仙界の慈童
澄み渡る秋空。心地よい風のそよぎ。爽やかな「菊の節句」。菊花が、香りよく、あざやかに花開く。
とりわけ、平安時代の宮中で雅びに催された「観菊の宴」。菊の花びらを杯に浮かべ、平安貴族が「菊酒」をいただく。菊酒は長寿の妙薬。宴は生きている喜びを分かち合う。
古代、中国から伝わった。慈童(じどう)と呼ばれる可憐な少年の話。奥深い山中で、慈童は「ありがたい経文」を菊の葉に書き添える。葉の露の滴は「霊薬」となる。数百年の間、少年は「霊薬」で、そのまま生きながらえた。
慈童は、周・5代の皇帝・穆王(ぼくおう)に仕えた「可憐な少年」。こともあろうか、『皇帝の枕』をまたぐ過ちを犯す。帝は、悪気のない少年を不憫に思い、遠くの深い山中へ流罪とする。そして『枕』を授けた。『枕』にはありがたい『経典』が印されていた。
「仏様は、総べての功徳を備え、慈しみの眼で人びとを見ておられるのです。その福徳は、海のように限りなく広いのです。ですから、今まさに深く、深く、心から、心から礼拝を行わなければならないのです!」と……。
長い年月が過ぎ、「魏の文帝」の御代となる。「文帝」は「三国志」を代表する英雄・曹操の子で曹丕(そうひ)。魏・初代の皇帝だ。
魏の文帝は「不思議な霊水が湧く噂がある。源流を確かめよ!」と勅命を下す。臣下は奥深い山路を分け入り、『神秘的な慈童』に巡り会う。
慈童は『経文と菊の露』が『不老不死の薬』となって700歳を過ぎても昔のままだと……。慈童は菊花が咲き乱れる中で、歓びの「舞楽」を楽しげに舞う。
山の水は「菊水」の流れ。泉のもとは「霊酒」。勅使に「菊の酒」を勧め、自らも杯を重ねる。足元も酔いで「よろよろ」と……。そして700歳の寿命を文帝に捧げる。
月が出る宵。慈童は菊花をかき分け、かき分け、山路の仙家へと入って行くのであった。
年表では、周の穆王から魏の文帝まで千百年。この物語は、菊の香気に包まれた人生の讃歌。時空を超えた永久の幸を醸し出す。
【お詫びと訂正】本紙では、題名が「仏界の慈童」となっておりますが、正しくは「仙界の慈童」です。訂正してお詫び申し上げます。