能はオペラ、狂言はコントです。
5歳の頃から父の稽古を受け、6歳の時『靭猿(うつぼざる)』の子猿役で初舞台を踏んだ。その後、稽古をつけてもらった家元の厳しさに死のうと思ったことも。しかし、祖父の教えによって狂言をライフワークにすると決意。以来、狂言を探求し続けている大蔵流狂言師、善竹十郎さんにお話をうかがった。
緊張感の能と笑いの狂言。性格の違う二つが一緒になって能楽になる。
—能と狂言をまとめて能楽と言いますが、その違いはどんなところでしょうか。
善竹 能と狂言はもともと「猿楽」から生まれたもので、いわば兄弟のような関係です。よく申し上げるのは、能は神話や歴史上の話を題材にしたオペラやミュージカルで、狂言は日常生活にある話をコミカルに演ずるコントやコメディということです。
そして、オペラはたいへん長くて緊張感がある。一方、コントは短くて笑いの要素がある。緊張感の能と、笑いの狂言。緊張感と緊張感の間に笑いがぽっと入るんですね。オペラでも、時々クラウンのような笑いを取る人が出てきますが、そういうところも能楽と似ていますね。
狂言は、ご覧になっている方のインターミッションとでも言いましょうか、休憩は休憩としてあるのですが、一つの舞台の上で和む時間。そういう役割があるのではないかと思います。
このように性格の違う能と狂言が一緒になっているところが能楽の特徴です。だから能と狂言はセットで演じられるのが本来の形なんですね。能一番と言いますが、これは能が一番ということではなくて、狂言がついて一番。番(つがい)という意味で、能が陰、狂言が陽と、二つが一対となって一番というわけです。
—私は、和みの時間の狂言の時は起きているのですが、緊張感のある能の時はうとうとしてしまいます。
善竹 ほとんどの方が笑いながらそうおっしゃいますが、実はお能は寝るようにできている(笑)。まずね、寝るということ自体は、安心している証し。想像してみてください、お母さんに抱かれている赤ちゃんが、優しく子守唄をうたってもらって、おしりをたたかれたら、非常に満足して眠るでしょう。
謡には、知らない単語やフレーズが出てきますね。何なんだろうと頭にクエスチョンマークが飛でいるうちに、自分の中で通訳できず、理解不能になってくると、よおー、ほおーとか、ポン、カーンとか謡のいいリズムによって、上まぶたと下まぶたが仲よくなるんですよ。目はつぶっているけれど、音は聞こえている。おしりはたたかれませんが、まさに母親に子守唄を歌ってもらって、安心しきっているのと同じ状態なんですね。
ちょっと入場料が高かったとしたら、その睡眠はたいへん贅沢と言えます。能楽堂という大きな空間を一人占めできるんですから。それも一つの観能体験です。
—事前にその日の演目の解説をしていただけると、興味が湧いて眠くならなくなるのかもしれません。
善竹 能楽堂、各会で事前学習のようなものを行うようになってきましたね。今ではかなり一般化してきましたが、私は若い時に、会の前にミニ講座という形でその走りをやっていたんです。最初に説明を聞いて、なるほどそういうことかと理解が深まれば、楽しみが増すと思いましてね。
能楽には先祖代々変わらない不易と、時代とともに変わる易がある。
—伝統のある家に生まれて、小さい頃から厳しい稽古を続けて来られたと思いますが、やめたいと思ったことはないのですか。
善竹 やめたいというか、死にたいと思ったことはありますねえ。
—何歳ぐらいの時に?
善竹 中学高校の頃です。初めは父・圭五郎に稽古をつけてもらっていたのですが、その後、父の兄である大蔵流24世宗家大蔵彌右衛門に稽古をつけてもらうことになったんです。この家元がたいへん厳しいお方で、私の心構えが悪いからなんでしょうけど、生きている資格がないくらいにしかりつけるんですよ。
でも、狂言界で初めて人間国宝になった祖父の善竹彌五郎が、私にたいへん期待してくれましてね。「間(あい)狂言をしっかり語りなさい」と高校時代に言ってくれた。つまり、声をしっかり作ってから、狂言もしっかり習いなさいということです。
家元からいただいた狂言台本を写して覚えるのですが、それを祖父の前で語ると、悪いところを直してもくれました。
ある時、「その言葉はやめなさい」と言われたことがあります。私は内心、「おじいさん、勝手に台本を変えていいんですか」と思いましたが、「これからの時代、言ってはいけない」と。例えば、「総じて女性(にょしょう)と申すものは、外面如菩薩、内面如夜叉と申して(女性というものは外面は菩薩のように柔和で優しい顔をしていても、内面は夜叉のようにこわいものだ)」と言う言葉です。これからはご婦人が大切になるから言ってはいけないと。感心しましたねえ。
代々伝わる台本を変えるくらいの、祖父のそういう卓越した考え方、すごさに修業時代に直に接しましたので、自ら命を絶つようなことがあってはねえ。自分自身を改めて、狂言という厳しい世界に立ち向かおうと思うようになりました。
—7百年近く続いてきた能楽は、おじいさまの台本の話ではありませんが、これから変わっていくのでしょうか。
善竹 能楽の倫理の言葉に、易不易の原理というのがあります。易は変わる、不易は変わらない。この変わらないものは縦の経線、先祖代々のものです。でも時代とともに変わるものもある。
例えば祖父は、能楽堂の能舞台だけだとキャパシティが決まっているので、キャパシティの多いところに大勢を集めようと考えました。大正15年に大阪に朝日新聞社の朝日会館ができた時、「舞台開きに能楽をやらせてください」と大阪本社の社長に直談判して、何度も断られたんですが、最後はステージの上に屋根つきの能舞台を作って実現しました。演目はもちろん、栄えることを祈念するおめでたい「翁」「高砂」「末広がり」。
今では能舞台だけではなく、ホール能という形で各ホールで能が演じられていますが、これも易の部分と言えるでしょうね。そういう易の部分をどんどん作っていったのが祖父、彌五郎ではないかなと思います。
—昔は能舞台でしか演じられなかったのですか。
善竹 そうなんですよ。ですから、どういう空間であれ、いろいろな形で、またいろんな方々と交流することで、能の芸術性が発揮できるのではないかと思っています。
相手に笑顔を施す「和顔施」で、とても豊かな気持ちになる。
—イタリアのコメディを狂言バージョンで演じたこともあるそうですね。お祖父様譲りの易の精神でしょうか。
善竹 そうかもしれませんね。イタリアの即興喜劇、正式にいうとデル・アルテですが、リエゾンしてコメディア・デラルテと日本では言っています。このコメディア・デラルテの役者さんと一緒に、日本とイタリア、それぞれの伝統演劇の特色を感じさせる新作狂言を全国のいろんな能楽堂でやりました。15年ほど前でしょうかね。
—楽しそうですね。他にはどんなことを?
善竹 シェイクスピア劇を狂言に翻案して演じたりしたこともあります。 一昨年は音楽狂言をやりました。能の楽器ではなく、コントラバス、アコーディオン、バイオリンの西洋の三つの楽器でね。ディケンズの「クリスマス・キャロル」の翻案狂言で、日本の題名は「寿来爺(スクルージ)」。コントラバスの方がたいへん偉い方だったので、私は洒落て「コントラボスですねえ」と申し上げたんです(笑)。
—ところで、張りがあると言いますか、とてもいい声ですね。
善竹 高い調子から低い調子から、いろんな声は出ますが、自分ではそんなにいいとは思っていません。こればかりは生んでくれた親のおかげだと思います。ただ、困ったことがあって、内緒話ができないんですよ(笑)。
—声が通ってしまうから?
善竹 響くんですね、小さな声でも。この間、びっくりしたことがありました。オーストリアのウィーンのレストランで、弟子と食事をしてたんです、「明日、こちらでやる狂言に大勢のお客さんが見えたらいいなあ」なんて話しながら。
そのレストランの隅のほうに、日本人のご婦人二人がいらして、向かい合って食事をしていたんですね。私たちのテーブルとはずいぶん離れているんですよ。食事が終わって帰る時です。「失礼ですが、狂言をやる方ですか?」って(笑)。翌日ご来場くださいましたよ。
—全部聞こえていたわけですね。特別な発声法とかトレーニング法があるのですか。
善竹 基本は腹式呼吸です。狂言には「かまえ」と言って、基本の立ち姿や型があるんですね。例えば、片膝から立つ時はつま先を上に向けて、上から引っ張り上げられたように、すーっと立たないといけないんですが、全身の筋肉を使わないと立てないんですよ。ですから、日々の稽古や舞台で演じているだけで十分鍛えられる。おかげで筋トレ要らずです。
今の若い人は、それができないみたいですね。すてんと尻餅をついてしまう。電車に乗って座った時に、手すりなどにつかまらずに、足をぐっと下げて立つようになさったら、いいトレーニングになるのではないでしょうかね(笑)。
—コロナ禍でいろいろと制約がある今だからこそ、生の舞台とか笑いといったものが大事だと、すごく思います。
善竹 そのとおりですね。今、マスクをしていますでしょ。私はマスクの中でも口角を上げてにこやかな顔をしているんです。すると、皆さん「善竹さんを見るとほっとします」とおっしゃってくださるんですね。
仏教では3つのお布施(他人へのほどこし)があって、その一つに「和顔施(わがんせ)」というのがあります。相手に笑顔を施すことが徳になるという考え方ですね。これを実践していると、とても豊かな気持ちになるんですよ。