないという。それでも、入野部長は東京だからこそ、来る災害に備えた準備を進めてほしいと語る。

 「東京は人口も組織も膨大かつ複雑で、災害時の廃棄物処理は大変な状況になると予測されます。しかし、事前の準備で状況はかなり改善できるはずです。既に東京の関係者の皆さんは動き始めていると思いますが、我々のノウハウと経験でお力になれることがあれば、ぜひ協力したいと思います」

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