トップに行けるのは センスのある人間です。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

Swift Engineering Inc. Chairman & CEO スウィフト・エックスアイ株式会社 代表取締役会長 & CEO 松下 弘幸さん

F1と並ぶ世界2大レース、インディカーに日本人として初めて参戦したドライバー“ヒロ松下”をご存知の方も多いだろう。レーシングドライバーとして第一線で活躍中にスウィフト・レースカーズを買い取り、レースカーコンストラクターから航空宇宙工学サービスの企業へと発展させた。スウィフト・エックスアイ株式会社代表取締役会長&CEO松下 弘幸さんにお話をうかがった。

垂直離着陸ができ、かつ水平翼を持ち、水平飛行が可能なVTOLを日本で展開。

—レーシングドライバー“ヒロ松下”から、経営者へと転身されたのはなぜですか。

松下 私がアメリカに行って、フォーミュラ・フォード1600、フォーミュラ・アトランティックというエンジンの小さいカテゴリーのレースに出ていた頃、スウィフト・レースカーズというメーカーがあって、そこの車が非常に優秀で、そこの車に乗らないと勝てないという時代があったんです。そこの創業者の4人と、2代目のオーナー2人はレース界の人間で、私もよく知っていました。

 私がインディカーに上がり、契約金などの収入が増えた1990年、たまたま彼らも次のステップに進むために新しいオーナーを探していた。

 それで、私がその会社を買収し、スウィフト・エンジニアリングという名前に変えて、自動車以外、レースカー以外の分野に、その技術を広げて行こうと思ったんです。

—それで、航空宇宙工学の分野に進出したのですか。

松下 はい、2000年からです。実際にプロダクトは航空宇宙関係が多く、イノベーティブなことをデザイン(設計)して、それを製造(実現)する部門、つまりゼロからアッセンブリーまでをプログラムする部門と、基本的な設計はクライアントが行い、エンジニアリングを含め、それを作り上げていく製造部門とがあります。

 主なクライアントは、例えばスペースXですとか、ボーイング、ノースロップ・グラマン、ロッキード・マーティン、NASAです。

—2018年、神戸情報大学院大学と共同出資して、神戸市にスウィフト・エックスアイ株式会社を設立されたそうですが、目的は? 

松下 スウィフト・エンジニアリングが保有する航空宇宙工学に関連した最先端技術と、神戸情報大学院大学が保有するICT技術者育成の経験とノウハウを活用して、VTOL(Vertical Take-Off & Landing)ドローンのリース・保守、ソフトウェア販売、航空宇宙工学分野の研究・コンサルティングなどを日本で展開することです。

 ドローンとは遠隔操作や自動制御によって飛行できる無人航空機の総称で、日本では4枚のプロペラがついた無人飛行機のクアドローターを思い浮かべる人が多いと思いますが、6枚、8枚のプロペラを持つマルチローターもあります。

 我が社が開発しているドローン、スウィフト021(021)は、いわゆるVTOLと言われるもので、垂直離着陸ができ、かつ水平翼を持ち、水平飛行が可能な航空機。有名なのは沖縄などの基地に配備されているV―22(オスプレイ)、昔でいうとハリアーとかの戦闘機です。

 それから、高高度滞空型無人航空機HALE(High Altitude Lo ng Endurance)という用途の違うドローンがあります。これは主翼と水平尾翼の上面にソーラーパネルがついていて、高い高度で長距離・長時間飛ぶことが可能です。

 コロナの影響で去年の7月に初めてフライトができました。

AIを搭載した超高性能VTOLスウィフト021。様々な分野で活躍が期待される

AIを搭載した超高性能VTOLスウィフト021。様々な分野で活躍が期待される

ドローンは航空機。だからより安全設計が求められる。

—それぞれの特徴を教えていただけますか。

松下 マルチローターはいろいろなメーカーのものが売られていますが、安価で安定性の高い点がメリットでしょう。ただ、飛行には常に垂直方向に推力が必要なので、現在手に入れることのできる電気モーターを使用した機体だと、バッテリー容量に限りがあり、約20分、片道3~4㎞程度の範囲しか飛行できません。

 これに対してVTOLは、垂直離着陸以外の水平飛行時にはモーターの推力が少なくてすむのでバッテリーの消耗が小さく、021は約2時間、120㎞の飛行が可能です。

 ただ、垂直離着陸時から水平飛行に移る時の機体制御が難しい。そのソフトウェアの開発と機体そのものにもコストがかかるので、マルチローターと比べて高価になってしまうんですね。

—日本では、政府が配達運輸用にドローンを推し進めようとしていますが、安全性はどうなのでしょう。

松下 日本の航空行政は圧倒的に遅れていますが、ドローンに関しては特に。アメリカのレベルが大学院だとしたら、日本は幼稚園レベルです。

 マルチローターはプロペラが止まれば、当たり前ですが墜落します。アメリカではすでに禁輸になっていますが、日本でもよく使われている中国のDJIのファントム等は、研ぎ澄まされたペティナイフ16枚が高速回転しながら飛んでいるようなものです。都市部で飛ばすにはまだまだ安全性の追求が必要ではないでしょうか。

 我が社のドローンは、一般のドローンをはるかに超えた安全設計になっています。それは航空機だからです。

 021もHALEも水平翼を持っており、グライダーのようにグランディングできます。さらに、エマージェンシーが起きても、フライト前に海上や河川のような非常用の着陸ポイントをプログラムしてあるので、たとえプロペラが止まっても、そこに自動的に降りてきます。自動車よりももっともっと安全を考えなければいけないんですよ。

—ドローンの用途はどんなことが考えられますか。

松下 メディアでよく書かれているような物流への利用については、今のところ都市部ではVTOLもマルチロ―ターも危険が多すぎるでしょうね。

 ドローンの主な任務はやはり撮影機材とかセンサー、センシング機材を積んだ飛行です。021の場合は、ペイロード(最大積載量)は1・5㎏です。1・5㎏あれば、レーザーによる深度の測量以外の光学機器はほとんどのものが積めます。それに、赤外線カメラと普通の可視光線のカメラの両方、AEDやワクチン等の医療品など、大抵のものは積めるんですね。それらを積んで、1時間半から2時間、距離にして100㎞くらい航行できるということは、ものすごい用途がある。

 例えば、災害発生時の被害状況調査や緊急医療、パイプラインや高圧線・線路等のインフラのメインテナンス、火山やガス田等の科学的調査、農業や漁業への利用、地上インフラの乏しい地域の小型品の物流、軍用、防衛用などが考えられます。

昨年7月高高度滞空型無人航空機HALEの初フライトに成功

すばらしいコンペティターと競い合う。それが自分にとってのレース。

—HALEは用途が違うとのことですが。

松下 HALEはもともとNASAとの共同開発で、20㎞上空を30日以上飛べます。

 人工衛星は大きく分けると、2千㎞~3千㎞上空を飛ぶ静止衛星と、2百㎞~5百㎞を飛ぶ低高度の衛星があるんですが、低高度の衛星を静止衛星並みに使おうとすると、何機も飛ばさなければなりません。例えば低高度の衛星の高度が2百㎞だとすると、HALEは20㎞ですから、範囲は狭まりますが解像度は10倍です。

 それが何を意味するかというと、微細気象、例えば新宿区早稲田鶴巻町だけの天気がわかったりしますから、局地的な豪雨予報などに役立つと思います。

 それから一定地域を旋回させて静止衛星として使えば、交通渋滞を知らせるとか、人が集まっているところをタクシーに知らせるといったことも可能ですから、すごく効率がよくなりますよね。

—いろいろな可能性があるのですね。ところで、モータースポーツの世界に入るに当たり、ご家族の反対はなかったのですか。

松下 止めてもむだと思ったんじゃないですかね。誰にも言わずに10代前半から二輪を始め、初めてレースに出たのが15歳の時。18歳の時にラリーを中心に四輪レースを始め、20歳くらいからロードレースも始めました。

 二輪の時から「海外でレースをしたい」とは思っていたんですが、実際にアメリカに渡ったのは25歳の時です。

—中嶋悟さんがF1に参戦した頃ですよね。多くのドライバーがヨーロッパを目指したと思うのですが、なぜアメリカだったのですか。

松下 二輪のライダーたちの影響です。その頃、世界グランプリに出ていた連中にアメリカ人が5、6人いたんです。彼らの走りは日本では常識外。物理的には理解はできるけど、絶対しないような走りを見て興味を持ちました。二輪でこんなにおもしろい人間がいるんだから、四輪もきっとおもしろいだろうと思ったんですね。

 当時はレースだけでなく、何でも日本でチャンピオンを取ってから海外に行くというのが普通のことでしたが、私は自分にセンスがあるかどうかをできるだけ短い期間で見極めたいと、アメリカでプロのレースカードライバーを目指すことにしました。

—センス、ですか。

松下 レースを10年やっている人より、車の免許取りたてでも速いのがセンスです。

 同じ才能であれば、経験が多いほうが多少はいいと思いますが、スポーツだけでなく、仕事でも何でも努力だけでは絶対にトップには行けない、絶対に。トップに行けるのは最終的にはセンスのある人間です。

—実際にセンスがあって、世界のトップカテゴリーのインディ500に日本人として初めて参戦したわけですね。やめる時のタイミングはどうだったのですか。

松下 当時、トップカテゴリーのレースが年間17、18戦あったんですが、その全部に集中力を高めて臨むことが、精神的に無理と思って……。その後も24時間の耐久レースとかオフロードレースには出ていたので、トップカテゴリー、インディカーから降りたというのが正しいんですけどね。それが98年、38歳か39歳の時。体力的な問題ではないです。

—モータースポーツの世界で後輩を育てるとか、レーシングチームを持つという選択はなかったのですか。

松下 興味なかったですね。私にとってレースというのは、レーシングカーに乗って、世界中からやってきたすばらしいコンペティターと競い合うこと。それが好きだったんですよ。

日本人初のインディカードライバーとして活躍した

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