生物は神様が作ったとしか思えないすごい能力を持っている
2015年、体長わずか1ミリの線虫が、がん患者の尿を高い精度で嗅ぎ分けることを発見。わずか5年で、尿1滴から高精度で早期がんを検知でき、かつ検査費用も安いという画期的な検査方法を確立、実用化した。発見者であり、開発者でもある株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役の広津崇亮さんにお話をうかがった。
簡便、高精度、安い検査費用でがん検診の受診率を高めたい
—今年の1月、線虫がん検査N-NOSE®(エヌノーズ)の実用化が発表されて話題になっていますね。なぜ線虫という生物を使ってがんの早期発見のための新しい検査を作ろうと?
広津 きっかけは日本のがん検診受診率が3割から4割と低いことです。ここでいうがん検診受診率とは、国が推奨している5大がん検診ですが、これらはがん種ごとの検査を受ける必要があります。そして5種類しかわからないので、膵臓がんや肝臓がんのようながんについては、調べることができません。
安くて簡便で、かつ精度が高く、1回の検査で全身網羅的に検査できるがん検査があれば、受診率は大きく変わるのではないかと思いました。
実はがんの有無を調べる1次スクリーニングという発想自体、これまで日本にも世界にもなかったんですよ。1次スクリーニング検査は入口の検査なので、まず安い必要がありますね。
がんは早期に発見することが重要ですが、早期がんは組織が小さいので、それを見分けようとすると、すごいセンサーとか、すごいカメラとかが必要になってしまいます。つまり機械の値段が高くなっていくので、1回の検査費用が高くなってしまう。
一方で、安い検査に腫瘍マーカーがありますが、早期がんの精度は10%くらい。精度が高くて値段が高いか、安いけど精度が低いか、両極端で両立することができなかった。
そこで思いついたのが、生物の能力を使うということだったんです。
—生物の能力ってそんなにすごいのですか。
広津 生物の嗅覚は、微量のものを、しかもノイズの中から嗅ぎ分けることに関しては、地球上で最も優れています。中でも昔から研究のモデル生物として使われてきた線虫は、匂いを受け取る受容体が人の3倍、犬の1・5倍あって、すごい嗅覚を持っている。そして線虫には、健康な人間の尿は嫌いで逃げていくのに対し、がん患者の尿は好きだから寄っていく性質があることがわかりました。
その線虫の性質を使えば、高い精度でがんの検査ができます。そして、犬のように飼育や訓練にお金がかからないので、精度と安さを両立できると思いました。
一人でも多くの方に検査を受けていただけるよう、N-NOSE®は1万円を切る金額に設定しています。
—線虫に目をつけたのは、なぜですか。
広津 今の説明だとがん検査を作ろうと思って線虫に注目したように思われるかもしれませんが、実は逆です。
もともと私は理学部にいて、線虫を使って嗅覚のメカニズムの基礎研究を20年くらいやっていました。5、6年前に大学で研究室を持つタイミングがあり、研究費を申請するためにいろいろな研究テーマを考える中で、線虫の能力を世の中に役立てることができるかもしれないとひらめいたのです。
実は、線虫の嗅覚が優れているということは研究者なら全員知っていることなんですよ。でも、生物の研究ではメカニズムの解析にしか使っておらず、そう教わってきましたから固定観念に縛られて、その嗅覚を利用しようという発想にならなかった。私も20年、思いつかなかった(笑)。
基礎研究で得た知見を基に独自の解析手法を確立
—線虫というか、生物の世界に進もうと思われた理由は?
広津 理系だったので、テストの点がいいと医学部に行きなさいという話になります。でも自分は医者になりたいのかと。そう思った時に塾の先生が、これからの時代は生物だと仰ったんです。もう30年くらい前、バイオテクノロジーの兆しが見えてきた頃で、それで生物学科に行こうと思いました。
大学で私が入ったのは酵母の研究室でした。当時は大腸菌とか酵母みたいな単細胞生物を研究していた時代で、酵母の研究室しかなかったんですが、酵母は動かないし、自分にはあまり面白みが感じられなかった(笑)。
そこに助手の先生が海外から帰って来られて、線虫という生物が海外ではやり始めていると教えてくれたんです。酵母より、動く線虫のほうが面白そうだと思い、それで、酵母の研究室で、一人で線虫を飼い始めました。
—簡単に飼えるものなんですか。
広津 飼うのは簡単ですが、何が難しかったかというと、当時は線虫なんて誰も知らないから、英語の教科書を読んで、自分で育て方から解析の仕方から全部工夫しなければならなかったことですね。今となっては、それが全部ノウハウです。
研究テーマは、線虫の嗅覚そのものに関しては海外に大御所がいたので、同じことをしてもかなわないと思い、私は匂いによって好き嫌いが生まれるしくみについての基礎研究にしました。解析に関しては世界の誰にも負けないくらい技術を磨き、精度を高めていたので、それがこのN-NOSE®に活かされています。ほかの線虫研究者には、同じことはできないと思います。
—なるほど。線虫がいれば誰でもできるというものではないのですね。
広津 そうですね、それぐらいノウハウのかたまりだという自負があります。そうでないと、早期がん検知9割の精度にはならないですから。簡単そうに見えて、非常に難しい。
—実用化されたということは、受けようと思ったら受けられるのですよね。
広津 この秋、まず東京と福岡で一般の方からのウェブ予約をスタートします。興味のある方は、ぜひ「エヌノーズ.com」で検索してみてください。
ここまでくるのに少し時間がかかったのは、解析のキャパシティを広げるのに苦労したからです。
この線虫の嗅覚解析というのは、シャーレの上で寄るのか逃げるのかを見るのですが、これまでは研究者が目視で行っていました。一匹一匹、数えるんですよ、野鳥の会みたいに(笑)。さすがにそんなことしていたら追いつきませんよね。この“数える”ことに関して機械化できたのが今年の1月です。
そして、実はただ“数える”だけでなく、その前処理もとても大切で、たとえば線虫を“洗う”こと。線虫は大好きな餌がいっぱいの中で生活しているので、身体にまとわりついた餌を洗い落とさないと動いてくれないのですが、その作業もこれまでは人間が手でやっていたんですよ。
こういった複雑な工程についても7月に機械化でき、ようやく全自動化にこぎつけました。解析数が1桁増えたので、年間何十万とか百万検体が検査できる目処がつきました。
生物の持つ能力を研究する自分なりの大学を作りたい
—東大から京大、九大に移っていますが、それはなぜですか。
広津 大学のポジションがなかったからです。生物界はドクターを取るとだいたいポスドクになりますが、ポスドクの次にポジションがあるかというと、たいていない。職が不安定な状況に安住する気はなかったので、京大に行ってプレゼンしたんですよ。私はこんな研究ができますから雇ってくれませんかと。それで雇ってもらい、その後九大から先生になりませんかとお声掛けいただいたので快諾しました。どちらかというとラッキーなほうだと思います。
—九大にいる時に線虫をがん検査に使うことを思いついたと。
広津 はい。2015年に論文発表しているので、ちょうど5年ですね。この会社を作ったのは4年前なので、あっという間という感じです。発表した当時は、実用化は10年後くらいと考えていましたから。
実は15年に会社を作ったんですよ、福岡に。でも、そのベンチャーは1年で見切りをつけて、改めて作り直したのが今の会社です。
—何がいけなかったのですか。
広津 何がいけなかったかというと、何もかもがいけなかった(笑)。特に社長が自分じゃなかったというのが大きかったかもしれませんね。ですので、今の会社は創業メンバー3人でスタートしたんですが、私が社長をやることにしました。
—最初の3人はみなさん研究者ですか。
広津 研究者は私だけ。一人は経理ができる人、もう一人はメディア系の人です。
大学の先生とか研究者は特にそうなんですが、研究室の片隅で一生懸命やるのは得意ですが、それをみんなに伝えるのは苦手です。でもそこは絶対に重要だと思っていたので、最初からメディアに強い人と一緒に会社を作ろうと考えていました。テレビとか雑誌とか新聞でいろいろ取り上げられているのは、メディア戦略が少しは上手にできたからではないかと思っています。
—N-NOSE®の実用化を実現した今、今後はどんな展開をお考えですか。
広津 グローバル展開ですね。新型コロナウイルスの影響で足踏みをすることになりましたが、5年後には複数の国で浸透させられるようにしたいと思っています。
そして、次の目標はがん種を特定することです。目指しているのは2022年。第1号のがん種が同定できれば、あとは同じ要領でできるはずなので、15種くらいは同定できるようにしたいです。
がん種がわかれば精密検査に進みやすいので、早期発見が難しいとされる膵臓がんの検査を一番のターゲットにして研究を進めています。また、白血病を含む小児がんを検査するための研究も始めています。
—ノーベル賞ものではないですか!
広津 よく言われます(笑)。大学教員の頃は興味がありましたが、社長になってからというもの不思議と興味がなくなってしまい、今は、ノーベル賞と言われても実はあまりピンと来ないのです。
—では将来の夢は?
広津 大学を作りたい。日本の大学がいかに疲弊しているかをよくわかっているので、自分なりの大学を作りたいんですよ。
そこで何がしたいかというと、生物の能力を生かした何かを作ること。線虫じゃなくてもいいんです。目がすごくいいとか、味覚がすごく優れているとか、人間が見えている世界じゃない世界が見えているとか、神様が作ったとしか思えないようなすごい能力を持った生物はいっぱいいる。そういう能力を生かした何かで社会を変える。面白そうじゃないですか!
(インタビュー/津久井 美智江)