第75回 変化していくイタリアのトマト

  • 記事:加藤 麗

地中海の夏の日差しをたっぷり浴びて、完熟したトマトは、古くから日暮れの太陽が沈む頃に収穫される

 イタリアのトマトというと、トマト缶に用いられている楕円形のトマトを思い浮かべる人が多い気がします。主にナポリ周辺で栽培が行われてきた品種のひとつ、サンマルツァーノ種。残念ながら、ここ20年間の幾つかの病気の蔓延と、激化したコスト削減を理由に(信じ難い話ですが、イタリアの農家のトマトの平均取引価格は1kgあたり50セント=約60円)、他の原種のトマト同様、絶滅の危機に瀕しています。現在は機械化に適して生産性が高く、病気に強いハイブリッド種の栽培が主流です。

 美食家で、文芸評論家でもあったペッレグリーノ・アルトゥージ(1820~1911)は、50歳手前でそれまで繁盛していた商売から手を引き、その後90歳までを執筆活動に捧げたイタリア料理の父と呼ばれる作家。1891年当時、どこの出版社にも見向きもされず、自費出版した『La scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』(直訳:キッチンの科学と美食の作法)は、氏の晩年の20年間で15版まで再版された人気の料理本。没後100年以上経った現在でもその再版は続き、100万部以上が販売されたベストセラーです。著書の中で「トマトを使ったソースはシンプルでなければなりません。つまりトマトだけでつくるのです。そのソースに香りをどうしても付け加えたい場合でも、せいぜいほんの少量のセロリかイタリアンパセリ、またはバジルの葉をいくつか加えれば十分」と、トマトソースについて語っています。良質のトマトは味が整っており、私たちが調理中にすべきことは、「その邪魔をしないこと」だというのです。

 あるイタリアの専門家が「もしこの植物の生産性が低かったら、その希少性から毎冬高値で取引されるトリュフのような、高価な食材として取り扱われていただろう」とトマトのポテンシャルの高さを、高級食材のトリュフに例えたという有名な話もあります。

 古来の原種に近い良質なトマトを栽培する畑を訪れると、まるで地面から湧き上がってくるような香りに驚きます。若干スパイシーさを感じさせる、刈ったばかりの芝のような蒼い香り。これは緑色の若いトマトのみが発する香りで、良質なトマトにはそのアロマがうっすらと残るのだそう。それを鍋で10分ほど加熱するだけで、最高の味がするのです。

加藤 麗 かとう・うらら

加藤麗東京都生まれ。2001年渡伊。I.C.I.F.(外国人の料理人のためのイタリア料理研修機関)にてディプロマ取得。イタリア北部、南部のミシュラン1つ星リストランテ、イタリア中部のミシュラン2つ星リストランテにて修業。05年帰国。06年より『イル・クッキアイオ イタリア料理教室』を主宰。イタリア伝統料理を中心に、イタリアらしい現地の味を忠実に再現した料理を提案し、好評を博している。

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